善光寺~長野県長野市元善町 | 大根役者

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善光寺にお参りした。久しぶりだった。前に来た時は、昭和の終わり頃だった。

信州を廻るあわただしい一人旅の途中、立ち寄ったので、ゆっくりお参りできなかった。今回も東京を17時発の飛行機に乗るため、

あわただしい訪問になった。

参道を歩いたのだが、風景が依然と違って見えた。

仁王門

本堂は国宝だ。

山号は定額山で天台宗の「大勧進」と25院、浄土宗の「大本願」都十二坊により、護持されている。「大本願」が尼寺であることが珍しい。住職は善光寺上人と呼ばれ、代々、公家から住職が迎えられる。現在は鷹司ケ出身の121世鷹司善玉が勤めている。

 

善光寺は仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院だ。宗派の別なく、宿願が可能な寺院だ。

 


善光寺のご本尊は一光三尊阿弥陀如来像であり、欽明天皇13年(552)仏教伝来の折、百済国からに渡った日本最古の仏像だ。

絶対秘仏であり、誰も見ることができない。善光寺の僧侶も見ることができない。

 

7年に1度、御開帳により前立本尊が公開されるが、これはご本尊を模鋳したものだ。模鋳仏まで、秘仏化しなくていいのにな。

 

だけど、ここで、疑問に 思うのは、本尊が渡来した当時は人々が拝むことができたはずだ。善光寺縁起にはこの過程が記されている。ご本尊が日本に渡られて約100年、信州長野に移ってから10年ほど経ったころ、如来の宣託を受け、秘仏となったとある。つまり、自身のお告げにより秘仏化したということになる。

 

信州長野とというロケーションの中に千年以上秘仏化した仏像があることに興味をひかれるが、秘かにメンテナンスされているのだろう。じゃないと物理的に維持できない。

 

お戒壇めぐりもした。ご本尊が安置されている瑠璃檀と三卿の間の床下に部屋があり、その部屋をロの字型にめぐる暗黒の回廊がある。この回廊をめぐるのが、善光寺のお戒壇めぐりです。お戒壇めぐりをすることで、極楽浄土が約束されると言われている。瑠璃檀下の真っ暗な回廊をめぐると、ご本尊の下にかかる極楽の錠前に触れる。回廊の中は真っ暗闇で、距離は45メートルくらいある。一人なら、かなり、こわいけど、戒壇めぐりの業rsつができているので、そんない怖くないな。僕の前を歩いていたおばさんが、僕の手を握り、錠前に触れさせてくれたけど、そっちのほうが怖かった。戒壇めぐりを終え、明るい場所に出て、後ろをふりかえることが怖かったので、あわってえ外に出た。

 

「四門四額」と称して、東門を「定額山善光寺」、南門を「南命山無量寿寺」北門を「北空山雲上寺」西門を「不捨山浄土寺」と称される。各門をゆっくり見たかったのだが、時間がなかったので、叶わなかった。また、来ないといけないな。

「牛にひかれて善光寺まいり」

という諺があったな。不信心の老婆が逃げた牛を追い、善光寺につき、それからは、信心深い老婆になったって話だった。信心深くなっても老婆は老婆のママだという話だったかな。

本来は、思いがけない偶然で、よい方面に導かれることの意味なんだけれど、なぜ、老婆なのかを疑問に思ったことがある。お伽噺や説話はなぜ、老婆を登場させるんだろうな。
 
善光寺には、また来よう。