結局、ボクのやっていることは、色んなことをはしょって言うと「自分の未来は自分で決めるんだ」ということを俳優に伝えることなんじゃないかと思う。
そして「自分たちの未来は自分たちで決める」のだ。
それは「才能」なんてものじゃない。才能なんて誰にでもある。
誰にでもある才能を、使い切るのも、使えないのも自分自身だ、ということだ。
札幌のとある有名な劇団の劇作家が、「ワークショップが嫌いだ」というのを聞いたことがある。
たぶんマキニウムなんて大嫌いなんだろう。
「方法論とか言いやがって。演劇に方法論もクソもあるか。自分のことは自分で決めるだけのことなんだ。やるだけなんだ。方法論がどうだとか言って、つまんねぇ芝居作ってる奴は大嫌いだ」
おそらくそんな気持なんじゃないかと勝手に僕は想像している。
その気持ちは確かにわかる。
共感を感じるほどだ。
しかし、演劇理論は確かに存在する。クォリティの高い演劇を作っていくためには、そして独創的な演劇をつくっていくためには「感覚」だけではやっていけない。
ただ、理論家が一番陥りやすいのがただの「理論武装」で終わっていくことだ。
理論は、創造のためにある。
だから、創造のクォリティが高くないと理論の意味もないのだ。
理論を使って、クォリティの高い創造ができるか否か。
それは自分たちにかかっている。
自分の未来は自分で決めるのだ。