治療開始からの下腹部痛 | 本音で生きる人生

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占いカウンセラー
円錐切除→子宮頸がん→手術は選択せずに放射線と化学療法(CCRT) がんサバイバーになったことで闘病についても書いて行こうと思います。

婦人科診察の日

女医さんから引き継がれた男性医師に 

手術ではなく放射線治療に

決心したこと告げる。



すると・・・



「そうなの?

 俺、切る気満々だったんだけど!」

   じゃあこの日は他の患者さん入れよう」



先生の第一声がこれだった。


ええ?


なんか最初の印象と

だいぶ違いすぎませんか?


家族皆んなで話を聞いた時

凄く親身になって話をしてくれる

印象だったのに

放射線治療に決めたら

何だか態度が冷たい・・・



私の気にしすぎ???



元々3月14日に手術日を

抑えてもらっていたけれど

放射線治療に変更になった為

3月11日から治療開始となった。



そしてこの辺りから

婦人科の先生と放射線の先生とで

意見の違いがでてくるようになり

患者の私は少しずつ

振り回されることになる、笑




*放射線の先生の話*


大学病院から週1で診察にきている

放射線の先生の話では


大学病院でのCCRT治療の場合

(腔内照射ラルス+骨盤照射+シスプラチン)

体の負担がかなり大きいため

7週間程度の入院治療となります。

こちらの総合病院でも

入院治療をお勧めします。



抗がん剤シスプラチンで

髪の毛の脱毛はほぼ起こらないので

安心してください。



抗がん剤シスプラチンは

6回の投与を最善治療としますが

根治的放射線治療の場合

骨髄抑制や体調不良が起こり

まず6回できないので4回で充分です。





*婦人科の先生の話*


ウチでは通院治療がメインです。

入院は初日だけ、体調が悪くなった場合や

遠方で通うのが大変な患者さんは入院治療。



抗がん剤シスプラチンでも脱毛するので

カツラを用意しておくと良いです。



根治的治療の放射線と

シスプラチンの組み合わせは

確かにキツいですが

ここはしっかり6回やりましょう!




病院の方針によって

だいぶ変わるのね・・・


という印象




ひとまず3月11日から入院し

様子を見て問題なければ

通院治療にすると決まった。




そして迎えた入院日



荷物を持って病棟へ向かう。

円錐切除の2泊3日の入院時は

小さなキャリーケース1つだけだったけど


今回はめっちゃ大荷物!




なぜそんなに

大荷物なのかと言うと



抗酸化の水12リットル

抗酸化の敷パット1枚

持ち込んだため。



看護師さんにも

マイ敷パッドを持参した人は

初めてです!と笑われてしまった。



放射線と抗がん剤の

ダブルパンチに負けないように

自分でできる対策をしてきた!



そのお陰なのか

約2ヶ月間の治療中

放射線や抗がん剤の副作用は

本当に少なく、先生達にも驚かれ

今のところ後遺症もない。




敷パッドは暑くて今はもう

使っていないけれど

抗酸化水はいまでも毎日作って飲んでいる。


特殊なバケツに水道水を入れて

2時間ほど太陽にあてれば出来上がり

簡単で安上がり。



抗がん剤治療中

水だけが苦くて苦くて困ったけれど

この水だけは苦味なく飲めた。



 




幼馴染が肝硬変になり

医者から余命3ヶ月〜6ヶ月と

宣告されてしまったけれど

塩とこのお水を変えてから

余命をとっくに超えた。




何が体に良いのか

良くは分からないけれど

私は勝手に塩と水だと思っている。





3月11日朝8時30分

放射線の治療がはじまる。


お腹にサインペンで印をつけ

外部照射をする

トータルこれを25回行う。


腔内照射は後半に入ってから。


外部照射の時間はほんの2〜3分で

あっという間に終わり



えっこれだけ?

という感じ・・・



「回数を重ねるごとに

 下痢になるので注意してくださいね

 ご気分悪くないですか?」



放射線の看護師さんたちは

忙しいのに、みんな

ニコニコと優しかった。



入院してから

たくさんの医療従事者さんと

関わることになり

痛感したことがある。



それは

この人たちのお陰で

私の命が救われている

ということ




先生や看護師さんをはじめ

たくさんの人の力を借りて

命を救ってもらってる

みんな私の命の恩人なのだ。




また再発するかも知れない、

転移するかも知れない、

たとえ病気をしなくても

私たちはいずれ必ず死ぬ。



それでも今日もまた

生きていられるのは

多くの人のお陰なんだと実感する。



窮地に立たされないと

実感できないところが

まだまだ痛いところ・・・





朝の放射線治療が終わると

10時から抗がん剤治療がはじまる。 



生食、制吐剤、ステロイド、

利尿剤などを含め

6時間〜7時間の点滴治療。



いざ点滴がはじまると

何事もなく順調にすすみ

お昼ご飯も完食。




そしていよいよ次が

抗がん剤シスプラチンの番。





髪の毛が抜けると言われたので

ロングからボブにカットした




午後になると

看護師さんが厳重装備で

部屋にやってきた。


「では次!シスプラチン入りますね」



えっ!



なにその格好!




「す・・・凄い厳重装備ですねあんぐり




「猛毒ですからね 予防



「・・・」




「ゆっくり落としていきますね〜」



ポタポタと点滴の管を通って

シスプラチンが

体の中に入ってくる・・・



しばらくすると

左下腹部に激痛が走った



なにこれ・・・


今までに感じたことがない痛み



あれ・・・

結構痛いかも


なんで左下腹部?


火傷しているような痛み・・・



これはおかしいと思い

看護師さんに伝える。



「えっ!お腹痛いです?

 我慢できない痛みですか!!!」



「看護師さん、どうしよう・・・

 お腹が焼けるように痛いです・・・



やばい・・・


克服したはずの

パニック発作が起こりそう!


冷や汗が出はじめ

気道が狭くなる感覚が

襲ってくる。



ヤバい・・・


ヤバい・・・


冷静になれ・・・ワタシ!




「ちょっとトイレにいって来ます」



病室のトイレに入り


お腹をぎゅーっと押さえる


やばい、やばい!


本当に痛い・・・


ここで問題が起きたら


治療ができなくなってしまう





どうしよう・・・


お願い・・・治って




ガン治療しなきゃならないの


お願い・・・


・・・




すると少しずつ

痛みが遠のいていった。



長く感じた痛みも

時間は3分程度だった。



トイレからでると

看護師さんが無表情で

私を見ている



何とか落ち着きました、大丈夫です。

 こんな風にお腹に激痛が走る人

 結構いますか?」




看護師さんは首を横にふったガーン




実は左下腹部痛は

ガンになるずーっと前から

気になっている症状だった。

あと胃痛も・・・



普段は痛くないのだけど


押すと痛みがある


20代の頃から続いている症状




ガンと診断されてから心配だったので

入院前に胃腸専門科に相談に行った。



けれど、

まずはガン治療が先!ということで

退院して痛みがあるようなら

また来てくれと言われていた。



多分神経性のものだろうと・・・




この症状については入院前

婦人科と放射線の先生にも

相談したけれど

血液検査やCT、MRIでは

異常がないので

分からないと言われてしまった。



どこが悪いんだろうか・・・





夜になって夕飯の時間となった。

下腹部痛の事件のあとは

何事もなく夕飯も完食。




夜9時前

先生が病室にやってきた。



「岡部さん、調子どう?」



昼間の下腹部痛のことを伝えた。



「神経が過敏になってるのかも」


「タケキャブだしとくから飲んでみて」


と言われた。



タケキャブを飲んだら

胃痛はやわらいだけれど

下腹部痛は変わらなかった・・・



そしてこの2日後

事件が起きる。