存在しない十三人目

第5話 存在しない七歳

07が自分を相馬冬真だと認識した時点で、計画は失敗とする。

冬真は、その文章を何度読んだか分からなかった。

テーブルの上。

三枝隆文の手帳。

一九九六年十一月。

12名 処理完了

13 保留

07 移送

そして。

冬真、七歳。

冬真は自分の免許証を財布から取り出した。

生年月日。

一九九四年五月二十一日。

現在三十二歳。

一九九六年なら二歳だ。

七歳ではない。

単純な答えならいくらでも考えられる。

別の冬真。

三枝の書き間違い。

07と自分は無関係。

そもそも、この手帳自体が偽物。

誰かが冬真を混乱させるために作った。

むしろ、その方が自然だった。

今まで起きていることを考えれば、

誰かが意図的に自分へ情報を見せている。

黒い本。

消えた13。

父の写真。

三枝の手帳。

すべて、

冬真が自分で発見したように見える。

だが本当にそうか。

「……見つけさせられてる?」

冬真は呟いた。

誰かが、

冬真をどこかへ誘導している。

なら。

その相手が見せてくる情報ではなく、

自分で確かめた情報だけを信じる。

冬真はそう決めた。

最初に調べるものは、

自分自身だった。

 

 

 

 

 

翌朝。

冬真は会社へ連絡した。

体調不良。

有給を取った。

柴崎は、

「病院行けよ」

と言っただけだった。

病院。

その言葉に一瞬だけ身体が固くなった。

市立中央病院には行かない。

冬真が向かったのは、

市役所だった。

戸籍。

住民票。

自分が誰なのか。

最も基本的な記録から確認する。

発行された戸籍証明を、冬真は庁舎のベンチで開いた。

相馬冬真。

平成六年五月二十一日出生。

父。

相馬宗一郎。

母。

相馬美和子。

出生地。

市内の産婦人科。

何もおかしくない。

冬真は少しだけ息を吐いた。

当然だ。

三十二年間、

自分は相馬冬真として生きてきた。

次。

母子手帳。

これは昨夜、父の遺品と一緒に見つけていた。

出生時体重。

三一四二グラム。

身長。

五十・一センチ。

一か月健診。

三か月健診。

一歳六か月健診。

母の字で、

細かな記録まで残っている。

二歳の冬真は存在している。

一九九六年。

自分は間違いなく二歳だった。

なら、

手帳の「冬真、七歳」は何だ。

冬真は母子手帳を閉じた。

そのとき。

一枚の紙が床へ落ちた。

古い予防接種の記録。

拾おうとして、

裏面が見えた。

鉛筆で何か書いてある。

母の字ではない。

父の字だった。

7歳まで保管

それだけ。

冬真はしばらく見つめた。

「……また七かよ」

偶然。

予防接種の書類を七歳まで保管する。

それだけの意味かもしれない。

だが今の冬真には、

数字の7がただの数字には見えなかった。

 

 

 

 

 

次に向かったのは、

母校の小学校だった。

卒業して二十年。

校舎は建て替えられていた。

当然、突然訪ねても昔の記録を自由に見せてもらえるわけではない。

冬真は事務室で事情をぼかして説明した。

「自分の在籍記録を確認したくて」

対応した女性職員は困った顔をした。

「どういった理由でしょうか」

「昔の写真を整理してたら、入学した年が分からなくなって」

我ながら苦しい。

だが最終的に、

卒業年月と在籍期間だけは確認できた。

入学。

二〇〇一年四月。

卒業。

二〇〇七年三月。

正しい。

冬真は二〇〇一年、

七歳になる年に小学校へ入っている。

何もおかしくない。

校門を出る。

「俺は俺じゃん」

思わず口に出た。

少し笑った。

安心したかったのだと思う。

自分は一九九四年に生まれ、

二〇〇一年に小学校へ入学し、

普通に成長した。

誰かに記憶を植え付けられた人間でも、

七歳で突然現れた人間でもない。

少なくとも記録上は。

駐車場へ向かう途中、

冬真は足を止めた。

校舎の脇。

古い建物が一つだけ残っている。

図書館。

いや。

図書室とは呼べないほど大きい。

地域開放型の学校図書館。

冬真はその建物を見た。

胸の奥がざわついた。

高い天井。

縦長の窓。

古い煉瓦。

知っている。

父との記憶。

十二冊の本。

「……ここだ」

冬真は、

初めてそのことに気づいた。

 

 

 

 

 

学校へ戻り、

図書館を見せてもらえないか頼んだ。

今は倉庫として使われているらしい。

職員立ち会いなら、

という条件で中へ入ることができた。

扉が開く。

埃の匂い。

冬真は動かなかった。

記憶と同じだった。

天井。

窓。

壁。

二十五年前。

父と来た場所。

「この建物、昔は図書館でしたよね」

「そうですね」

職員が答える。

「学校の図書室だったんですか?」

「いえ。元々は市の図書館だったそうです」

「市立?」

「かなり昔ですけどね。その後、学校の敷地が広がって」

冬真は奥へ進んだ。

机はもうない。

棚もほとんど撤去されている。

それでも、

場所が分かった。

父が十二冊の本を並べた机。

ここだった。

「この図書館って、いつ閉館したんですか?」

「さあ……」

職員がスマートフォンで学校の沿革を確認する。

「あ。ありますね」

「何年です?」

「一九九七年」

冬真は振り返った。

「九七年?」

「はい。三月で閉館」

おかしい。

冬真の記憶では、

父とここへ来たのは七歳の冬。

冬真が七歳なら、

二〇〇一年。

だがこの図書館は、

その四年前に閉館している。

「一般の人が入れた可能性は?」

「閉館後ですか?」

「はい」

「建物は市から学校へ移管されてますから……難しいと思います」

冬真は何も答えなかった。

また一つ。

自分の記憶と、

記録が食い違った。

 

 

 

 

 

帰宅後。

冬真は紙に年表を書いた。

1994 出生

1996 二歳

1997 旧市立図書館閉館

2001 小学校入学・七歳

その横。

父と図書館へ行った記憶――七歳?

冬真は「七歳?」を丸で囲んだ。

記憶の中で、

自分が七歳だった証拠は何もない。

ただ、

なぜかずっと七歳だと思っていた。

父にそう言われたのか。

自分で後からそう思い込んだのか。

そして。

三枝の手帳。

一九九六年。

冬真、七歳。

もし。

あの図書館での記憶が、

一九九六年だったとしたら。

建物はまだ図書館として存在している。

時系列は合う。

だが、

一九九六年の冬真は二歳。

十二冊の本を数え、

父と会話できる年齢ではない。

「じゃあ……」

冬真は鉛筆を置いた。

考えたくない答えが、

少しずつ形になっている。

戸籍上の自分と、

記憶の中の自分。

どちらかの年齢が違う。

そのとき、

インターホンが鳴った。

冬真は身体を硬くした。

モニターを見る。

誰もいない。

「……」

玄関へ向かう。

今度はすぐに開けない。

ドアスコープ。

誰もいない。

足元。

何もない。

戻ろうとした。

インターホンが、

もう一度鳴った。

モニター。

誰もいない。

三度目。

冬真は受話ボタンを押した。

「誰ですか」

雑音。

「誰だ」

声。

女だった。

「相馬冬真さん?」

冬真は黙った。

「誰ですか」

「あなたが調べていることを知っています」

「……何で」

「三枝隆文の手帳を持っていますね」

冬真は玄関を見た。

「どこから見てる」

女は答えない。

「あなたは誰なんですか」

数秒。

「その手帳を信じないでください」

「何?」

「あれは三枝の手帳ではありません」

冬真はテーブルを見る。

一九九六年。

三枝隆文。

「じゃあ誰の?」

女は答えなかった。

代わりに言った。

「明日の午前十一時」

「待て」

「北城駅」

知らない駅名。

いや。

どこかで見た。

父と三枝が写った古い写真。

駅名標。

――沢

違う。

北城ではない。

「一人で来てください」

「何で俺が」

「07について知りたくないんですか?」

冬真は黙った。

「あなたが07なのか」

女が続ける。

「それとも――」

一瞬、雑音。

「07にされたのか」

通話が切れた。

 

 

 

 

 

翌朝。

冬真は北城駅にいた。

会社には二日続けて休むと連絡した。

地方の小さな無人駅。

一時間に一本。

ホームには冬真しかいない。

午前十時五十八分。

誰も来ない。

十一時。

遠くで踏切が鳴った。

電車が入ってくる。

二両編成。

ドアが開く。

数人が降りた。

高校生。

老人。

作業着の男。

そして、

三十代くらいの女。

黒いジャケット。

肩までの髪。

女は冬真を一度見た。

そのまま改札へ向かう。

冬真の横を通り過ぎる瞬間。

小さく言った。

「乗って」

「え?」

女は立ち止まらない。

冬真は迷った。

電車の発車ベル。

ドアが閉まり始める。

冬真は飛び乗った。

女も別のドアから乗る。

車内。

乗客は少ない。

女は冬真から離れた席に座った。

話しかけるな。

そういうことだろう。

電車が動き出す。

一駅。

二駅。

女が立つ。

冬真も少し遅れて立った。

降りた駅。

駅名標。

冬真は、

そこで足を止めた。

白沢

父と三枝が写った写真。

後ろに写っていた、

――沢。

ここだ。

女は駅を出る。

冬真は追った。

駅前には何もない。

古い商店。

閉店した旅館。

山へ続く道路。

女は歩き続ける。

十分ほど。

古い建物の前で止まった。

看板は外されている。

窓には板が打ち付けられていた。

「ここは?」

冬真が初めて声を掛けた。

女が振り返る。

「あなたのお父さんが働いていた場所」

「東和じゃなくて?」

女は答えない。

「三枝って人も?」

「いた」

「何の会社だったんですか」

女は冬真を見る。

「会社じゃない」

「じゃあ何」

女は建物の扉に手を掛けた。

鍵が開いている。

中へ入る。

冬真も続いた。

暗い廊下。

古い事務所。

机は撤去されている。

壁に、

長方形の日焼け跡だけが残っている。

以前、

何か看板が掛かっていたのだろう。

女は奥へ進む。

「相馬さん」

「はい」

「ここから先を見る前に、一つ確認します」

女の表情から、

初めて感情が消えた。

「あなたが一番古いと思っている記憶は?」

冬真は答えた。

「父と図書館に行ったことです」

「何歳?」

「……七歳」

「その前は?」

冬真は考える。

母。

家。

誕生日。

幼稚園。

何かあるはずだ。

だが、

映像として思い出そうとすると、

何も出てこない。

「覚えてない」

女は頷いた。

「でしょうね」

「どういう意味です?」

女は奥の扉を開けた。

小さな部屋。

壁一面に、

古い棚が残っている。

そこに、

十二冊の黒いファイルが並んでいた。

背表紙。

01

02

03

……

11

12

冬真は息を止めた。

「十三は?」

女は答えない。

代わりに、

一番下の引き出しを開けた。

中には、

一冊だけ赤いファイル。

背表紙。

07

女はそれを取り出した。

冬真へ渡す。

「開けてください」

冬真は受け取った。

重い。

最初のページ。

写真。

七歳くらいの少年。

冬真はその顔を見た。

知らない子供だった。

だが。

少年が着ている服を、

冬真は知っていた。

紺色のセーター。

左袖に、小さな白いほつれ。

父と図書館へ行った記憶の中で、

自分が着ていた服。

冬真は写真を裏返した。

日付。

1996年11月18日

その下。

07

そして名前。

冬真は、

そこに書かれた文字を見た。

被験者氏名 ――――

黒く塗り潰されている。

その下。

赤鉛筆で、

後から書き加えられた名前。

相馬冬真

「これは……誰ですか」

女は答えた。

「それを調べていた人が、田所修一です」

冬真が顔を上げる。

「田所さん?」

「そして三日前、殺されました」

「病院では倒れたって」

「そういう記録になっています」

「じゃあ俺が会った田所さんは」

女は首を横に振った。

「田所さんではありません」

冬真は黙った。

「榊原さんも?」

女は冬真を見た。

「あなたが会った榊原直哉も、榊原直哉ではありません」

やはり。

幽霊でも、

死者が蘇ったわけでもない。

誰かが、

別人になっていた。

「誰がそんなことを」

女は答えなかった。

冬真は赤いファイルを見る。

「じゃあ、この07は」

「まだ開かないで」

「今、開けろって言ったじゃないですか」

「最初のページだけです」

「何で」

女が初めて、

周囲を気にした。

「ここまで来られた時点で、時間がありません」

「何の」

女はポケットから、

小さな鍵を取り出した。

冬真へ握らせる。

数字が刻まれている。

13

「今夜まで、誰にも渡さないで」

「これは何の鍵ですか」

女は答えない。

「あなたは誰なんです?」

冬真が聞いた。

女は少し迷った。

そして言った。

「十二人のうちの一人です」

冬真は動かなかった。

黒い本。

TWELVE ARE DEAD.

十二人は死んだ。

「……十二人は死んだはずじゃ」

女は冬真を見た。

その目に、

初めて小さな笑みが浮かんだ。

「誰が、そう書いたんです?」

冬真の頭に、

父の筆跡が浮かんだ。

女は続けた。

「相馬さん」

「はい」

「この話で一番信用してはいけない人を、まだ疑っていません」

「誰ですか」

女は答えた。

「あなたのお父さんです」