66.ハンドベルサークルに誘われて | 脳腫瘍の後遺症と2024年からは悪性リンパ腫と闘うマッキーの記録

脳腫瘍の後遺症と2024年からは悪性リンパ腫と闘うマッキーの記録

40代で余命宣告され、脳腫瘍手術〜リハビリを乗り越えた体験記です。

1999年5月から、

次男の高校の保護者によるハンドベルサークルに参加し

9月の文化祭では、発表する教室をもらって活動したり

春日部の幼稚園にボランティアで演奏に出かけたり

していました。息子が同じ学校に通っているという以外、

共通点はなく、息子たちの学年もクラスも、

保護者の方の職業も音楽歴も、異なりました。

 

12月に脳腫瘍が分かってから、治療に専念するため

サークルから抜けていました。

 

1年間のブランクの後、代表の蓮田さんから

声を掛けられました。

「リハビリだと思って、ベルをやりましょう。」

毎週土曜日に、学校の第2音楽室で

練習していました。

 

私は後遺症で、右の聴力がありません。

 

揺れて見えていた視界は、手術前のように

普通に見えるほど、回復していました。

 

でもハンドベルを奏でるには、5線符という

細かい音を瞬時に読まないといけません。

楽譜の音を数人で分け、一つの曲を作り上げていく

共同作業です。リズムに合わせ、

体を反応させ、ベルを振らなくては、

音がつながりません。私に出来るか、

他の方に迷惑を掛けるのではないか、

心配でした。

 

参加したら、途中で抜けられません。曲によっては、

3~5本の音を担当します。

出来なければ、担当を替わることもありましたが、

私にとっては、リズムをとり、5線譜を読むという

緊張の時間になりました。

 

蓮田さんは、すべて承知で、私をグループに

入れてくれました。そして出来る音符から、

始めさせてくれたのです。

グループには7人の方がいましたが、

みなさん温かく迎え入れてくれ、

仕事の仲間とは違う雰囲気の中、

緊張から心地よい時間になっていきました。

 

いろいろな後遺症をかかえているとはいえ、

手術前の自分が、やっていたことを

出来ていくという、心地よい時間でした。

 

息子が卒業しても、サークルに10年以上参加し、

1年に1回の文化祭に向けて、活動していました。

 

曲目は、クラシックから映画音楽、

その年に流行した曲など。楽しんで奏でたり、

それを文化祭で、聞いて頂いたりしました。

曲によっては、ハンドベルを10本近く

担当できるまでになりました。