万徳院跡~広島県山県郡北広島町舞綱 | 大根役者

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慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで敗れた毛利氏は周防・長門国へ移封された。毛利家の重鎮、吉川家当主、吉川広家も周防岩国に移封された。吉川氏の本領であった安芸国大朝荘にあった万徳院述)を岩国に移転させ、真言宗の寺院とした。慶長11年(1606)に死去した毛利元就の次男で毛利家当主吉川広家の父である毛利両川の吉川元春の妻、良妻賢母として名高い新庄局はこの寺に埋葬された。これが、現在まで続く、岩国万徳院だ。

 

大朝にあった万徳院はどうなったかというと、その後、放置され、廃墟になったのだ。明治、大正、昭和と荒れるままだったのだ。

昭和61年に吉川城館跡の一部として、国の史跡として、指定されるまでは、発掘調査もされなかった。平成3年から行われた発掘調査により、整備され、現在は歴史公園になっている。

 

僕は、発掘調査中の吉川城館跡に行ったときに、徒歩で、万徳院まで歩いたことがある。何もなかった。

 

万徳院跡を訪ねた。

 

今では整備され、本堂の規模を原寸大に復元したガイダンスホールが出来ている。

ガイダンスホールの中に発掘調査時にの出土品が展示されている。

 

万徳院は宗派の関係なく仏教を学ぶ諸宗兼学の寺院だった。

創建時には本堂と庫裏しか存在していなかったが、その後、吉川元長

 

 

創建当初は本堂と庫裏だけしか存在しなかったが、吉川元春の嫡男元長の別邸として利用された。元長死後、弟の広家が菩提寺へと改修し石垣や庭園を増築した。吉川広家の正室、容光院も死後、この寺に埋葬された。

境内跡地には、本堂、庫裏、風呂屋、庭園の跡があり、石垣や、石段、参道跡も残り、吉川家の隆盛をしのばさせてくれる。

炭焼き小屋の跡もある。

 

この風呂屋跡では1月・2月・12月を除く毎月第3日曜に蒸風呂を体験できる。

付近は歴史公園として整備されている。

千代田町から万徳院跡に行く途中の石碑も興味深い。

毛利が秀吉を倒し、天下を望んでいたら、黒田が家康を倒し、天下を望んでいたらという論争は今でもあるが、毛利が望んだのは家の存続なのだ。万徳院にも家族の絆を見ることができるのだ。