無理ゲー社会
橘 玲
不都合な遺伝子
バカと無知、上級国民下級国民、に続いて橘玲氏の著作です。いつも、なぜだか惹きつけられてしまいます。
知能格差社会
1 「自分らしく生きる」という呪い(『君の名は。』と特攻;「自分さがし」という新たな世界宗教)
リベラル家の潮流で自分らしく生きられる世界が実現すると、必然的に、次の3つの変化が起こる。
①世界が複雑になる
②中間共同体が解体する
③自己責任が強調される
2 知能格差社会(メリトクラシーのディストピア;遺伝ガチャで人生が決まるのか?)
メリットを(I+E=M)と明快に定義している。
Iは知能(インテリジェンス)、
Eは努力(エフォート)で、
メリット(M)は
「知能に努力を加えたもの」なのだ。
メリットのもう一つの特徴は、内面的な特性ではなく、公正な基準で客観的に評価されることだ。
これは現代社会では「学歴」「資格」「経験(実績)」で、なぜこれが公正かと言うと、すべての人が「努力」によって獲得できるとされているからだ。
メリトクラシーの背景には、「教育によって学力はいくらでも向上する」「努力すればどんな夢でも叶う」と言う信念がある。それこそが、「リベラルな社会」を成り立たせる最大の「神話」だ。
実力主義 (メリトクラシー)
そうなんですよね。私自身も努力すれば報われる。成果がでないのは、自身の怠慢だと思っていました。リベラルな社会では、その論理でないと成り立たないからなのですね。
このメリトクラシーと資本主義が相まって、天井のない競争がつづくのです。
でも、そんな時代は終わったのかもしれません。拡大路線よりもバランス路線に変更しているようにも思います。
他者と比べてどうだというよりも、自身の感覚と思いに従って生きていけるようになっているような。