走らせていただく | みやみの『住めばmiyako』

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いつか沖縄で開業する日を夢見て、仕事に遊びに全力疾走中♪

どーでもいい話ですが、足の爪を切るタイミングがわかりません。

 

思えばこれまでの数年間、それは外部による契機があり、

 

スカッシュをしていたあの頃は踏み込む力で常に死に(なのでいつもポロリと生え変わっていた)

 

ランを始めるようになれば、レース一週間(まで)には切るルーティン。

 

そんなタイミングに頼っていたため、ふと足を見るとまあ長ぇ(キタナイ)

 

レースがないと、こんなところまでに影響が及ぶのねー、と慌てて爪を切るランナーあるある。(ありません)

 

※爪切ってもキタナイことは措く

 


 

 

あしあしあし

 

 

さて、先週末は実に穏やかな絶好のラン日和。

 

そのためか、「いかにして周囲の理解を得ながら快適に走るか」を試行錯誤している写真や動画を多く目にしました。

 

バフをこうしてかぶったらずれずに快適に走れるかも。

いや、バフじたいを三つに切ってアレンジするとマスクになるよ。

大会Tシャツの袖部分を切ってマスクを作る方法もあるみたい。

このなんちゃらっていう製品はバフより楽に走れるよ

 

と、山中教授に端を発した「バフラン」をもとに、さらに進化している「マスクラン」事情。

 

そのアイデアと熱心さは、ランナーの真面目さとランに対する情熱を物語っている気がします。

 

そう、わたしたちはわかってる。

走らせてもらっているということに。

 

スカッシュを例に挙げるならば、基本室内で互いに接近し、プレーする競技という性質上、今の時点でそれをすることは難しいのだろうと思慮します。(基本コートがあるのはスポーツジムなので閉鎖されているという事情もあるかと)

 

他のスポーツもおそらく同じように、それを趣味としていた方々は今は我慢をしていることもあろうか、と

 

思うとね、本当にね、

 

マラソンが趣味であったことと、今それがギリギリできる環境にあることに、感謝しかないのです。

 

走らせていただいている、ということは日に日に強く感じています。

 

だからちゃんと自分ができることはしっかりと自重して、

 

たとえ公園や公道に行き、ファミリーが楽し気にたむろっていても、おばちゃんたちが歓談してても、

 

一人で走っているだけだから、ちゃんとマスクしているから、などと「だから自分はいい」という自分だけの基準で、


他の人に対して腹を立てたり、呆れたり、攻撃の目を向けたりすることなく、

 

他の人から見たら理解できない行動をしているかもしれない自分、そして「自分だってそこ(公園や公道)にいる」という自覚をもって謙虚でいたいと思います。(もともと用もないのに「走る」という行動を理解できない人もたくさんいましたしね)

 

などと、


熱く語ってしまったのは、自分自身、ちょっとバフランをし始めたからと(←すぐ調子に乗るw)、この週末にどっかそんな気持ちで、他人を見ていなかったかなぁと反省するため。

 

走らせてもらっていることを忘れずに。

走れるということに胡坐をかかずに。

 

周りの人に感謝できる自分でありたいと

今一度自戒をこめて。