映画『せかいのおきく』/『ヴィレッジ』 | 牧内直哉の「フリートークは人生の切り売り」Part2

映画『せかいのおきく』/『ヴィレッジ』

『せかいのおきく』

公式サイト:http://sekainookiku.jp/

 

江戸時代末期、厳しい現実にくじけそうになりながらも、

心を通わせることを諦めない若者たちの姿が描かれています。

何が“らしい”か分からないけど、阪本順治監督らしさを感じる映画でした。

 

武家育ちである22歳のおきくは、

現在は寺子屋で読み書きを教えながら、父と二人で貧乏長屋暮らし。

ある雨の日、彼女は厠のひさしの下で雨宿りをしていた

紙屑拾いの中次と下肥買いの矢亮と出会い・・・という導入です。

中次はすぐに矢亮の弟分として下肥買いになりました。

 

お菊は事件に巻き込まれて父親と声を失ってしまいます。

演出もありますけど、黒木華さんはやっぱり上手いな・・・と。

声を失うまではなかなかに饒舌なんです。

でも、声を失ってからも感情の出し方が饒舌(?)なんです。

お菊は中次への想いを募らせていくことになります。

 

矢亮役の池松壮亮さんも、お菊の父役の佐藤浩市さんも、

今さら言うまでもなく、他の主要キャストも達者な人が多くて、

中次役の寛一郎さんは頑張っていたけど成長途上なのは仕方ないです。

親子共演のシーンはやはり佐藤さんに貫禄を感じます。

 

映像がモノクロなのは、時代や世界観もあるのでしょうが、

下肥を直に見せないためというのが一番の要因だったのではないかと。

結構、バッチリと映し出されていましたから。

で、最後の最後にカラーになるシーンがありまして、

そうしなくても良いような気もしましたが、インパクトを考えたのかな。

 

興味深かったのは、下肥買いは汲み取った肥に金を払うんですね。

それを農民など必要な人に売るという商売。

今だったら汲み取りという業務でお金をもらえるはずですが、

矢亮たちの仕事はそうではなく、厠の持ち主に金を払っている。

持ち主は「お客様」ですから、矢亮たちに偉そうに接する人も多い。

社会の切なさみたいなものを感じずにはいられません。

 

クソみたいな世の中だけと、社会の構図、また個人の人への想い、

知るよしもない人と人とのつながりの中で、

いかに慈悲、愛、感謝、敬意をもって生きていけるか。

そんなことの大事さを考えさせられていたら、

え?終わり?という感じでエンディングになってました。

救いとか関係なく、日々の生活は続いていきますものね。

 

 

『ヴィレッジ』

公式サイト:https://village-movie.jp/

 

新聞記者』『余命10年の藤井道人監督のオリジナル脚本を、

横浜流星さん主演で映画化したヒューマンサスペンスです。

ヒロインが黒木華さんで、黒木さん出演作を一日で続けて観ました。

当然ですが、おきくとは違う役で、ここでもやっぱり上手いな・・・と。

ちなみに、黒木さんは一部のプロフィールでは高槻市出身とありますが、

小・中・高校は茨木市の学校で、ならば茨木市出身なのかな・・・と。

 

霞門村(かもんむら)に暮らす片山優は、

村に新しくできたゴミの最終処分場で働いています。

村長の息子で幼馴染の透のグループからいじめを受けいいるだけでなく、

夜は廃棄物の不法投棄に加わり、地元のヤクザから金をもらっています。

優自身はもともとは真面目な青年でしたが、

父親は過去に村で事件を起こし、今は母親がヤクザから借金をしていて、

この闇のような生活から抜け出せない日々が続いていました。

横浜流星さん、こういう役にも違和感がなく上手いのは、

過去の出演作も幾つか観ているので特に意外でもないです。

 

そんなある日、彼女もまた幼馴染の美咲が東京からUターンしてきて、

ゴミ処分場の企画を担当するようになり、優の人生が変わっていきます。

美咲もここに至るまでにはいろいろあったようなのですが、

行動の一番の要因は、なんだかんだで彼女は優に好意を持っていること。

これがまた透は面白くなくて・・・と、分かりやすい構図ではあります。

 

この物語、優が母親を見捨てて(相当なクズの母親ですよ)、

自分も罪は問われるでしょうが、内部告発していれば終わった話なんです。

でも、あの状況下において、そんな勇気のある行動はとれるわけもない。

そうこうしているうちに、自分の村の中での地位が上がってきて、

優自身が一番の不法投棄の隠蔽工作の実行犯になってしまいます。

 

「村のため」という同調圧力で与えられた大義のもと、

でも、本当は保身、「自分のため」に決断しているともいえます。

しかも、もう一つ隠さなくてはならない事件に巻き込まれて・・・。悲劇です。

次から次へと事件が起きて、観客に緊張感を持続させていきます。

 

展開自体も“あるある”で主要人物のキャラクターもステレオタイプで、

そういう意味では新鮮さはなく、しかも、後味も良くない作品ですが、

でも、最初から最後まで思った以上に引き込まれて観てしまったのは、

結局、こういう社会ってリアルなんですよ。このクソみたいな社会が。

以前から何度も何度も書いてきましたが、普遍的な正義なんてないんです。

自分の置かれた環境の中で正義は変わってくるんですよね。

で、良心と葛藤しながら生きてる人もいれば、麻痺しちゃってる人もいて・・・。

 

村の伝統芸能としての能が出てきます。

地元の刑事で村長の弟で能の師範的な存在の男の役は中村獅童さん。

おぉ、これはなかなかに上手いキャスティングだな・・・と。

能ってお面被ってますよね。話は正直、分かりにくいですよね。

でも、客席では分かった気になってる素振りのお客さんも結構いる。

腐った世の中で生きるってそういうことなのかな?ということです。

それはアカンやろ!は良心。個人的な正義は別のところにあるのです。