存在しない十三人目

第6話 父が消した名前

「この話で一番信用してはいけない人を、まだ疑っていません」

女の言葉が、

古い部屋の中に残った。

「あなたのお父さんです」

冬真は赤いファイルを抱えたまま、

女を見ていた。

「どういう意味ですか」

「そのままです」

「親父が何をしたんです?」

女は答えない。

「十二人のうちの一人なんですよね」

「そう言いました」

「だったら知ってるんでしょう」

「知っています」

「なら話してください」

女は窓へ近づいた。

板の隙間から、

外を確認する。

「相馬さん」

「はい」

「あなたは今まで、誰から情報を受け取りました?」

突然の質問だった。

「誰って……」

冬真は考える。

黒い本。

父。

非通知の男。

田所を名乗った男。

榊原を名乗った男。

三枝の手帳。

そして、

目の前の女。

「色んな人から」

「その中で、身元を確認できた人は?」

冬真は黙った。

女が振り返る。

「いないでしょう」

「あなたもです」

「そうです」

女はあっさり認めた。

「私も信用しないでください」

「……何なんですか」

「それが、この話の基本です」

冬真は苛立った。

「こっちは遊びじゃない」

「私もです」

女の声が変わった。

「だから言っています」

静かな声だった。

だが、

初めてそこに怒りのようなものが混じった。

「あなたのお父さんを信用して、十二人が死んだ」

冬真は動かなかった。

 

 

 

 

 

「十二人は死んでないんじゃないんですか」

冬真が言った。

女は答えない。

「あなた、生きてるじゃないですか」

「私は十二人の一人です」

「だったら黒い本は嘘だ」

TWELVE ARE DEAD.

「十二人は死んだ」

「そう書かれていた」

女は言った。

「でも、“十二人全員が死んだ”とは書いていない」

冬真は眉を寄せた。

「屁理屈でしょう」

「情報を扱う人間にとって、主語と時制は屁理屈ではありません」

女は壁にもたれた。

「十二人がいた」

「はい」

「そのうち何人かは死んだ」

「何人です?」

「分かりません」

「十二人の一人なのに?」

「だから分からないんです」

冬真は意味が分からなかった。

女は続けた。

「一九九六年十一月十三日を境に、私たちは互いの生死を確認することを禁じられた」

「誰に?」

女は一瞬だけ迷った。

「十三人目に」

冬真の視線が止まる。

「十三人目って誰なんです?」

女は答えなかった。

代わりに、

冬真が持っている赤いファイルを見た。

「07を見れば、その答えに近づきます」

「じゃあ見せてください」

「今は駄目です」

「さっきからそればっかりじゃないですか」

冬真はファイルを開こうとした。

女が腕を掴む。

「ここでは駄目」

「何で」

「この建物は見られている」

冬真は女の手を振り払った。

「だったら何でここに呼んだんです?」

「あなたが本物か確認するため」

「本物?」

女は冬真を見る。

「相馬冬真なのかどうか」

「……戸籍も調べました」

「戸籍」

女が小さく笑った。

「記録を信用するんですか?」

その言葉に、

冬真は何も返せなかった。

 

 

 

 

 

女は古い机の引き出しを開けた。

中から封筒を取り出す。

「これを」

冬真は受け取らなかった。

「また何か渡すんですか」

「見てから決めてください」

封筒が机に置かれる。

冬真は中身を出した。

写真。

三枚。

一枚目。

若い父。

相馬宗一郎。

二枚目。

三枝隆文。

そして三枚目。

冬真は顔を近づけた。

「……田所さん」

若い田所修一。

三人が同じテーブルを囲んでいる。

写真の裏。

1996.11.12

集合写真の前日。

「この三人は何をしてたんです?」

「記録を整理していました」

「何の」

女は答えた。

「十二人分の人生」

冬真は写真を見る。

「どういう意味です?」

「名前、住所、家族、勤務先、銀行口座、学歴、通院歴」

女は淡々と並べる。

「人間が社会で生きていた証拠です」

「それを整理してどうするんです?」

「消すため」

冬真は女を見る。

「消す?」

「十二人は、その日まで使っていた身分を捨てることになった」

「何で」

「殺されるから」

部屋が静かになった。

「誰に?」

「私たちが調べていた相手に」

「何を調べてたんです?」

女は首を横に振った。

「まだ話せません」

「また?」

「知らない方がいいからではありません」

女は冬真を見る。

「私が話した情報を、あなたが事実だと思い込むからです」

「……どういう意味です?」

「私の記憶も完全ではない」

冬真は少し驚いた。

「二十九年前です」

女は言った。

「人間の記憶は記録ではありません」

その言葉だけは、

冬真にも理解できた。

 

 

 

 

 

「でも一つだけ」

女が言った。

「確実なものがあります」

写真を指差す。

父。

「宗一郎さんは、十二人を消す役割だった」

「殺したってことですか」

「違います」

「じゃあ」

「社会から消した」

冬真は黙った。

「戸籍を?」

「それだけではありません」

女は写真を一枚ずつ重ねる。

「十二人を、別の人間として生かすためです」

偽名。

偽の経歴。

別の住所。

別の人生。

冬真の頭に、

自分の戸籍が浮かんだ。

相馬冬真。

「待ってください」

「はい」

「親父は、人の身分を作れたんですか」

「宗一郎さん一人では無理です」

「じゃあ誰が」

「それが十三人目です」

また、

十三。

「十二人は現場にいた」

女が言う。

「十三人目は、現場には出ない」

「何をする人?」

「記録する人」

冬真の頭に、

父との記憶が蘇った。

十二冊の本。

父は言った。

違う。十三冊だ。

そして、

自分の頭を指差した。

ここに。

冬真の背中に、

冷たいものが走った。

「親父が……十三人目?」

女は答えなかった。

沈黙。

それだけで、

十分だった。

「じゃあ親父が全部――」

「違います」

女が遮った。

「私はそう言っていません」

「でも」

「宗一郎さんが十三人目だったのか」

女は冬真を真っ直ぐ見る。

「十三人目のために働いていたのか」

「……」

「そこを間違えると、あなたも死にます」

冬真は何も言えなかった。

 

 

 

 

 

外で車の音がした。

女が振り返る。

一瞬で表情が変わった。

「来た」

「誰が?」

「ファイルを持って」

女は部屋を出る。

「ちょっと待って」

冬真も追う。

裏口。

女が鍵を開ける。

「山側へ」

「あなたは?」

「別に出ます」

「誰が来たんです?」

「分かりません」

「分からない?」

「だから生き残れるんです」

冬真は動かなかった。

「名前くらい教えてください」

女が振り返る。

「あなたの」

「え?」

「あなたの名前です」

「相馬冬真です」

「違う」

冬真の身体が固まる。

「それを確認するまで」

女は言った。

「私はあなたを冬真とは呼びません」

外。

車のドアが閉まる音。

一台ではない。

女が冬真を押す。

「行って」

冬真は裏口から外へ出た。

雑木林。

細い道。

走る。

赤いファイルを抱える。

後ろから声。

男。

何を言っているか聞こえない。

冬真は振り返らない。

山道を下る。

五分。

十分。

舗装道路へ出た。

息が切れている。

ポケットからスマートフォンを出す。

圏外。

さらに歩く。

ようやくアンテナが一本。

その瞬間、

着信。

非通知。

冬真は立ち止まった。

出る。

「はい」

いつもの男だった。

『女に会ったな』

「見てるんですか」

『07のファイルを渡されたか』

冬真は答えない。

『開くな』

「何で」

『死にたくなければ』

「それ、何回目だよ」

冬真は声を荒らげた。

「お前は誰なんだ」

沈黙。

「田所さんになりすましたのもお前か?」

『違う』

「榊原さんは?」

『違う』

「じゃあ誰なんだよ!」

男は答えなかった。

冬真は続ける。

「親父が十三人目なのか?」

電話の向こうから、

初めて明確な反応があった。

息を呑む音。

『誰に聞いた』

「答えろ」

『宗一郎は十三人目じゃない』

冬真の手が止まった。

「じゃあ誰だ」

男は数秒黙った。

そして。

『十三人目に名前はない』

通話が切れた。

 

 

 

 

 

午後六時十九分。

冬真は自宅へ戻った。

カーテンを閉める。

鍵。

チェーン。

スマートフォンの電源を切る。

テーブル。

赤いファイル。

07

女は言った。

今は開くな。

電話の男も言った。

開くな。

敵か味方かも分からない二人が、

同じことを言った。

なら。

開く。

冬真は表紙に手を掛けた。

一ページ目。

少年の写真。

1996年11月18日

07

相馬冬真

前回見たページ。

めくる。

二ページ目。

身体測定。

推定年齢。

7歳前後

血液型。

身長。

体重。

既往歴。

その下。

記憶保持状態:良好

冬真は唇を噛んだ。

次。

心理評価。

難しい言葉が並んでいる。

その中に、

赤線が引かれている。

対象は自己氏名を回答できず。

次。

父親についての質問に対し反応あり。

次。

「宗一郎」の呼称に対して強い安心反応。

冬真の指が止まった。

ページをめくる。

十一月十九日。

新規氏名への反応試験開始。

その下。

候補名。

いくつか黒く塗られている。

最後。

相馬冬真

判定。

反応良好

冬真は椅子から立ち上がった。

「違う……」

自分の名前が、

候補として書かれている。

名前とは、

生まれたときに親がつけるものだ。

七歳で、

反応を見ながら決めるものではない。

次のページ。

十一月二十日。

宗一郎との親子関係構築に問題なし。

冬真はページを閉じた。

息ができない。

だが、

閉じた瞬間に気づいた。

ページの端。

何か挟まっている。

薄い紙。

取り出す。

検査結果だった。

古い。

上部に、

親子関係確認検査

とある。

相馬宗一郎。

07。

冬真は結果を見る。

文字が滲んでいる。

だが、

判定だけは読めた。

生物学的父子関係を――

その先が、

切り取られていた。

「……なんだよ」

冬真は紙を裏返す。

裏面。

父の字。

一行。

ここだけは、書き換えさせない。

冬真は動かなかった。

その筆跡を知っている。

黒い本。

冬真へ。次は君の番だ。

同じ字だった。

ページをさらにめくる。

最後の数枚は、

すべて破り取られている。

一番最後。

裏表紙の内側。

赤鉛筆。

父の筆跡。

名前を消したのは私だ。

その下。

少し間を空けて、

もう一行。

冬真という名前を与えたのも、私だ。

冬真は、

長い間その二行を見ていた。

父が何をしたのか。

まだ分からない。

ただ一つ。

これまで当然だと思っていたことだけが、

音を立てて崩れた。

相馬冬真という名前は、

自分が生まれたときからの名前ではなかった。