NO.75 愛するということ エーリッヒ・フロム | マルティン・ルターのぶろぐ

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はじめまして、マルティン・ルターです。今年の目標として読了30冊を掲げました。
今まで読んだ本も備忘録として残していきます。
主にビジネス書、リベラルアーツ、などです。+で中日ドラゴンズとごはん屋さんも発信していきます。

 

愛するということ 

 



前提として、

 

「愛について学ばなければならないことがある」と考えている人はほとんどいない。

 

下記にもあるが、「愛」というと、何もしなくても、受け身でいることで得られる概念といった感覚がある。「愛」という言葉自体が、気恥ずかしさもあり、直面して向き合うことのない言葉であるようにも感じられる。本著は、この「愛」という概念を体系的にまとめた本である。

技術であるなら、習得は可能であろう。そして習得することによって、何が得られるのか、そしてどう変化してくるのだろうか?

 

第一に、たいていの人は愛の問題を、愛するという問題、つまり愛する能力の問題としてではなく、愛されるという問題として捉えている。

 

第二の前提は、愛の問題とはすなわち対象の問題であって能力の問題ではない、という思い込みである。

 

第三の誤りは、恋に「落ちる」という最初の体験と、愛している、あるいはもっとうまく表現すれば、愛する人とともに生きるという持続的な状態とを、混同していることである。

 

どんな技術を習得する際にも踏まなければならない段階とはどんなものだろうか。 技術を習得する過程は、便宜的に二つの部分に分けることができる。ひとつは理論に 精通すること。いまひとつはその習練に励むことである。

 

もし医学を習得したければ、 まず人体やさまざまな病気についての多くの事実を学ばなければならない。しかし、そうした理論的知識をすべて身につけたとしても、それだけで医学を身につけたことには ならない。実際の体験をたくさん積んで、理論的知識の集積と実践の結果がひとつに融 合し、自分なりの直観が得られるようになったときにはじめて、医学を習得したといえる。

 

この直観こそが、あらゆる技術の習得の本質である。 しかし、理論学習と習練の他に、どんな技術を身につける際にも必要な第三の要素がある。それは、その技術を習得することが自分にとって究極の関心事でなければならない。その技術より大切なものはない、と確信しなくてはならない、ということである。