北浜〜大阪府大阪市中央区 | 大根役者

大根役者

日常と街道の旅を続けています。ガスリーのHobo's LullabyとアズナブールのLe cabotin(大根役者)を友に

久しぶりに北浜を歩いた。関西にいる時はこの近くをよく歩いていたが、貧乏学生にはキタよりもミナミだった。地下鉄代を節約するために御堂筋を難波まで歩いたこともあった。船場は秀吉の時代から、大阪の金融、経済の中心地だった。その北の端、土佐堀に沿ったエリアが北浜で多くの豪商が集まり、彼らはその財力を誇示するように今に残る豪壮な建築物を建て、生きた建築ミュージアムと呼ばれている。例えば、このなにわ橋。又の名をライオン橋と呼ばれている。相場師松井伊助の寄付と伝えられている。阿吽の形をした獅子像は狛犬を模したものだ。

北浜といえば、大阪取引所のことを言った。朝ドラのディーン・フジオカで有名になった五代友厚の銅像と白亜の外観が東証大証時代の面影を伝えている。朝ドラ放映時にはこの銅像前に取引所と無縁の主婦たちが列をなした。昭和10年竣工の建物だ。五代友厚は、薩摩藩士だ。早くから、世界に目を向け、薩摩を維新の主役に押し上げた人物だ。維新の英傑としてより、政商として、取り上げられることが多いが、龍馬や勝、大久保、西郷、木戸同様、維新に貢献した人物だ。その後、維新政府参与となり、大阪府判事として、大阪に赴任した後、官を辞して、大阪に戻り、天下の台所、大阪経済を立て直したのだ。龍馬が生きていれば、彼と同じく、経済界で名を成したかもしれない。
淀屋橋の日銀大阪支店の勇姿は東京への対抗意識を見て取れる。

そういえば、淀屋橋は豪商淀屋の名前から来ている。江戸時代、各地の大名は米を大阪で商人に売っていた。淀屋は米相場の元となる米市を作り、大阪が天下の台所と呼ばれる商都大阪のきっかけを作った人物で、現在の貨幣価値に換算すると、個人総資産が200兆円あったと言われている。
淀屋橋、なにわ橋界隈はゆっくり歩いてみたい。大阪の気骨が観れる場所なのだ。