映画『52ヘルツのクジラたち』 | 牧内直哉の「フリートークは人生の切り売り」Part2

映画『52ヘルツのクジラたち』

『52ヘルツのクジラたち』

(上映中~:TOHOシネマズファボーレ富山、Jー MAXシアターとやま、TOHOシネマズ高岡)

公式サイト:https://gaga.ne.jp/52hz-movie/

 

東京から大分の海辺の町の一軒家へ越してきた三島貴瑚(きこ)は、

母親から虐待されて声を発することのできない少年と出会います。

貴瑚は少年との交流を通し、かつて自分の声なきSOSに気づいて

救い出してくれたアンさんとの日々を思い起こしていくという構成です。

2021年本屋大賞を受賞した町田そのこさんの同名ベストセラー小説を、

成島出監督、杉咲花さん主演で映画化したヒューマンドラマです。

 

タイトルでもある「52ヘルツのクジラ」とは、

他のクジラが聞き取れないほど高い周波数で鳴く、

世界で1頭だけの孤独なクジラのことです。

「たち」というのは、本作にはそういう人が何人か登場するのです。

虐待されている少年はもちろん、貴瑚もそうでした。

そして、彼女を救ったアンさんもそうでした。

 

DV・介護・毒親・トランスジェンダー・家族の不理解など、

それらが題材になった小説、ドラマ、映画が今、本当に多いですね。

嫌らしい言い方になりますが、今、そういう作品が評価されるんです。

多分、100年前だって同じ悩みや苦しみを抱えていた人はいたはず。

でも、その思いを理解する人、共感してくれる人は少なかった。

今は理解しようと思う人が増えています。なので話題になる。

ただ、理解は進んでいますが途上というか、まだ始まったところです。

 

だから、この“クジラ”たちは声を上げることができません。

本当のクジラは52ヘルツでも鳴き声は出している。そこが違います。

理解がない人ほど、こう言うと思います。「言えば良いじゃない」と。

言えないんですよ。世間の理解がその程度だと分かっているから。

でも、やはり何かの形で訴えていかないと社会は変わらない。

そこで力を発揮するのが、小説やドラマ、映画、その他、音楽や絵画、

すなわち芸術なのかなと思います。だから芸術は必要なんです。

 

貴瑚は幼い頃から母親に暴力を振るわれ、それは大人になった今も続き、

しかも、母親の再婚相手の継父の介護を押し付けられていました。

そこから救ってくれたのが、“アンさん”こと岡田安吾。

貴瑚の中学・高校で同級生だった美晴の職場の同僚です。

アン役は志尊淳さん。美晴役は小野花梨さん。

杉咲花さんと3人、力のある俳優さんを揃えたな~という印象です。

 

(以下、“適度”以上にネタバレしています。ご了承ください)

 

アンさんは貴瑚をキナコと呼びました。「餡」と「きな粉」ですって。

美晴も交えて3人が飲み会やってるシーンは本作の救いになっています。

その時に感じたのは、志尊さんのお肌が一番綺麗だな・・・ということ。

まぁ、杉咲さんはほぼノーメイク(風)なんですけどね。

そしたら、アンさんの苦悩は・・・、やはりそうでしたか。

我々は映像のみで秘密を知ります。ただ、元がどっちかは分かりません。

なんとなくそっちかな・・・とは思えるんですけどね。上手い演出です。

 

にしても、志尊さん、こういう役をやらせたら、今、日本一かも。

アンさんも「52ヘルツのクジラ」でした。

だから、貴瑚の「52ヘルツ」の声を聞いて、彼女を救おうとした。

けれど、アンさんにはアンさんのような人が身近にいなかった。

そこが悲しい。母親にはヘルツを変えてでも話して欲しかったけど・・・。

お母さん、空港でのあの台詞、もっと早く言っていたら・・・。

 

貴瑚は救われたり、また傷ついたりで、その過去を断ち切るべく、

東京から大分の、今は亡き祖母がかつて暮らしていた町にやってきたら、

この町にも「52ヘルツ」以外の声も出せない少年がいた。

そこで、貴瑚は今度は自分がこの少年の声を聞こうと思うわけです。

 

この少年は母子家庭なのですが、本当に酷い母親でした。

貴瑚の母親も酷いのですが、急に「あなたを愛してる」と泣いたりして、

まぁ、それでも最後は娘を支配したがるので、結局は酷い母親なのですが、

少年の母親は息子に対して一切の情を持っておらず、

母親としてもですが、人としてもクズな生き方をしています。

 

なんと!この母親役を西野七瀬さんが演じていました。

西野さん、なぜか一部では演技の評価が低いみたいですが、

鳩の撃退法』『恋は光など、私が観た映画作品ではお上手でしたよ。

本作でも短い出演時間でしたが、インパクト大のクズっぷりでした。

ついでに書くと、今は毎週、大奥で拝見しております。

 

救われた52ヘルツのクジラが、また他のクジラを救う温もりの連鎖。

52ヘルツの心の叫び、苦しみはしっかり描かれていたので、

その切なさと悲しみとやるせなさは、観ていて込み上げてきます。

でも、52ヘルツが聞こえなくても、美晴のように力になってくれる人はいる。

彼女は分かってないけど味方でいてくれる人でした。

そう考えると、理解する・しないじゃないのかも・・・という気もしてきます。

 

で、完全に育児放棄して町を去ってしまった母親に変わって、

自分が一緒に少年と暮らそうと貴瑚は考えるのですが、難しいですよね。

社会制度がそれを理解し認めるような構成になっていないので。

なんか、過去にもそんな映画を何本か観ましたよ。

 

しかし、実は私が本当に観たかったのは、

映画では「簡単に行かない」とそれこそ簡単に台詞で言われていた、

一緒に暮らすためにどうするのか・・・という部分でした。難しいから。

いろいろな52ヘルツを知ることができたことに救いは感じましたし、

現状、ここまでだって十分に難しいのでしょうが、

知っただけでは最後まで救われたことにはなりません。

ただ希望はあると感じさせたところで映画は終わってしまいました。