映画『碁盤斬り』 | 牧内直哉の「フリートークは人生の切り売り」Part2

映画『碁盤斬り』

『碁盤斬り』

(上映中~:J-MAXシアターとやま、TOHOシネマズファボーレ富山、TOHOシネマズ高岡、イオンシネマとなみ)

公式サイト:https://gobangiri-movie.com/

 

貧しい浪人の柳田格之進は、娘のお絹とふたり、

江戸の貧乏長屋でまともに家賃も払えない状況で暮らしています。

篆刻の仕事を請け負っていて、吉原の女郎屋の大女将・お庚から、

品物代以外に囲碁の教え賃として合わせて1両もらっての帰途、

馴染みの碁会所で賭け碁で勝ちまくる両替商の萬屋源兵衛と対局、

今は貧乏浪人ではあるけれど、武士として清廉潔白を身上とし、

囲碁でも嘘偽りない勝負を心がけている格之進は、

勝っている流れで投了し、1両小判を源兵衛に渡してしまいました。

・・・という序盤。

 

古典落語の演目「柳田格之進」を基にした物語です。

孤狼の血』『凶悪』『ひとよなどの白石和彌監督の初の時代劇です。

私、実は世間一般の人よりはちょっとだけ落語を知っております。

私が過去に聴いた落語で知る限りだと、

格之進は篆刻の仕事はしておらず、お庚さんなんて出てこないし、

源兵衛と碁仇(懇意)になったきっかけなどは描かれておりません。

落語は基本的にいろいろとそぎ落とされて物語が完成していく芸ですが、

映画はそうはいかないので膨らませているということです。

どちらが良いとか悪いとかではなく、本作は上手く膨らませた印象です。

特に小泉今日子さん演じるお庚の存在は大きかったと思います。

 

萬屋源兵衛役は國村隼さん。もうこの人しかない!って感じがします。

以前は子供たちまでから「ケチべえ」と呼ばれる業突く張りだった源兵衛が、

格之進の人柄に触れるにつれ、正直な商人に変わっていきます。

まぁ、落語では最初から悪い人じゃないんですけどね。

格之進役は草彅剛さんで、私、非難を覚悟で書きますが、

草彅さんって、味わい深いけど、ヘタウマな俳優さんだと思ってます。

朝ドラの羽鳥先生も、だからこそ良かったという気がします。

上手い人たちに混ざって、より個性が際立つ演技とでも言いましょうか。

 

(以下、“適度”にネタバレしています。ご了承ください)

 

元の落語にある物語はここから。

萬屋でお月見の会が催され、そこでも格之進と源兵衛は碁を打っていました。

途中で萬屋に50両借りていた客が返済にやってきた。

格之進と二人きりのところ、碁に集中しながら源兵衛は金を受け取ります。

翌日、その50両が無くなっていました。で、格之進が怪しまれます。

源兵衛はそんなことないと思っているけど、番頭たちが疑っている。

で、源兵衛の遠縁の弥吉が長屋に赴き、格之進と言い争いになり、

格之進が「身に覚えはないが50両は用意しよう。

しかし、拙者の濡れ衣が晴れた場合はいかにする」と問いただすと、

弥吉は「自分の首を差し出します。主、源兵衛の首も」と約束します。

 

この落語、おかしな話でしてね。

私が武士の生きざま、こだわりを理解できていないのかもしれませんが、

無実なんだから、50両を工面する必要はないんですよ。

しかも、工面するあてもない。武士は食わねど高楊枝、ただの格好つけ。

あげく、腹を切ろう(これも不要)と思ったら、よくできた娘の絹に止められて、

「私が女郎屋に身を売って50両を用立ててもらいます。

嫌疑が晴れたら、弥吉と源兵衛の首を斬り本懐を遂げてください」

って、それを父として受け入れるのか。逆にそれでも武士か?と問いたい。

 

弥吉も落語には出てこないキャラクターです。

落語の演出は自由だし、今も古典落語は改作されていまして、

中には弥吉に似たキャラクターを登場させる落語家さんもいますが、

基本的な噺では、ここは番頭がやり取りするシーンです。

でも、番頭だと映画としては困る理由がありまして、

弥吉もちょっとどうなのよ?と思うシーンがあるのですが、

これもまぁ、良かったのではないかと思います。

弥吉は中川大志さん、お絹は清原果耶ちゃん。

あら、アニメ版ジョゼと虎と魚たちのコンビですね。

清原さん、青春18×2 君へと続く道に続いて今作でも良いです。

 

さて、柳田格之進にはもう一つの物語があります。

もともとは彦根藩で要職についていましたが、

清廉潔白が過ぎて疎んじられ、陥れられる形で浪人となったのです。

落語ではあっさり語られていて、しかも、終盤にあっさり帰参してまして、

江戸留守居役に三百石で取り立てられてるんです。本当にあっさりと。

 

で、映画はここも膨らませました。

彦根藩で確執を生んだ柴田兵庫というオリジナルキャラを登場させました。

柴田役の斎藤工さん。演技自体は本当に素晴らしかったです。

ですが、この顛末は必要かな?と思ったのも正直なところで、

クライマックスの殺陣シーンも、それ自体は迫力も緊張感もあって、

時代劇としては良いけれど、元の落語の部分が薄まってるように感じました。

これを描いたから、エンディングもああなって(?)しまった。

 

冤罪の顛末としては、最後はなるようになります。

落語の演目は一般的には『柳田格之進』でして、

高座で下げるときはよく「『柳田の堪忍袋』の一席でした」とも言われます。

でも、映画のタイトルは『碁盤斬り』・・・、ネタバレやん。

『阿弥陀池』を『阿弥陀ヶ池』って言うたらアカンのよって言うのと同じやん。

まぁ、私はどうなるか知ってたから良いんですけどね。

 

福井では本作の上映館で、

葵亭真月さんが落語の『柳田格之進』を披露する企画があり、

なんとほぼ満席!170人もの来場があったそうですよ。

こう言ってはなんですが、敢えて申し上げるなら、

真月さんの落語は間違いなく良かったのだろうと思いますが、

普段の福井の落語会の集客から考えると、企画の勝利ですよね。

でも、富山で同じことやってもここまでお客さんは集まらないはずです。

実際、私も過去に似たような企画で一席やりましたが、

集客はガラガラとはいわないまでも、ぶっちゃけ満席には程遠かったです。

福井のお客さんて、本当に恐るべしです!