
存在しない十三人目
第3話 七番目の記録
「今朝、亡くなったそうです」
警備員の言葉が、頭から離れなかった。
相馬冬真は病院の駐車場に停めた車の中で、田所の名刺を見つめていた。
旧館地下 12:40
間違いなく、午前十時に会った男が書いた。
そして右下には、薄い赤鉛筆で、
07
とある。
冬真はスマートフォンを取り出した。
検索窓に、
市立中央病院 田所修一
と入力する。
病院の職員紹介。
過去の広報誌。
講演会の記録。
いくつか検索結果が出た。
その中に、五年前の病院広報誌があった。
PDFを開く。
ページをめくる。
地域医療連携についての記事。
そこに小さな写真が掲載されていた。
総務課 田所修一
冬真は写真を拡大した。
「……」
眼鏡。
痩せた顔。
短い白髪。
午前十時。
自分と話した男だった。
間違いない。
では、警備員が嘘をついたのか。
それとも――。
冬真は考えるのをやめた。
何を考えても、まともな答えにならなかった。
スマートフォンが震えた。
柴崎からだった。
「はい」
『相馬、お前どこいる?』
「病院です」
『知ってるよ。もう終わっただろ』
時計を見る。
午後一時十二分。
「すみません。今から戻ります」
『昼飯食ってからでいいぞ』
「はい」
『それと』
「何です?」
『病院の案件、一回止めるって』
冬真は顔を上げた。
「誰が言ってました?」
『先方から電話あった』
「いつ?」
『さっき』
「誰から?」
少し間があった。
『総務の田所さん』
冬真の手が止まった。
「……誰ですか?」
『だから田所さん』
「田所修一さん?」
『そこまでは知らんよ。担当の田所さんだろ』
「部長」
『何だよ』
「その電話、何時にありました?」
『十二時半くらいじゃない?』
十二時半。
冬真が地下へ向かっていた時間だ。
「声、男でした?」
『男だよ。どうした?』
冬真は答えられなかった。
『相馬?』
「……戻ってから話します」
電話を切った。
田所の名刺を見る。
昨日倒れ、
今朝死亡した男。
午前十時、冬真と話した。
午後十二時半、会社へ電話した。
何かがおかしい。
いや。
もう、「何か」ではなかった。

午後二時過ぎ。
冬真は会社へ戻った。
営業部にはいつも通り電話の音が鳴り、キーボードを叩く音がしている。
宮下が冬真に気づいた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
「病院どうでした?」
「……ちょっと延期になった」
「そうなんですか」
宮下はそれ以上聞かなかった。
冬真は柴崎の席へ向かった。
「部長」
「おう」
「さっきの電話なんですけど」
「ああ」
「どの番号からでした?」
「病院じゃないの?」
「着信履歴見せてもらえます?」
柴崎が怪訝な顔をした。
「お前、今日変だぞ」
「ちょっと確認したいことがあって」
「何?」
冬真は迷った。
田所が死んだこと。
黒い本。
赤い13。
07。
どこまで話すべきか。
昨夜の電話が蘇る。
その本を、誰にも見せるな。
「……病院で担当者が変わるかもしれないって言われたので」
嘘をついた。
「それだけ?」
「はい」
柴崎は机の電話を操作した。
着信履歴。
12:31。
番号が表示されている。
冬真はスマートフォンへ入力した。
検索。
市立中央病院の代表番号ではない。
市外局番すら違う。
「これ、どこの番号です?」
「知らんよ」
「折り返しました?」
「してない」
冬真は番号を検索した。
結果は出なかった。
個人の固定電話か。
あるいは。
「相馬」
「はい」
「お前、本当に大丈夫か?」
柴崎が真顔になっていた。
「大丈夫です」
「ならいいけど」
冬真は自分の席へ戻った。
パソコンを起動する。
午前中確認したPDF。
市立中央病院。
対象資料一覧。
ファイルを開こうとした。
エラーが表示された。
指定されたファイルが見つかりません。
「……またかよ」
フォルダを見る。
見積書。
仕様書。
作業工程表。
対象資料一覧だけが、
消えていた。

冬真はすぐに社内システム担当の席へ向かった。
東和記録に専門の情報システム部門はない。
パソコン関係に詳しい社員が兼任している。
その担当が、
榊原直哉。三十六歳。
制作部所属。
無口で、必要なこと以外ほとんど話さない男だった。
「榊原さん」
「はい」
「共有のファイルって、消した人分かります?」
榊原はモニターから目を離さない。
「場合によります」
「履歴とか残ってないですか?」
「サーバーには残ります」
「見てもらっていいですか?」
そこで初めて、榊原が冬真を見た。
「何のファイル?」
「市立中央病院の案件です」
榊原の表情は変わらなかった。
「ファイル名は?」
「対象資料一覧」
「いつ消えた?」
「分かりません。午前中にはありました」
「ちょっと待って」
榊原がキーボードを操作する。
数分。
冬真は横で待った。
「削除されてますね」
「誰に?」
「アカウントは……」
榊原の手が止まった。
「どうしました?」
「相馬さん」
「はい」
「これ、あなたですよ」
冬真は画面を覗き込んだ。
削除ログ。
時刻。
13:07:12
ユーザー。
T.SOMA
「いや、俺その時間、病院にいました」
「でも相馬さんのアカウントで消されてます」
「会社にいないですよ」
「ログイン情報知ってる人います?」
「いません」
「パスワードは?」
「教えたことないです」
榊原は少し考えた。
「じゃあ、乗っ取られたか」
あまりにも普通の口調だった。
「そんな簡単に?」
「簡単ではないです」
「じゃあ何で」
榊原は答えず、別の画面を開いた。
「接続元調べます」
数秒後。
榊原の眉がわずかに動いた。
「……変だな」
「何が?」
「社外じゃない」
「え?」
「このパソコンからです」
榊原が指差した。
冬真のデスク。
「午後一時七分、あなたのパソコンからログインして、ファイルを消してる」
冬真は自分の席を見た。
午後一時七分。
自分はまだ病院の駐車場にいた。
会社にはいない。
だが誰かが、
冬真の席に座っていた。

「防犯カメラ」
冬真が言った。
「ありますよね」
榊原が頷いた。
東和記録は顧客の機密文書を扱う。
社内には複数の防犯カメラがある。
営業部そのものは映していないが、二階へ上がる階段と廊下には設置されている。
「映像見られます?」
「勝手には無理です」
「誰に言えば?」
「柴崎部長か社長」
冬真は少し考えた。
柴崎に事情を説明する必要がある。
だが、説明すれば黒い本のことまで聞かれるかもしれない。
「……ちょっと待ってください」
榊原が言った。
「何です?」
「別のログがある」
画面を見る。
13:02。
二階入口。
社員証認証。
13:05。
営業部端末ログイン。
13:07。
ファイル削除。
13:09。
端末ログアウト。
13:11。
二階出口。
冬真は社員証認証の欄を見た。
名前が表示されている。
相馬冬真
「社員証まで?」
冬真は財布を出した。
カードケース。
自分の社員証はある。
朝からずっと持っている。
「コピーできます?」
「理論上は」
「そんな簡単に?」
「簡単じゃないです」
榊原がまた同じ言葉を使った。
冬真は画面を見つめた。
誰かが自分の社員証を複製し、
自分のパスワードを知り、
自分のパソコンを使って、
病院の資料だけを消した。
目的は明らかだった。
13を消すこと。
「カメラ」
冬真は言った。
「やっぱり見たいです」
榊原が何も言わない。
「俺、部長に話してきます」
冬真が立ち上がる。
「相馬さん」
呼び止められた。
振り返る。
榊原はモニターを見ていた。
「防犯カメラ、見ても意味ないですよ」
「何でです?」
榊原が画面を切り替えた。
録画状況。
二階廊下。
13:00から13:15。
映像データなし。
「十五分だけ録画されてない」
「故障?」
「故障なら、その後も映らない」
13時16分からは正常に録画されている。
「誰かが消した?」
「可能性はあります」
「その履歴は?」
榊原は答えなかった。
冬真は画面を見る。
そして気づいた。
映像が消えている時間。
13:00。
13:01。
13:02。
十五分間。
「……十三時」
口に出した。
榊原が冬真を見た。
「何です?」
「いや」
偶然。
数字に敏感になっているだけだ。
そう思った。
そのとき。
榊原が言った。
「相馬さん」
「はい」
「さっきから十三、十三って」
冬真は固まった。
「俺、言いました?」
「え?」
「13って」
榊原は黙った。
冬真は思い返した。
市立中央病院の案件。
ファイルが消えた。
自分のアカウントが使われた。
それしか説明していない。
赤い13について、榊原には一度も話していない。
「榊原さん」
「……」
「何で13って知ってるんですか?」
数秒。
榊原は冬真を見ていた。
そして、
「今、相馬さんが言ったからですよ」
と答えた。
確かに。
直前に冬真は、
「十三時」
と言った。
それだけだ。
「……そうですよね」
冬真は笑った。
「すみません。俺、ちょっと疲れてるみたいです」
「休んだ方がいいですよ」
「そうします」
冬真は席へ戻った。
だが。
一つだけ引っかかった。
榊原は、
「十三時」
とは言わなかった。
「十三、十三って」
と言った。

午後六時。
冬真は仕事を切り上げた。
柴崎には体調が悪いと伝えた。
嘘ではなかった。
頭が重い。
会社にいる人間すべてが怪しく見える。
宮下。
柴崎。
榊原。
昨夜会社にいたという知らない男。
そして、
自分自身。
車に乗る。
エンジンを掛ける。
会社を出ようとして、ふと思った。
昨日。
黒い本を持った男を宮下が見た。
その男が資料を差し替えた可能性がある。
なら。
男が会社へ入った記録が残っているのではないか。
冬真はエンジンを止めた。
スマートフォンを取り出す。
榊原へ電話する。
出ない。
もう帰ったのだろうか。
冬真は車を降りた。
会社へ戻る。
入口。
社員証をかざす。
電子音。
中へ入る。
一階の作業場にはまだ数人残っている。
二階へ上がった。
営業部。
誰もいない。
柴崎も帰ったようだ。
制作部を見る。
暗い。
「榊原さん?」
返事はない。
冬真は昼間見た入退室管理システムを思い出した。
榊原のパソコン。
当然、勝手に触ることはできない。
だが。
デスクの上に、一枚の紙が置かれていた。
冬真は足を止めた。
A4のコピー用紙。
中央に数字が一つだけ印刷されている。
07
冬真の呼吸が止まった。
病院で田所から受け取った名刺。
そこにも同じ数字があった。
冬真は紙へ近づいた。
その下に、小さな文字がある。
保管期限:終了
「……何だよ、これ」
紙を持ち上げる。
裏。
何もない。
その瞬間。
背後で音がした。
カチャ。
冬真が振り返る。
廊下のドア。
誰かが閉めた。
「誰かいます?」
返事はない。
冬真は廊下へ出た。
「榊原さん?」
静かだった。
階段を見る。
誰もいない。
一階へ降りようとした。
そのとき。
三階から、
足音がした。

東和記録の三階。
冬真は普段、ほとんど上がらない。
会議室。
備品庫。
そして資料保管室。
足音は確かに上から聞こえた。
冬真は階段の下に立った。
「誰ですか?」
返事はない。
帰るべきだ。
そう思った。
だが手には、
07
と印刷された紙がある。
冬真は階段を上った。
三階。
廊下の照明は半分落ちていた。
人はいない。
「榊原さん?」
奥。
資料保管室のドアが、
少し開いている。
冬真はゆっくり近づいた。
ドアを押す。
暗い。
照明を点ける。
金属製の棚が何列も並んでいる。
顧客から預かった資料は一階の専用保管庫に置かれる。
ここにあるのは主に、
東和記録自身の古い社内文書。
冬真は入口に立った。
誰もいない。
「……気のせいか」
戻ろうとした。
そのとき。
一番奥の棚。
床に何か落ちている。
古いファイルだった。
背表紙がこちらを向いている。
冬真は近づいた。
埃をかぶった灰色のファイル。
ラベル。
1996
冬真は動かなかった。
病院の資料。
赤い13が書かれていた年度。
一九九六年。
偶然だ。
会社に一九九六年の資料があっても何もおかしくない。
冬真はファイルを拾った。
中を開く。
東和記録株式会社。
当時は、
東和印刷有限会社
という名前だったらしい。
社員名簿。
決算書。
取引先一覧。
冬真はページをめくる。
一枚の書類で手が止まった。
社員健康診断実施記録
市立中央病院。
東和印刷。
一九九六年。
二つが初めて、明確につながった。
ページをめくる。
社員の氏名が並んでいる。
十二人。
一番下。
赤鉛筆で横線が引かれている。
そして余白に、
13
冬真は息を呑んだ。
昨日見たものと同じだった。
同じ色。
同じ書き方。
さらに。
その紙の裏に、もう一枚挟まっている。
写真だった。
古い集合写真。
東和印刷の社員たちだろう。
建物の前に、
十三人の男女が並んでいる。
冬真は一人ずつ見る。
知らない顔ばかり。
一番右。
若い男。
三十歳くらい。
冬真は写真を近づけた。
知っている。
いや。
知っているどころではない。
七年前に死ぬまで、
何度もその顔を見てきた。
若い頃の、
父だった。
相馬宗一郎。
「……親父?」
写真の裏を見る。
日付。

1996年11月13日
そして十三人の名前。
一番下。
相馬宗一郎
冬真はその文字を見つめた。
父から聞いたことがない。
父が東和記録――当時の東和印刷で働いていたことなど。
一度も。
そのとき。
資料保管室の照明が消えた。
真っ暗になった。
「……誰だ!」
冬真はスマートフォンを出した。
ライトを点ける。
入口を見る。
誰もいない。
だが。
廊下から声がした。
男の声だった。
「その写真を置け」
冬真は動かなかった。
聞き覚えがある。
昨夜。
非通知で電話してきた男。
「誰なんだ」
返事はない。
「親父のこと知ってるのか」
数秒。
そして男は言った。
「知っている」
冬真は入口へ向かう。
「待て!」
男の声。
「相馬冬真」
冬真の足が止まる。
「今、その部屋から出るな」
「ふざけんな」
「出れば死ぬ」
冬真は黙った。
廊下の向こう。
何かが動く音。
次の瞬間。
一階から、
大きな破裂音が響いた。
一度。
二度。
そして、
建物全体の照明が消えた。
非常灯だけが、
赤く点灯する。
冬真は写真を握ったまま立っていた。
スマートフォンが震えた。
非通知。
冬真は通話ボタンを押した。
「何が起きてる」
男は答えなかった。
代わりに、
一つだけ聞いた。
「写真には、何人写っている?」
冬真は写真を見る。
十三人。
「十三人」
電話の向こうで、
男が小さく息を吐いた。
「違う」
冬真の背中が冷たくなった。
「……何が」
「もう一度、数えろ」
冬真はライトを写真へ向けた。
一人。
二人。
三人。
ゆっくり数える。
十。
十一。
十二。
十三。
そして。
冬真の指が止まった。
写真の一番端。
暗い窓ガラス。
そこに、
もう一人。
人影が映り込んでいる。
撮影者ではない。
建物の中から、
十三人を見ている男。
顔は暗くて分からない。
冬真は写真を持つ手に力を入れた。
電話の男が言った。
「十四人目を探すな」
通話が切れた。

