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みやみの『住めばmiyako』

いつか沖縄で開業する日を夢見て、仕事に遊びに全力疾走中♪

 

2019年

 

毎年8月の第一週に、へんなことするイベントがあると、ようよう認知されてきたころ。

 

口コミで各地コミュニティから参加してくださった方も多く、この回は実に17名の参加。

 

 

 

 

ただ、その分離脱組も多く、そのまま帰宅するのであれば致し方なしというところ、禁断の「電車でワープ」を使いお先にゴールし仮眠を貪り、打ち上げのみのために小田原に向かっていたキングサム輩もおりましたw

 

この年、はじめて(主催者除く)女子の2回完走者を輩出。昨年につづき参加してくれたノンブロガーのひさよさん。

 

いまではすっかりご婦人会仲間。このご縁は真夏の夜の夢に感謝です。

 

この年までは平和でしたね。

 

目利きの銀次での打ち上げは、眠い目をこすりつつそれでも一夜の感想戦ができた場でもありました。

 

 

 

 

 

2020年

 

忘れもしないマラソン暗黒期。

 

東京マラソンの中止に倣い、各地の大会がおしなべてなくなり、皆で集って走るイベントどころかランナーであることじたいが避難される、そんな2020年の夏。

 

じっさい開催を悩みはしました。

けど、それもほんの一瞬のこと。

 

石を投げるならどうぞ投げてください、とそんな気持ちでイベント決行。自粛とは留まることではない、進み続けることと併存すると頑なに信じていたのです。

 

ただ、参加された方が世間からどうとらえられるか、それはやはり心配だったので、この年は一切の集合写真は載せず、なので本ブログ初公開

 

あのときせっかくの書を紹介できずに、ごめんねひろりん。そしてありがとう!

 

 

 

 

 

2020年のブログ

 

 

 

 

 

2021年

 

よーやく世の中が少しずつ変わり、まだ大規模なマラソン大会は自粛ムードのところ、そこそこ走りやすくはなった2021年の夏。

 

ただ、この年は台風直撃の予報が直前まで変わらず、それにより参加者も若干少なめ。

 

てか、むしろ台風だっつーのに集まる人が若干でもいるのもどーかとおもうし、開催するほうもする方なんですけどね。

 

そしてまさに日付を超え、ぜってー帰れない時間から予報どおりのザン降りに。それはもう引くどころか笑っちゃうくらいのずぶ濡れで、今考えるとよくあんな中走ったな、てかよく開催したなw

 

 

 

 

 

 

ただゴール時には雨も上がり、お風呂上りにはぬれずに帰宅できたのは救いでした。もうね、これにより記憶は美化され。

 

以来、募集要項には「雨天・台風決行」の文字が笑

 

それは、どんな天気でも来たい人は(自己責任で)来てください。我々から中止(若しくは順延)をいうことはありません、という主催者側の決意。

 

それはらんな~さんがブレずに決めてくれたこと。わたしはそれがありがたかった。

 

真夏の夜に夢をみたい、一晩走って小田原で朝を迎えたい、そうおもってくれる人が一人でもいる限り、わたしもどんな天候でも、この日、この8月第一週の土曜日に開催しつづけたいとおもっていたのです。

 

 

(つづく)

 

 

 

 


インターバルは及第点
1000バルave#4'10

6000閾値走も自分比合格
ave#4'35

ちんたらであれば一晩中
78キロでも走ってられる

けど

このキロゴ分台の
この距離が
一番苦手なんだよなぁ魂が抜ける


※ジョグじゃありまてんw








本日大人の部活スピンオフ

サブ3.5前後のご婦人部員を
やさしいほうのコーチが束ねて
ロング走を引いてくれるありがたい企画

安定の5時スタートだけどな凝視




シーズンになればキロゴの会と

呼称を変えて行われるところ


まだ暑さも残る8月中旬

レースペースでは高負荷なので

無理ないペースでいきましょうと

やさしいほうのコーチからの提案


なので

キロ5'30からスタートし

少しずつ上げながらトータル20キロ

キロ5’20くらいで着地したいなー


などと

思ったじぶんをなぐりたい

ペースも距離もかけ離れとる!爆笑


これさー


涼しくなったら楽になれんの?

冬になったらフル走れんの?

なにが悲しいってあたしゃ案外

サボらずつづけてきてんのになーオエー


まいねんこの時期発症する

晩夏の流行り病

「フルを走るとか想像できない病」←


いまはノンストップで20キロも走れず

ましてキロ5分台で走りつづけるなどと

いったいどこの世界の話かと思うけども


「しつこくしぶとく走りつづける」


それが唯一の治療法だと

ランナー十数年生

わかりすぎるくらいわかっているから


病が治るまで粛々と走って行こうとおもいます。





















第一回目は2016年の夏

そのときは内輪で声を掛け合い、一本釣りされたたっきぃさんひとも含め、総勢9人でこじんまりと開催しました。





そのうち2人はノンブロガーの方で、その日はじめましてのご挨拶(モトさんとKトウさん)

また、その2人を含む参加者の中には、とにかくウルトラを走れる足作りをしたい、ぜったいに小田原まで辿り着きたい、という熱い決意を持った仲間おとめ座もおり、全員でゴールを目指しました。

結果、おとめ座さんは日付は超えたものの、途中で泣きながら無念のリタイヤ、始発を待って帰路につくことに。

そしてモトさんとKトウさんは、かなり序盤から怪しい感じで、ただこちらも初めてのためフォローする余裕もなく、「とにかくどんな手段を使っても車小田原に向かってください」とそれだけを言い残し置き去りに←w

そうして我々が満身創痍でゴールし万葉の湯で汗を流し、さっぱりして出てきたところに

節分「あの二人あるってゴールしてきたよ。いい顔してたよ」

と、らんな〜さんからの報告を受けてびっくり。

タクシーに乗ろうとする一人を制し、一緒にあるってゴールしようと、二人で「ペンギンズ」を結成、痛い足を引きづりながらひょこひょこペンギンの如く進んできたとペンギンペンギン

その後、お風呂から上がった二人の顔を見て、この企画を立ち上げてよかった、と心から思いました。

本当にそれは限界を超えてやり切ったという自信に満ち溢れていて、キラキラと輝いていたのです。




そのときのブログ

2016年




余談?ですが、この回の真夏の夜の夢に名古屋からまゆみさんが参戦、やまいちくんと初対面。やままゆ夫妻の出会いの場となった初回でもありました。




2017年

そんな初年度から一年後。

懲りもせず8月第一週の土曜日開催。
第二回目も当然目指すは全員小田原。

いつの間にかペーサーを任されるようになったたまやんさんがこの回から参加。

この日コンプすれば人生最長距離になるという、ポップさんも満身創痍で走破。挑戦し、そして乗りこえる。そんな方の笑顔を見るのが本当に嬉しくて、そういう場でありたいと思いました。




確かこの回までが18時スタートだったかな。


なので、小田原市内に入る直前のセブンイレブンで夜が明けて、ちょうど朝ごはんを食べるタイミングに。


以来ここを「朝食セブン」といまだによんでいる初期メンバー


@2017年



陽が登ってからの暑さに耐えかね、17時スタートに早めてからは、こんな様相になっちゃいました笑

まっくらw



2018年

三回目から徐々に参加者が増え、この場所での集合写真がスタンダードに。広報担当のやんやんさんもこの回に初参加。今をトキメクしらなみ師匠がいることにも注目です目




こちらは毎年、たっきぃさんが撮ってくれてた残り3キロの橋の上の写真。ゴールが近いということもあり、みんな笑顔を取り戻す場所。ここでの写真が大好きでした。


※厚木のオンナそらちゃんとこの年初参加だったひさよさんと




そうそう、この時期には小田原駅前の「目利きの銀次」が24時間営業で、希望者で打ち上げができたんですね。


朝の8時から飲めるという平和な時代。そのための一夜だったという朝でした。





(つづく)