ほとんどテレビを観ないので、去年流行っていたこととか、流行っていた歌とか、結局、流行り終わった年末に、それを知るのは毎年のことなんですが、
大晦日、久々に紅白なんかを観て、ああ、こういうのが流行っていたのねえ、と知った中に、斉藤和義さんの「やさしくなりたい」って曲がありました。
わたしは恥ずかしながら、斉藤和義さんも知らなければ、その曲も全く知らず、なんちゃらというドラマの主題歌に使われていたと聞いてもぴんとこず、ただ、その歌詞に、今更ながら、ぐっときてしまいました。
同異義語、なんですね。
「やさしくなりたい」と「強くなりたい」ってのは。
わたしも、いつも、ずっと思っていました。「本当に強い人は、本当に優しい」と。
わたしが、司法書士の受験生だった頃のはなし。
仲が良かった仲間は、いつも励ましてくれました。優しいメールもくれました。「ガンバレ」「大丈夫」。そんな言葉をかけ続けてくれました。
もちろん、嬉しい気持ちもありました。けれど、正直、かけ続けられるメッセージに、応える時間や余裕さえない自分がいたことも確かです。それにより、その言葉に甘え、都度緊張感を失い、気が散漫になったことも事実です。
そして、迎えた試験当日。前日まで、たくさんの人が応援のメッセージをくれました。もちろん、とても嬉しく心強く思っていました。
けれど、わたしの心に染みたのは、試験直後の一本の電話。
「お疲れ」
それは、受験仲間で一番仲の良かった友人でした。
わたしより一年早く合格してしまった彼。思えば、合格直後から、彼からの連絡が途絶えました。
余裕もなかったし、そのことを気にすることも無かったのですが、聞けば、彼は合格後、わたしの一切のアドレスを意図的に消したとのことでした。「もし、誤作動で、電話なんてかけたりしたら大変だ」と。
彼は、「何もしない」ということが、一番の応援になるということを知っていたのです。
受験期間の友人からのメールや電話。嬉しいと思う反面、多分、それに応えることで、本人は貴重な時間や思考を浪費してしまう、と彼は考えたんだと思います。
「ガンパレ」という言葉は頑張っている相手には必要ない。
「大丈夫」という励ましより、自分のことを思い出させ、「ありがとう」なんて返信させる時間なんて与えてはいけない。
例え、誤作動であっても、自分からの着信があったら、折り返してくるだろう、と彼はその可能性を一切絶つべくわたしのアドレスの一切を消したといいます。
そして、試験当日、ようやく別の友人から、わたしの電話番号を聞きだし、試験直後に電話をしてきてくれたのでした。
何もしないという優しさ。
多分、本当に強くなければできない、とわたしは感じました。
心から応援したい相手には、つい声を掛けてしまう。声を掛けることで、自分自身も満足するから。応援しているんだよって知らせたいから。
声を掛けるのは簡単。
それを、声を掛けずに見守るということの方が、もっと苦しく、もどかしく。それでも彼は、一年間、沈黙を守り続けてくれたのです。
その時わたしは、「何もしない」という本当の優しさ、そして強さを彼から教えてもらいました。
「強くなりたい、やさしくなりたい」
わたしもいつも思います。
誰も傷つけずに済むくらい、強くなりたい。
年の瀬、年越しそばを食べながら、そんなことをつらつら思っておりました。