こんにちは。今日も楽しいマキオカです。
5月というのにすっかり夏の氣配漂う今日この頃、皆様どのようにお過ごしでしょうか。
マキオカもいつもより雑草の生え方が速いような氣がします。
またもや草むしりの季節がやってきた。
あー、ヤダヤダ。
とはいえ除草剤を使わないと決めた以上、マキオカに行けばひたすら草むしりをするしかないの。
この間なんて氣が付くと3時間も草むしりをやってたもんね。
草むしりという単純作業ををし続けているうちに、半眼になり無我の境地になるわたし。
「草むしり瞑想」なんて実用的でいいのではなかろうか。
お蔭でわたしの手は、シミ、シワはもちろんのこと腱鞘炎にまでなる始末。
糠味噌臭いだけでなく、草むしりのし過ぎで腱鞘炎になっている初老のオンナって、なんか、悲しい・・。
それはそうと。
わたしはマキオカに来て学んだことがある。
それは「家のそばには大きくなる木を植えてはいけない」という家相は本当だということ。
実はマキオカにある木は一本一本亡き主人と一緒に植えたもの。
20数年前、緑に囲まれたカッコいいキャンプ場になった未来のマキオカネイチャークラブを思い浮かべながら、白樺や樅ノ木を二人で植えていった。
先日アップした「マキオカネイチャークラブの顔が変わりました。」で写っていた看板の後ろの樅ノ木もその一つ。
まだクリスマスのライティングが一般的でなかった20数年前、小さな樅ノ木を植えてライティングをした後、どのように見えるか向かいの山の林道まで車を走らせたっけ。
あの可愛らしかった樅ノ木が今や天に届かんばかりの勢いでそそり立っている。
うーむ、デカい。
樅ノ木って、こんなに大きくなるものなのね。
知らなかった・・。
ということは、もしや・・。
ふと不安になり、センターハウスの横に植えた樅ノ木に目をやる。
これは13年ほど前に、物置の目隠しのためにふんどし息子と一緒に植えたもの。
センターハウスから3メートルほど離して植えたが、今や枝はセンターハウスに届き、梢は屋根より高くなっている。
そういえば最近センターハウスの建て付けがやけに悪くなっているんだけど・・もしやこれのせい?
よく見ると太い根がセンターハウスに向かって伸びている。
こ、こいつかっ!!
看板のそばの巨大な樅ノ木と同じ大きさになった様子を思い浮かべ、ちょっとゾッとする。
もしかしたらこれ、今のうちになんとかしなきゃいけないんじゃないの?
これ以上大きくなったら素人の手に負えなくなっちゃうんじゃないの?
一瞬自分で伐ってみようと思ったけど、ど素人で腱鞘炎のおばさんが一人で木を伐って、万が一のことがあったら、子どもを始め周りの人間にどんだけ罵詈雑言を浴びせられるかと思ったら、ちょっとコワくなって止めた。
ちょうどふんどし息子が来ることになっているので、ヤツに頼もう。
とはいえここまで大きい木は、無闇やたらに伐ることはできない。
どちらに倒すか考えなければならないし、倒したい方向に行くよう誘導しなければならない。
普通ロープを使ってやるようだけれど、そんなに上の方に届く脚立はないし、みっちり枝が生えているのでよじ登ることもできない。
ある方にご相談したら、倒したくない方の枝を伐って軽くしておき、倒したい方向を重くして誘導するという方法があるという。
なるほど!
ふんどし息子に頼む前に、片側の枝を伐っておく。
連休中に遊びに来たふんどし息子に状況を説明して、電動チェーンソーで木を伐ってくれるよう頼む。
思い出をこよなく大事にし、動植物を愛するふんどし息子は最初渋っていたが、なんとかやってくれることになった。
雨天時にベランダでタープを張る時に使いたいので、幹の上の方で伐ってもらう。
倒れる側を楔形に伐っておいてから、反対側から伐らないとチェーンソーの歯を噛んでしまう。
今回は上の方で伐っているので、倒れる際、幹がずれてしまったらかなり危険なのではないか、とドキドキする。
離れたところで見守っていると、幹がミシミシと音を立て始めた。
ドウッと倒れ込む樅ノ木。
倒れてから見た方が大きさが実感できる。
物言わぬ巨人が倒れたようで胸が痛む。
見事、樅ノ木を目標の倒す位置に倒してくれた息子よ、ありがとう。
あんたはもう一人前だ。
伐採は幹を伐っただけでは終わらない。
枝を払い、運び、幹をさらに半分に伐って乾燥させる。
切り口にお酒を振り掛け、感謝とお詫びの言葉をいうふんどし息子。
なかなかいいオトコに育ったものよのう。
時は知らず知らずのうちに、あらゆるものを変えていく。
樅ノ木の梢が知らぬ間に屋根を追い越したように、息子もいろいろな場面で母を追い越しているのだろう。
樅ノ木よ、今までありがとう。
そしてごめんね。
君のお蔭で時の流れや息子の成長が実感できたよ。
そう、息子の成長・・ん?
・・・巨大猿、もとい、ふんどし息子は体は大きくなったし力も付いたけど、精神面では小学生からあんまり変わってないことが実感できた母なのでした。
つづく