1999年5月から、
次男の高校の保護者によるハンドベルサークルに参加し
9月の文化祭では、発表する教室をもらって活動したり
春日部の幼稚園にボランティアで演奏に出かけたり
していました。息子が同じ学校に通っているという以外、
共通点はなく、息子たちの学年もクラスも、
保護者の方の職業も音楽歴も、異なりました。
12月に脳腫瘍が分かってから、治療に専念するため
サークルから抜けていました。
1年間のブランクの後、代表の蓮田さんから
声を掛けられました。
「リハビリだと思って、ベルをやりましょう。」
毎週土曜日に、学校の第2音楽室で
練習していました。
私は後遺症で、右の聴力がありません。
揺れて見えていた視界は、手術前のように
普通に見えるほど、回復していました。
でもハンドベルを奏でるには、5線符という
細かい音を瞬時に読まないといけません。
楽譜の音を数人で分け、一つの曲を作り上げていく
共同作業です。リズムに合わせ、
体を反応させ、ベルを振らなくては、
音がつながりません。私に出来るか、
他の方に迷惑を掛けるのではないか、
心配でした。
参加したら、途中で抜けられません。曲によっては、
3~5本の音を担当します。
出来なければ、担当を替わることもありましたが、
私にとっては、リズムをとり、5線譜を読むという
緊張の時間になりました。
蓮田さんは、すべて承知で、私をグループに
入れてくれました。そして出来る音符から、
始めさせてくれたのです。
グループには7人の方がいましたが、
みなさん温かく迎え入れてくれ、
仕事の仲間とは違う雰囲気の中、
緊張から心地よい時間になっていきました。
いろいろな後遺症をかかえているとはいえ、
手術前の自分が、やっていたことを
出来ていくという、心地よい時間でした。
息子が卒業しても、サークルに10年以上参加し、
1年に1回の文化祭に向けて、活動していました。
曲目は、クラシックから映画音楽、
その年に流行した曲など。楽しんで奏でたり、
それを文化祭で、聞いて頂いたりしました。
曲によっては、ハンドベルを10本近く
担当できるまでになりました。