映画『悪は存在しない』
『悪は存在しない』
(上映終了:ほとり座)
公式サイト:https://aku.incline.life/
自然豊かな高原に位置する長野県水挽町。
代々そこで暮らす巧とその娘・花の暮らしは、
毎日、必要なだけの薪を割り、川の上流で水を汲み・・・。
という、自然との共存を意識した慎ましいものでした。
オープニングから、この暮らしぶりがゆったり丁寧に描かれています。
この町にグランピング場の設営計画が持ち上がりました。
コロナ過で経営難に陥った東京の芸能事務所が、
政府からの補助金を目当てにしたもので、計画は杜撰なものでした。
住民説明会で町の自慢の水源に汚水が流れ込むことや、
管理人の少なさで山火事が起きる危険性が高いことが分かり・・・。
『ドライブ・マイ・カー』の濱口竜介監督の新作です。
ベネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員大賞)受賞しています。
そもそも本作は『ドライブ~』でも音楽を担当した
シンガーソングライターの石橋英子さんが、
ライブパフォーマンスのための映像を濱口監督に依頼して、
その映像を制作する過程で1本の長編映画として誕生したのだそうです。
出演俳優さんは名前に記憶のない方ばかりです。
巧役の大美賀均さんの演技はなんとなく台詞が棒読みでしたが、
これは『ドライブ~』にもあった濱口メソッドによるものですね。
なので、他の俳優さんも棒読みっぽいところがあるのですが、
大美賀さんは群を抜いて感情を押し殺した感があって、
しかも、最後の最後にその演出が腑に落ちました。
(以下、“適度”にネタバレしています。ご了承ください)
住民説明会でグランピングの計画が杜撰であることが分かります。
これについて、アドバイザーのコンサルタントは成功だと言いました。
こうやって地元民と話しただけで行政の理解を得て話を有利に進められる。
住民も説明会を自分たちの不満をぶつけるはけ口にできているのだと。
確かにこういう地方の開発って業者側に都合よくできてますよね。
水挽町だけの話じゃないよね・・・というリアル感があります。
興味深かったのは、水挽町は戦後の農地改革の中で生まれた町で、
長く住んでいるようでも、住民たちは“よそ者”が多かったということ。
私の記憶が確かなら、巧は自身を「開拓三世」と言っていました。
タイトル通り「悪」は存在しないのかどうかの議論は置いておいて、
このコンサルタントの言い様、考え方、ものすごく腹立たしいです。
こいつ、地方に暮らす人のことなんやと思っとんねん!
芸能事務所の社長もコンサルタントの次に腹立たしいです。
二人とも事務所の社員を矢面に立たせて自分は現地に行きません。
でも、リアルな話として世の中にはこういう奴がたくさんいて、
しかも、なんだかんだで上手くやっちゃってるんですよね。
このタイトルって逆説的な意味なのかな?
水挽町に通うのは芸能事務所の高橋という男性と黛という若い女性。
最初の説明会で地元住民にやり込められる中で、
二人もこの計画には無理がある、白紙に戻した方が・・・と思いつつ、
社員ですから、社長の無茶な命令にも逆らえず、
しかし、二人ともしばらくこの町に住んで町を知ろう、
巧にいろいろ教えてもらおうと考えました。
二度目の水挽町に向かう車内での高橋と黛の会話。
これを聞いていると、二人にも事情があるんだよな・・・と感じます。
巧との会話の中で高橋と黛は新たな事実を知ります。
グランピング場の予定地は野生の鹿の通り道だということ。
鹿は2mぐらいの柵なら飛び越えるので、それより高い柵が必要。
でも、柵を作ったら、その鹿たちはどこを通ることになるのだろうか。
また、基本的に鹿は臆病で人間を襲わないが、
手負いだったり、小鹿がいるときは危険かもしれないということ。
この説明を私たち観客も受けて、クライマックスシーンへと向かいます。
このラストは衝撃というか、予想だにしなかったというか、
なんで巧はその行動に出たの・・・と、私の理解が追いつきませんでした。
で、鑑賞後に劇場ロビーに貼られていた解説を読んでみたところ・・・、
あ~なるほど、それで鹿の話をしたのか~。
序盤から森の動物の話って鹿ばっかりだったもんな・・・と少し理解。
ただ、その解説に書かれていたことは、書いた人の推察にすぎません。
そんな(?)SFファンタジーサスペンスみたいなことではなく、
私は巧はこれ以前にもこうやって町を守ったことがあったのかも。
ひょっとしたら、地区長(?)さんはそれを分かっているのかも。
という、これまた根拠に乏しい、私の勝手な想像が浮かんだりもしました。
ほとり座の上映最終日に鑑賞。間に合って良かったです。