すきなものだけで生きていくのだ | みやみの『住めばmiyako』

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いつか沖縄で開業する日を夢見て、仕事に遊びに全力疾走中♪

きょうもきょうとてきょうふう地獄

 

 

て、

なんど言わせたら気が済むんだ!!

もう強風ぐらいじゃビビってやんねー!!ムキー

 

ええ、いいかげんビビりはしませんが

べつだん、慣れもしなければ

腹がたつのも変わりなく。

 

しつこく北に進路をとり

いつもの呪文を唱えつつ

仕事の関係で本日は30分ショートの120分

 

開花予報は24日とのことですが

ほんとにこれが咲くんですかね。

夏も長けりゃ冬も長すぎ。

日本の春秋はどこ行っちゃったんでせう。

 

堅く閉じられた蕾を見上げつつ

咲くのは大根の花ばかり(トオイメ)

 



 

 

台風台風台風

 

 

 

先日、取り上げた「傲慢と善良」。

 

昨日のご婦人会でもその過半数が読了、話題の本だったことをいまさらながら知りました。(ドヤ顔で紹介してさーせん!)

 

そのとき、紹介した言葉の件。

 

「(その言葉に)救われました。ありがとうございます」とメッセージをいただいたのは今朝のこと。

 

いえいえ、どんでもねーことでございます、単なるパクリですからねと恐縮しながら、なぜじぶんがこの言葉にずぎゅんときたかと考えるに、まさしくじぶんがそんなふうに、人の目標を生きてきたからだと気が付きました。

 

「あなたがそうしたい、と強くおもわないのだったら、人生はあなたの好きなことだけでいいの。興味が持てないことは恥ではないから」

 

それは

 

例えば、そこを目指すにあたり、ある程度のことを犠牲にし、本気で取り組めないなら、それはそれほどまでに「そうしたい」とおもっていないということ。

 

そんな「本気」でもないもののために、中途半端に「好きなこと」を手放し、目指しているふりしてても、やっぱりたどり着けないという、

 

まさに、わたしのことだなあとw

 

誤解を恐れずにいうなれば。

 

国際ランナーになりたい!とおもっていた時期はありました。

3.13カット(当時の基準)してその舞台に立ちたい!と夢見ていたころもありました。

 

けど、結局は「そこまでつよくおもってなかった」いうのが本当のところ。

 

わたしのような農耕馬。簡単にたどり着けるところではないことは十二分にわかっており、けど、そのためになにかを犠牲にしてまで得たいという強い欲求が、実は深い根っこのところにはなかったんじゃないかっておもいます。

 

もちろん「無理だ」と己を知り、どっかで限界を感じていたのかもしれません。が、その前にその限界を乗り越えようとする「そこまでの強い気持ち」がなかった。

 

なんかね、国際ということばに、憧れていたんだとおもいます。みんな目指してたしかっちょいいっておもったし、そこにいくみんながまぶしかったし。もちろん興味がないわけでもなかったし。

 

けど、

 

この数年で走れなくなったこともあり、国際というものに興味がなくなり(なんかえらそーですね。「興味」の対象にすること自体生意気でさーせん)けど、興味がなくなったことは「負け犬」みたいで、恥ずかしいことだと思っちゃってたんですよね。

 

べつに興味なんかなくっていいんじゃね。

人生好きなものだけでいいんじゃね。

(興味がないというのは「それを目指すこと」が自分のライフワークでという意味で。そこを走るひとたちは変わらずリスペクトしてます)

 

たぶん、その言葉で楽になったんでしょうね。

 好きなよーに走ってればそんでいいんだと。


これまでたくさんたくさん走ってきて、わかったことはただ「走るのがすき」ということ。記録のために日々のそれをわたしはきっと我慢したくないということ。


ただ、「別大」は好きだから、そのためには頑張れるかな。あとあの山のてっぺんにも駆け上がりたい富士山

 

そのための本気ならだす。

そのための本気しかもう出せない←

 

いつかそれにも興味がなくなるときがくるんでしょうか。

 

けどそのときもそんな自分を恥じないように。ほんとうにじぶんが好きなものだけで生きていこうとおもいます。

 

そんなわたしがただ「楽しそう」と「はしりたい」という気持ちだけでエントリしたレース。

その詳細はまた今度。(ダレトク情報w)