若宮八幡宮の近くに、花園遺跡がある。
花園丘陵の発掘調査は昭和52年~昭和55年に行われた。三次市営斎場建設に伴う発掘調査だった。弥生時代中期から後期に作られた墳丘のある方形台状墓2基や溝で区切られた方形周溝墓6基が見つかった。
第1号台状墓は東西31m,南北20m,高さ(北辺)1.3mで,埋葬施設は土壙墓・箱形石棺など215基以上が見つかり,他の墓域からも埋葬施設が数基ずつ見つかった。共同墓地的な墳墓群として県北地域の墓制を考えるのに重要な遺跡だ。
三次は遺跡の多いところだ。下本谷遺跡で発掘された石器は、2万年前の旧石器時代のものだ。日本列島最古級のもので、日本列島で人が暮らすようになったルーツを解明する手がかりのひとつになっている。
縄文時代には小高い丘の上に竪穴式住居を建て、川漁や落とし穴などで食糧を獲って生活していた。弥生時代には四隅突出型墳丘墓が造られはじめた。その出現の地が,三次とも考えられている。四隅突出型墳丘墓の分布状況や出土遺物から、中国地方だけでなく、九州とも交流があったことがわかっている。矢谷古墳からはローマに起源を持つガラス玉も出土しており、誰がどのようにここまで運んだのか、研究が進められている。
古墳時代には、平地を望む丘陵上に多くの古墳が造られた。広島県内の古墳の数の3分の1にあたる4000基以上が確認されており、全国的にも古墳が密集する地域だ。