
存在しない十三人目
第4話 父の空白
「十四人目を探すな」
電話は切れていた。
相馬冬真は、暗闇の中でスマートフォンを耳に当てたまま動けなかった。
非常灯の赤い光。
手には一枚の古い集合写真。
十三人の男女。
そして窓ガラスに映った、もう一人の男。
十四人目。
一階から聞こえた破裂音の正体も分からない。
冬真はもう一度電話を確認した。
非通知。
当然、かけ直せない。
「……ふざけんなよ」
小さく呟いた。
探すな。
そう言われて、
分かりましたと写真を戻せるわけがない。
何より。
写真には父がいる。
相馬宗一郎。
父は冬真が二十五歳のときに死んだ。
病気だった。
少なくとも、
冬真はそう聞いている。
その父が、一九九六年。
今、自分が働いている会社にいた。
そんな話は一度も聞いたことがない。
冬真は写真をスマートフォンで撮影した。
表。
裏。
社員名簿。
健康診断実施記録。
赤鉛筆の13。
すべて撮る。
原本は戻した。
なぜか、持ち出してはいけない気がした。
資料保管室を出る。
一階へ降りる。
途中で照明が復旧した。
「相馬さん!」
一階から声がした。
作業場の社員が数人集まっている。
「大丈夫でした?」
「何があったんです?」
「分電盤らしいですよ」
「分電盤?」
「なんか破裂したみたいで」
見ると、作業場の一部が焦げ臭い。
設備トラブル。
ただの事故。
そう説明されれば、
そう見える。
だが冬真には、もう何が偶然なのか分からなかった。
「怪我した人は?」
「いないです」
「よかった……」
そのとき。
冬真は一人足りないことに気づいた。
「榊原さんは?」
社員たちが顔を見合わせる。
「榊原さん?」
「はい」
「今日、休みですよ」
冬真は笑った。
「いやいや」
誰も笑わなかった。
「昼間、いましたよ」
「いないですよ」
「俺、話しました」
作業場の社員が首を振る。
「榊原さん、昨日から休んでますよ」
冬真の喉が鳴った。
「……昨日から?」
「有休です。明日まで」
冬真は二階を見上げた。
昼間。
サーバーのログを調べてくれた男。
榊原直哉。
確かにそこにいた。
会話した。
画面も見た。
だが。
病院でも同じことが起きている。
昨日倒れた田所。
今日、冬真と話した田所。
そして今度は、
会社にいなかったはずの榊原。
冬真はポケットに手を入れた。
昼間、榊原の机で見つけた紙。
07
紙は、
なくなっていた。

帰宅したのは午後八時を過ぎていた。
黒い車はいない。
冬真はアパートの周囲を一周してから部屋へ入った。
鍵を掛ける。
チェーンも掛けた。
旅行鞄を取り出す。
黒い本。
THE THIRTEENTH
ページをめくる。
赤線。
TWELVE
ARE
DEAD
THE
THIRTEENTH
IS
ALIVE
十二人は死んだ。
十三人目は生きている。
そして父の文字。
冬真へ。次は君の番だ。
「親父……」
冬真は本を閉じた。
父のことを、
どこまで知っているだろう。
相馬宗一郎。
地方銀行勤務。
冬真が子供の頃は支店勤務。
その後、本部へ異動。
五十八歳で退職。
六十一歳で病気が見つかり、
六十二歳で死亡。
真面目な人だった。
酒はほとんど飲まない。
ギャンブルもしない。
休日は本を読んでいることが多かった。
冬真が大学へ進学するとき、
県外へ行くことに反対しなかった。
就職するときも、
好きなところへ行けと言った。
ただ。
東和記録への就職が決まったとき。
父が一度だけ、
妙なことを言った。
「そこにしたのか」
それだけ。
祝ってくれなかったわけではない。
後日、腕時計を買ってくれた。
だから冬真も気にしなかった。
九年前の記憶。
今になって、
その一言だけが異様に重く感じられた。

父の遺品は、それほど多く残っていない。
母は冬真が高校生の頃に亡くなっている。
父の死後、実家を処分した際、
必要なものだけ冬真が引き取った。
押し入れの奥。
段ボール箱。
久しぶりに開ける。
アルバム。
年賀状。
銀行時代の名刺。
古い手帳。
写真。
冬真は一つずつ確認した。
東和印刷。
東和記録。
それらしいものはない。
銀行員になる前の経歴。
父からは、
大学卒業後、そのまま銀行へ入ったと聞いている。
一九九六年。
父は三十二歳。
集合写真の男も、
そのくらいに見えた。
「……待てよ」
冬真はスマートフォンを取り出した。
父の生年月日を確認する。
一九六四年。
やはり三十二歳。
東和印刷で撮られた写真。
一九九六年。
父、三十二歳。
冬真は手を止めた。
自分も今、
三十二歳。
偶然だ。
また数字に意味を探している。
冬真は首を振った。
段ボールの底に、
大学の卒業証書があった。
父のものだ。
その下。
銀行の辞令。
入行年月日。
冬真は目を細めた。
1997年4月1日
「……え?」
聞いていた話と違う。
大学を卒業したのは一九八七年。
銀行へ入ったのは、
一九九七年。
十年間。
空白がある。
その十年を、
父は冬真に話していない。

冬真は床に資料を並べた。
大学卒業。
一九八七年。
銀行入行。
一九九七年。
東和印刷の集合写真。
一九九六年。
父は少なくとも、
銀行員になる直前、
東和印刷にいた。
では、その前は?
古いアルバムを開く。
大学時代。
卒業式。
次のページ。
いきなり一九九八年。
銀行の同僚らしき人たちとの写真。
十一年間が抜けている。
アルバムから写真を外す。
裏を見る。
何もない。
次。
何もない。
三枚目。
薄い鉛筆で、
98.5.16
日付。
普通だ。
冬真は戻そうとした。
そのとき、
アルバムの台紙に何か挟まっているのが見えた。
小さな紙。
古い写真だった。
父。
若い。
隣に知らない男が立っている。
場所は駅のホーム。
後ろに駅名標が見える。
文字の一部だけ。
――沢
知らない駅だった。
写真の裏。
日付はない。
代わりに、
数字が二つ。
07 / 13
冬真は息を止めた。
また07。
そして13。
「何なんだよ……」
写真の男を見る。
父ではない方。
四十代くらい。
眼鏡。
どこかで見た気がする。
だが思い出せない。
冬真はスマートフォンで撮影した。
画像を拡大する。
男の胸元。
何かを下げている。
社員証のようなカード。
文字は潰れて読めない。
ただ、
ロゴが見える。
冬真はその形を知っていた。
毎日見ている。
東和記録の旧社章。
つまりこの男も、
東和印刷の関係者。
冬真は集合写真をスマートフォンに表示した。
十三人。
一人ずつ確認する。
いた。
後列。
父から三人離れた場所。
駅の写真に写っている男。
同一人物だった。
そして、
集合写真の裏に書かれた十三人の名前を照合する。
男の名前。
三枝隆文。
冬真はその名前を検索した。
何件か出る。
同姓同名。
会社経営者。
大学教授。
地方議員。
該当する人物か分からない。
さらに検索する。
"三枝隆文" "東和印刷"
結果。
ゼロ。
"三枝隆文" "市立中央病院"
ゼロ。
冬真は検索窓を閉じようとした。
そのとき。
スマートフォンにメッセージが届いた。
知らない番号。
本文は、
一行だけだった。
検索するな。
冬真の指が止まった。

電話番号へ発信する。
『おかけになった電話番号は――』
使われていない。
冬真は舌打ちした。
監視されている。
もう疑いようがない。
問題は、
どこまで見られているのか。
スマートフォン?
会社?
自宅?
冬真は部屋を見回した。
急に、自分の部屋ではないように感じた。
テレビ。
エアコン。
時計。
コンセント。
火災報知器。
盗聴器。
そんなもの、本当に見つけられるのか。
冬真はスマートフォンの電源を切った。
パソコンも切る。
カーテンを確認する。
そして。
紙に書いた。
三枝隆文
その下。
07 / 13
さらに。
1996
デジタルが見られているなら、
紙ならどうだ。
馬鹿げている。
だが今は、
それしか思いつかなかった。
冬真は父の古い手帳を開いた。
一九九六年のものがあれば。
何冊か確認する。
一九九四年。
一九九五年。
一九九七年。
「……ない」
一九九六年だけ、
ない。
冬真は手帳を年月順に並べた。
94。
95。
97。
98。
やはり。
一冊抜けている。
そのとき、
玄関の外で音がした。
カタン。
冬真は顔を上げた。
郵便受け。
誰かが何かを入れた。
時計を見る。
午後九時三十六分。
こんな時間に郵便は来ない。
冬真は立ち上がった。
玄関へ近づく。
ドアスコープ。
誰もいない。
チェーンを掛けたまま少し開ける。
廊下。
誰もいない。
足元。
封筒が一つ落ちている。
白い封筒。
冬真は拾った。
宛名。
相馬冬真様
差出人。
なし。
部屋へ戻る。
封を開ける。
中に入っていたのは、
古い手帳だった。
表紙。
1996
冬真はしばらく、
それを見つめた。

父の手帳。
そう思った。
だが違った。
最初のページ。
所有者名。
三枝隆文
冬真は椅子に座った。
なぜ、
探していた男の手帳が、
今この瞬間に届く。
ページを開く。
予定。
会社名。
人名。
数字。
意味の分からない略号。
一月。
二月。
三月。
冬真は飛ばしていく。
十一月。
集合写真が撮られた月。
十一月十三日。
予定欄には、
何もない。
ただ、
ページ全体に大きな斜線が引かれている。
赤鉛筆。
次の日。
十一月十四日。
空白。
十五日。
空白。
十六日。
空白。
そして、
十一月十七日。
一行だけ書いてある。
12名 処理完了
冬真は手を止めた。
十二人は死んだ。
黒い本の文章。
頭の中で重なる。
ページの下。
さらに小さな文字。
13 保留
その下。
07 移送
冬真の呼吸が浅くなった。
十二。
十三。
七。
全部ここにある。
次のページをめくる。
十一月十八日。
何もない。
十九日。
何もない。
二十日。
一行。
Sへ返却
S。
相馬?
宗一郎?
考えすぎか。
さらにページをめくる。
十一月二十一日。
赤鉛筆で、
一つの住所が書かれていた。
冬真は見覚えがあった。
いや。
見覚えどころではない。
二十五年以上前。
父と暮らしていた、
昔の実家の住所だった。
冬真は立ち上がった。
「……何で」
手帳を持つ手が震えた。
その住所の横。
小さな文字。
07 記憶良好
冬真は、その四文字を何度も読んだ。
記憶良好。
意味が分からない。
いや。
分かりたくなかった。
そして、
その下にもう一行。
冬真、七歳。
冬真は動けなくなった。
一九九六年。
自分は二歳だった。
七歳ではない。
「……違う」
声が出た。
「俺は……」
冬真は自分の生年月日を知っている。
一九九四年生まれ。
三十二歳。
間違いない。
免許証。
戸籍。
学校。
全部そうなっている。
ではなぜ。
一九九六年の手帳に、
冬真、七歳
と書かれている。
そのとき。
最初の記憶が蘇った。
父と行った図書館。
十二冊の本。
「ここに何冊ある?」
「十二冊」
「違う。十三冊だ」
冬真は、
七歳だった。
そう思っていた。
だが。
その記憶は、
一体いつの記憶なのだろう。
手帳の最後に、
紙が一枚挟まっていた。
折り畳まれている。
冬真は開いた。
短い文章。
三枝の筆跡なのかは分からない。
そこには、
こう書かれていた。
07が自分を相馬冬真だと認識した時点で、計画は失敗とする。
冬真は文章を読み返した。
一度。
二度。
三度。
そして初めて、
「07」という数字を、
自分から切り離して考えることができなくなった。

