迷っている時間がいちばんストレスなので
今朝はエイヤで走りはじめました。
雨雲レーダーに一喜一憂。
けど「走る」と決めたらこっち主導。
おめーなんかに左右されてやんね
降っても晴れてもびっちょんこでも
やっぱ走れるって素晴らしい
その着信があったのは、母がショートステイに行っていたとき。相手は母の中学時代からの友人(Hさん)でかれこれ70年以上(!)のお付きあい。今では未亡人仲間となり、数年前まで二人で旅行をするほど仲の良い友達です。
あの人、ホント元気なのよねぇと、つねづね母が口にしていたとおり、Hさんは母と同じ歳とは思えないほどに活発で、なので今回の連絡も、一緒にお大師さま(川崎大師)に行かないかという、久しぶりのお誘いだったようです。
あいにくショートステイにいっていた母。その何回かあった着信に気がつくことなく、一昨日、施設から家に戻り、たまたま姉とわたしが実家にいたときに、再度電話が入りました。
最初に姉が電話口に出て、Hさんからだよ、と母と代わり、横で話す様子を伺っていると、やはりなにやら噛み合ってない会話が。
それがいったん途切れたところで、姉が再度携帯を受け取り、別の部屋に行って今の状況を説明。
実はとても認知が進んでいること。
今は自力での外出は難しいこと。
おそらくこれからは月の半分は施設のお世話になるだろうこと(なので連絡が取りづらくなる)
ひと通りの説明が終わったところで、Hさんがもう一度母と代わってほしいと言っている、と、姉が母に携帯を渡すと、電話越しに聞こえるHさんの声。
しっかり食べてね
ちゃんと運動もしてね
身体には気をつけて元気でいてね
その日もまったく食が進まず、心配でわたしも駆けつけたのに、「ちゃんと食べてるわよお」と涼しい顔して応える母。
おいいいーಠ_ಠと姉と顔を見合わせていると、話が終わったのか電話を切り、そして「Hさんたら、さよなら、だって」と、手にした携帯をじっと見つめていました。
その言葉と母の表情でわたしは気づきました。
あ、母は無意識になにか違うと感じているんだ。
きっとこれまではHさんは、こう言って電話を切ってたんだろう。
「じゃあ、またね」
いつでもそれが二人の会話で、そう言って締めくくっていたんだろう。次に会う、電話する、どこかいく、はっきりとした約束でなくても、二人の間にはいつでも「また今度」があった。当たり前のようにお互いそうおもってた。
さよなら、なんて。
もう、最後みたいじゃんか
親友の認知が進んでいるということを、人はどんな気持ちで聞くのだろう。Hさんも切なかったに違いない。そんなHさんを想うとわたしの胸もきゅっとなる。
だから、Hさんには頼めない。
またときどきは会いにきて欲しいとか、電話してあげて欲しいとか。変わってしまった友人と会うのはきっと辛いことだろう。ただ、どうかおかやんを忘れないでいてと、そんな贅沢なことを願う。
その日は三時間かけて、なんとかご飯一杯とプリンを食べさせ、夏至だというのに暗くなってから、じゃあね、と手を振って帰路につく。
じゃあまたねって言う
なんどでも言う
それを言えるしあわせを噛みしめる。