NO.76 格差は心を壊す | マルティン・ルターのぶろぐ

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はじめまして、マルティン・ルターです。今年の目標として読了30冊を掲げました。
今まで読んだ本も備忘録として残していきます。
主にビジネス書、リベラルアーツ、などです。+で中日ドラゴンズとごはん屋さんも発信していきます。

 

格差は心を壊す 

 



格差は心を壊す 

 

比較という呪縛

 

リチャード・ウィルキンソン&ケイト・ピケット

 

 

プロローグ──格差の大きな国で起こること

 

第1章 格差は私たちを不安にさせる

 

・不平等は、万人に影響する大問題

不健康、暴力犯罪、こどもの虐待、投獄、精神疾患、薬物中毒、その他多くの問題が社会階層と関連していることは、いまや世間の常識だ。

社会階層問題の根源には、序列上の地位や階層間の格差ーつまり不平等ーがあるということだ。

・平等な社会ではどうして社会の連携が強まるのか。その問いかけへの最も適切な答えは、お互いに安心できるからだろう。平等な社会で個人的な価値観に大きな差がないとなれば、ひとの交流が盛んになる。そもそも人は似たような境遇のなかから友達を選ぶ傾向がある。これらは間違いではないが、日常の生活はそれほど単純ではない。社会不安の症状がら悪化するのは、生活水準のは高い人と比較される場合に限らない。

 

・社会的地位は信用できる基準なのか

流動性が低い社会では、階級は生まれながらの偶然の産物だと見られている。社会的な階級や身分が劣っていても、個人的な責任は問われない。出自についても個人的な非難を受けることはない。しかし個人の実力や努力で社会的な階段を上り下りできる社会では、社会的地位は個人の能力や努力が強く反映された結果だと見られる。社会的地位が低ければ個人の怠慢によるものだと見なされる。

 

 

 

第1部 格差はこうして私たちの心を蝕む

 

なぜ不平等はすべての国で、地位への不安を高めるのか。おそらくその最も説得力のある説明は、社会階層の頂点に立つ人はとても重要な人間で底辺の人は役立たずの人間だと感覚が強まり、金銭の多寡が人の価値基準として重視されるにつれて、私たち全員が自らの社会階層に劣等感を抱くようになるからだ、というものだ。

 

 

第2章 格差は私たちの自信を打ち砕く

 

・序列が高くなるとストレスが減っていく

次のような仮説を立てることができる。社会的地位が高く、自立した生活を送り、周囲からも尊敬されていると感じている場合は、うつ病や不安症に苦しむことご少ない。逆に、社会的地位が低く生活も不安定で、他人の顔色を伺いながら生活している状況ならうつ病や不安症に陥れやすくなる、という仮説だ。

 

社会的な序列や権力、権限が増すにつれてストレスは反対に小さくなっていく。

 

 

第3章 格差で私たちは誇大妄想狂になる

 

・共感を失えば「人は物になる」

自己愛や精神病質、特権意識に与える影響という点では、共感も不平等と同じくらいな重要である。お互いの気持ちを理解しそれに共鳴することは、社会生活や人間関係の土台である。それは人間だけの特性ではない。社会生活を営む動物も共感を示すことご確認されている。

 

共感を取り戻そう

 

本章で私たちは、以下の現実を証明する論拠を追求してきた。不平等のせいで、いかに人々 が他人よりも自分を立派に見せざるをえなくなっているか。自己愛という現代の伝染病は、い かに不平等の拡大を反映しているか。 ビジネスの分野では、いかに多くの精神病質を持つ人が 企業社会の頂点に上り詰めているか。 不平等な社会の人々は自分の地位についていかに多くの 不安を抱いているか、などである。 お金持ちが平等主義の価値について考えるよう迫られたと き、彼らの反社会性や特権意識が薄れ、道徳観が強まってくるのも見てきた。共感や他人を支援しようとする意欲が所得格差によって侵食される現実にも触れた。 これらが示唆するのは、社会的な不平等が大きくなれば、地位や自己昇進、利己主義の影響 が増してくることだ。それはあたかも、競争が激しい不平等な世界で生きていくには、誇大妄 想を抱き出世競争に邁進することが唯一の生き残る途であるかのように思い込ませてしまう。

 

しかし自己誇示や自己愛は大きな不安を覆い隠してくれる一方で、人々を幸福や充実した人間関係から遠ざける証拠も見つかった。社会的な階段を上下することに対して軽蔑や羨望を感じることは、人間の幸せに決してプラスにならない。あなたが軽蔑する立場でも軽蔑される立場であっても、あるいは他人を羨む立場であっても、他人から羨まれる立場であっても、それは同じことだ。

 

共感は人間の社会交流や幸福感の礎である。 サイモン・バロン=コーエンはそれを普遍的な溶媒と記述している。共感が世界を満たせば、人間関係、夫婦間のいざこざ、仕事や近所との トラブル、政治の行き詰まり、国際紛争はすべて解決する。共感はコストがかからず、 その広 がりに異を唱えるものもいない。不平等によって侵食が進んでいるとはいえ、不平等の抑制に よって共感を再び取り戻し、その恩恵を最大限に活用すれば、世の中を改善することができる という大きな希望を持つことができる。

 

 

第4章 格差は私たちを中毒に追いやる

 

 

 

社会階層の指標としての「お金の使い方」

 

これらすべてによって明らかになったのは、お金の使い方によって、つまり毎日何を食べて いるか、何を着ているか、何を読み聞いているか、休みにはどこに出かけるか、自宅の庭には 何を植えているかなどによって、私たちは他人からこういう人間だとレッテルを貼られている ということだ。ハリー・ワロップによれば、社会階層の指標としてお金の稼ぎ方よりもお金の 使い方がより重要になっており、それが一部の人にとっては「金銭問題だけでなく大きな社会 不安の原因」になっている。

 

もちろん、お金を使うにも分別が必要だ。多くの人々は、家計の負担になることを承知のうえで、子供を私立学校に通わせ民間の健康管理サービスに多額の出費を行っている。 公立学校 やNHS(英国の国民保険サービス制度)のような無料の公的サービスは、サービス内容が悪 いうえに、それらを利用すること自体が世間的な評判が良くないと固く信じているからだ。 しかしお金をどのような方面に振り向けようと、社会的な地位を上げることはそれほど簡単ではない。フランスの社会学者ピエール・ブルデューが理論化したように、どのような時代や 社会であっても何が上品な作法であるかを決めるのは“文化的資本”、つまり教育などの社会 的資産の持ち主である。下層階級の人間が頑張って自らの美学や趣味を主張しても、上流階級 の人間から一されるだけだ。もし中流階級あるいは下層階級の人間が上流階級の趣味や美学を勝手に流用すれば、それがいかにすばらしくてもダサいと見なされ社会的な名声どころではなくなる。

 

第2部 社会階級にまつわる神話を壊そう

第5章 人は根っから利己的にできているとい

う誤解

 

・人はなぜきまり悪さを感じるのか

 

米国の社会学者で心理学者のトーマス・シェフは、恥を “主要な社会的感情”の一つだと記 している。彼によれば、それには、プライド、 当惑を含む恥、屈辱、臆病、気まずさ、自信喪 失、劣等感など、自己を強く意識した感情のすべてが含まれる。他人のマイナスの評価が事実 か、それとも自分の思いこみか、そのいずれにしてもそれらから生じるものが恥であるとシェ フは見て いる。彼はまた、私たちが嫌われないために、他人の目に映った自らの行動を常に頻 繁にチェックしていることについても述べている。 第1章の冒頭で引用したチャールズ・クーレーは、米国の心理学者の草分けだが、シェフは 彼の言葉を次のように引用している。「私たちをプライドや恥へ向かわせるのは、自分自身の 自律的な内省ではなく、他人に転嫁された感情、つまり他人の心を省察した想像上の結果であ る」。私たちが自分に対する他人の反応を監視するのは、ネガティブな評価をされて仲間外れになることを恐れるからだ。

 

私たちが周囲からどのように見られているか。私たちにきまり悪さや恥ずかしさを感じさせ るのは何か。そうした感情を強く引き起こすのは、所得や社会階層のようなものだけではな い。 美しさ、知識、人柄、知性、能力など個人特性に関わるすべてだ。 それぞれの項目別に、 楽観的から悲観的、 美人から不美人、 利口からバカ、つまり優れているから劣っているまで多 面的にランキングされる。私たちの評価が状況によって異なるのは、このためだ。社会的な評 価と、私たちが好かれたり嫌われたりする理由とは密接に絡み合っている。

 

こうした社会的評価の脅威に気づけば、それらと対立することや、他人から否定的に見られ ことを恐れるようになる。 他人の意見が実際にいかに重要かを十分に理解するのは難しいが、

そのときは前述のクーレーの助言を思い出して欲しい。 従来はとても親切で敬意さえ払っ てくれていた人々が、私たちが何らかのミスで面目を失った後に、 突然、 手のひらを返したよ うに冷たくなり蔑むような態度をとったら、どう感じるだろうか。

 

クーレーは他人の評価の急変によって人々はその重要性に気づくと述べているが、その後の 人生まで思考を巡らすことはしなかった。自分の成功を外部に誇示できるものがあれば、他人 から尊敬を得ることができ、嫌われるより評価される場面が増える。しかし外部へアピールす るものが少なくなり、社会的な評価を失った後でも、仲間外れではないにしても長く生き続けなければならないことがいかに辛いことか言及することはなかった。

 

・順位制から平等社会に移行した2つの理由

 

 

1つ目は、大型動物の獲物を仕留める方法や武器を手にした社会では、支配者、被支配者に 関わりなくどの人間も他人の命を奪えるようになった。肉体的な強弱は多くの動物の世界では 支配や序列のもとになっているが、そうした個人差の持つ意味が狩猟技術の発達によって大き く低下した。

 

腕力に自信のある人間でも、いつ何時、グループの他のメンバーから背中を 刺され、就寝中 に頭をされるかわからず、下位者の恨みを買うリスクはもはやなくなった。支配者の地位 維持したい人間にとって悩みの種は、個々のメンバーの挑戦だけではなくなった。つまり武装したメンバーが連携して襲ってくる可能性も強まった。腕力さえあれば傍若無人に振る舞えた時代が過去のものになってしまったとき、社会関係も大きな転換点に到達した。

大型動物の狩猟が社会構造の変化に与えた2つ目の大きな影響は、大型動物を仕留めた場 合、腐敗が始まるまでは、一人の人間や一つの家族が食べきれないほどの肉が獲れてしまうこ ながら初の母はメンバーに分配された。しかし獲物を仕留めた猟師が自分の所有物のように分配するとえこひいきが生じる。多くの社会ではその役目を別の人間に割り振っ ていた。分配は“衆人環視の分配〟と記されている。つまり人々は不正が生じないように注意を怠らなかった。

 

文化 人類学者の文章を直に引用しながら、ボーム教授は大型獲物の分配が社会に与えた影響 について解説している。彼によれば、些細な口論がときどき起きるのは仕方ないとしても、実 獲物の肉が分配されると「社会の誰もが喜びを表情に表した。なぜなら、肉はこのうえな い価値があり、誰も仲間外れにされることなく、仲間と一緒に肉を食することが社会参加の最 上の手段とされていたからだ」。

 

 

・目上のものだけでなく、全員とうまくやる

 

 

目下は自分のランクが低いことを受け入れ、目上が欲しがる物は何でも差し出すなど従属的 な反応を示し、目上の地位を脅かすよう な振る舞いは絶対に避けなければならない。こうしたルールに違反した場合、致命的な負傷か死の制裁が待ちかまえている。

 

これから見ていくように、ボーム教授は、腕力による序列関係から平等に基づく関係へと変する過程で、道徳の概念が生まれたと強く主張している。 上位の人間とだけうまく対応すれば良いのではなく、自分たち全員がお互いにうまく付き合っていかなければならないとなれ ば、ほぼ確実に平等な社会が実現する。 社会道徳の発達を支えるのは、次の二点だ。 一つは食料の共有や贈り物の交換、協力、 親密な社会生活によって培われる一体性と安全性の感覚であ る。もう一つは、反社会的な傾向のある人間に対しては追放や排除、殺害さえも辞さないという反支配戦略である。

 

 

 

 

 

第6章 生まれつきの能力差が格差を生むという誤解

 

・能力の差が階層を決めるという誤った思い込み

 

しかし、不平等と人間能力の関係についての誤解は、ジョンソンに限ったことではない。

 

人間 の能力や知性、才能には生まれつき差があり、それによって社会的な階段をどれだけ高く

上れるかが決まる。こうした考えが、社会的な階層制度を正当化する一般的な根拠となって いる。その前提には、私たちは“実力主義”の中で生きており、能力が階層を決めているという思い込みがある。 私たちは社会構造をピラミッドのようニとらえている。人々の大半は社会階層の底辺近くか、それをわずかに上回る場所に位置している。階層の頂上まで上るには特別な能力が必要だ が、多くの人はそうした能力を欠いている。能力に応じて、人々が最終的にどこまで到達でき るかが決まる。こうした考えが深く浸透しているために、私たちは社会的地位によってその人 の個人的な価値や能力、知性を判断しがちである。

 

これは他人の評価だけに限らない。自分自身を判断する場合も同じように考えている。社会 の頂点に立つ人々は、自分がその地位にふさわしい資質〟を持っていると信じている場合が 多い。それと同じように社会の底辺の人々は、現在の自分の立場は能力不足によるものだと考えている。

 

・家庭環境で子供の能力が決まる

 

子供を高所得課程へ、中所得課程、低所得課程に分けて比較すると、低所得課程の子供は、認識や情報処理、行動規制を司る、灰白質(神経細胞、樹状突起、シナプスを含む)の容量が少ないことが判明した。

 

・格差の大きな国の子供は、機会均等から遠くなる

 

 

本章で示した事実からすれば、社会階層は持って生まれた理解能力を反映していると考えるのは間違いである。そればかりか、能力差の圧倒的に多くの部分は社会階層の違いから生じた ものであり、能力差が社会階層を決めているわけではない。つまり、能力と社会的地位との間 に何らかの関係があるとすれば、その関係は、特定個人の社会的特権を正当化するのに利用される考え方とは全く逆の方向だ。

 

おそらく決定的な証拠は図表6・7に示されている。不平等な国ほど社会的な流動性が低く なる確かな傾向がある。 別の言い方をすると、所得格差が大きな国ほど子供は機会均等から遠ざけられる。結果の不平等と機会の均衡は両立しない

 

第7章 上流の文化はすべて一流であるという誤解

 

第3部 新しい社会の創出に取り組もう

 

第8章 なぜ格差と環境問題の解消を同時に考えるのか

 

・経済成長を続けることの合理的意味はあるのか

 

経済成長と福利の関係から議論を始めることにしよう。

先進国では過去数世紀にわたる経済発展によって、人々の生活の質は大きく改善してきた が、現在の豊かさに到達したとき経済成長はすでに役割の多くを終えてしまっていた。これを示す証拠は多数存在し、今でも増え続けている。生活の質に関連する指標を見ると、先進国で (RD) は平均的な物質的豊かさが上昇しても福利の向上につながっていない。人類の歴史を振り返る と“多いこと”は“良いこと”と同義語だったが、こうした変化は人類の発展史における一つのエポックといえよう。

 

平均寿命と1人当たり国民所得の関係の変化は、歴史的な変遷の過程を示している(図8・1には経済発展段階の異なる国々がプロットされている)。経済成長の初期段階では平均 寿命が急速に上昇するが、その後は上昇率が鈍化し次第に横ばい状態になる。先進国では経済 成長と平均寿命の相関関係が消滅してしまう。つまり経済成長が続いても平均寿命は上昇しな くなる。キューバやコスタリカのような国では1人当たりGDPで見た国の豊かさが先進国の 3分の1にもかかわらず、ほぼ同じ水準の平均寿命を実現している。

 

・現代を生きる私たちの使命は、経済成長なき福利の向上

 

成長政策の見直しに反対する議論に共通してみられるのは、技術革新への負の影響だ。しか し炭素排出量を削減し再生不可能な資源の使用をやめて生活の質を改善し、さらに持続可能な 経済を実現しようとすれば、新たな技術革新が起きてくることは間違いない。新技術は、環境 汚染のない省資源的な生活様式の実現を目指すものでなければならない。私たちに必要なのは、経済の成長ではなく持続可能な福利の成長”である。

 

ティム・ジャクソンはサリー大学の環境経済学者で持続可能な発展について講義している が、彼によると現代の私たちの使命は経済成長なき福利の向上である。 技術革新を継続すれば ( 生産性が上昇するが、それを消費ではなく余暇の拡大に振り向けなければならない。余暇とは 日常生活にとって必要不可欠な時間以外の時間、つまり友達や家族、地域の人々と一緒に過ご し、自分の好きなことをする時間だ。人間の福利にとって非常に大切な要素だ。自動化や人工 知能が多くの雇用に取って代わろうとしているが、一部の人々だけを失業に追い込むのでな く、新技術を活用して人々全体の余暇を増やすことが大事だ。

 

福利

※人々に満足のいく生活をもたらすような社会環境や条件。

 

・相互依存や協調主義への回帰が必要になる

 

人類の生活様式が狩猟採集から農業そして工業へと発展するに従って、社会組織の基盤も同 時に変化してきた。第5章で見たように、初期の人類社会の平等主義は狩猟採集社会の協調主義に基づいていた。狩猟では協調的な活動が前提であり、個人の貢献を個別に評価することは できない。さらに獲物をしとめたときは、一つの家族で食べきれないので他の家族との分かち合いが重要になる。

 

ところが農業の発達によってその平等主義の基盤が失われてしまった。生産は個別化して いった。人々は食料を自分の土地で、自分の手で、自分の家族のために生産した。 狩猟は本 来、平等主義的であったが、工業化以前の農業は個別的であり、不平等主義を内包していた。 しかし現代の工業生産は複雑化し、私たちの生活様式は再び相互依存性や協調主義的な性格 が強まっている。現在の企業は、自分の利用目的だけに作っているものは何もない。その代わ りにきわめて効率的な組織を作り上げ、他人に役立つ財やサービスの生産を行っている。組織 の運営では、高度に統率がとれた個々の労働者が効率的に作業することが不可欠だ。そうした組織を不平等な社会構造の上に構築することは、時代錯誤もはなはだしい。

 

工業化以前の農業社会では、不作は不平等を増大させた。動物や人間の階層構造は、鳥社会のつつき順番と同じように、希少な食料をいかに優先的に獲得できるかどうかがベースになっている。階層構造が意味を持つのは、社会の構成員全員に行き渡るだけの十分な食料がないときだ。

 

農業社会は不作になると飢饉に見舞われることが多かった。 狩猟採集社会で平等主義が成立 していた重要な前提条件は、多くの考古学的な証拠が示唆しているように、人々がかなり豊か だったことだ。狩猟採集社会は“原始的な豊かな社会”と呼ばれている。私たちの祖先はもと もと欲望が少なく、それを満たすのは簡単だったからだ。

 

考古学研究によれば、原始の狩猟者や採集者はいつも自らの生存を懸けているのではない。

 

物欲より余暇を好み、必要な食料を手に入れるには1日2~4時間働くだけでよかった。彼らは緊急時に食料となる多くの動物や植物を知っていたので、普段は好きな物だけを食べていれ ばよかった。物を持っていないのは、貧しいからではなく、欲求が少ないからだった。 発掘された骨格からは、狩猟採集社会の人々は現代人と同じくらいの身長があったことが分かっている。人間の身長が低下し病気が増えてくるのは、農業が始まってからだ。健康状態の 悪化は、収穫時期の偏りや特定作物への依存による栄養バランスの欠如、あるいは病虫害や天候不順による不作などから生じる栄養上の病気が原因だった。

 

※トリクルダウン理論とは、「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富がこぼれ落ち、経済全体が良くなる」とする経済理論である。

 

 

第9章 人類と地球のために、生産活動を見直そう