母、逝く(3) | マキオカのネイチャーな日々

マキオカのネイチャーな日々

山梨県の牧丘に手作りの2区画だけのキャンプ場を作りました。

広い空には満天の星。
ティピィの煙突からはバーベキューのけむりと笑い声。
ハイジのブランコは空まで届きそう。

いるだけで気持ちが和んでいく。そんな不思議なキャンプ場から贈ります。

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

今思い出してもわたしの両親は仲が悪かった。
それは家庭内別居のような静かなものではなく、母が父に「騙された!」とか「いついつこんな目に遭わされた」と当てこすりや嫌味を言い、それに対して父は聞こえないフリをしたり「キノエ(二番目の妻)が一番大人しくてよかった」などと言い母を煙に巻いていた。
時として激昂した父が「なにい!」と叫び立ち上がることもあったが、母は怯むことなく敢然と立ち向かいながら手近にあるものを掴むという、子どもの教育上大変よろしくない夫婦関係だった。

母は父が亡くなった後、父や父の先妻達と一緒の墓に入りたくないと言い、祖母が亡くなった際別の墓を立て自分はそこに入ると言い出した。

この夫婦を見て育ったわたしは「結婚する人の第一条件は絶対に仲良く出来る人にしよう」と決意したほど、反面教師としては優秀だったと思う。

母は寝た切りになってせん妄が始まった。
以下は亡くなる二週間ほど前に娘から聞いた話だ。

母「すみませーん、すみませーん!」(ヘルパーさんを呼んでいるらしい)
娘「どうしたの?」
母「体を持ち上げて欲しくて寅一(父)に頼んだのに何もしてくれない。呆けた顔して足元にいるのに。あんな呆けた寅一は初めてだよ。こんな顔している」(父の顔真似をする母)
娘「座りたいと言っても無理だよ」
母(再度足元を見て)「そこにいた寅一がいなくなった」
娘「トイレじゃない?」(話を合わせる娘)
母「トイレに行くはずがない。外に出たと思うから探して来て。心配だから」
(仕方なく探す振りをして一旦外に出てから戻った娘)
娘「やっぱりいなかったよ」
母「そりゃもう死んでるんだからいるわけない」

娘は最後のセリフのあまりの理不尽さに呆然となったという。

あんなに仲が悪かったというのに母は父の心配をし、母を迎えにきたのは父だったらしい。
夫婦というものは本当にわからないと思う。
・・・それにしても迎えに来た父が呆けた顔だったのは何故だろう?

それはともかく。

先日娘が「そういえばママ、前にばーばの寿命の夢見たって言ってたよね」
え?言われてみればそんな氣も・・・。

帰宅して早速「夢日記」を調べてみる。
2年ちょっと前、夢の中で祖母が母に向かって「あと一年の寿命だよ」と言う。
わたしはそんなことを聞いて母が絶望しないか心配している、という夢。

母は何度も死にかけ、その都度この世に舞い戻ってきた。
ニュースで死亡と出るほどの交通事故からも硬膜下血腫からも頭蓋骨骨折からも生還した。
それ以外にも大腸がん、腸ヘルニア、白板症、白内障の手術、胆嚢摘出、緑内障と満身創痍。

我々家族の中では「不死鳥榮美子」との通名があったが、母の寿命はもう尽きていたのかもしれない。

つづく