「理想の俳優」に本当になる。 -10ページ目

「理想の俳優」に本当になる。

演劇で自己実現。演劇集合体マキニウム代表、演技トレーナー槙文彦によるブログです。

こんな日もある。

俳優に、自分の言うことが伝わらない、俳優の“こころ”がわからない、そんなことに悪戦苦闘する日々だ。


ただ、今日の稽古はちょっと違っていた。

ボクの言うことが、やっと“みんな”に伝わったという実感があった。

これを読んでる人は「そんなに伝わらないのか」と笑うかもしれない。

だけど、「はい、そんなもんなんですよ」とボクは答えよう。



ナカナカ俳優はよくやってると思う。こんなに雰囲気の悪い稽古場はそうないと思う。

だけどそこを抜けたところに、“聖地”がある、と思う。


まあがんばっていきます。
札幌市生涯学習センターの「ご近所先生企画講座」二日目、いってきました。
もいわ地区センターなんで、「ご近所」じゃないんですけどね(笑)

いやあ、これだから僕はこの道あきらめられないんです、という感じの講座でした。
というのも、今日の朗読のレベルがとても高かったからです。

先週(オリエンテーションも含めると2週前から)知り合ったばかりの人たちが、たった2回のワークでこんなにも緊張感がありコトバの重みが伝わる朗読ができてしまう。

この方法論が、やっぱり凄いと(自画自賛ですが)思ってしまうのです。参加者の方々の意欲もすばらしかった。

もちろん参加者の方々がもうマスターしてしまってもうどこに出ても大丈夫、ということではありません。
しかし今日の朗読はとてもよかった。

ひとりのひとりの個性が少しずつ発揮されはじめ、かつテキストである詩の世界が聞いている人の心に広がっていくような、そんな朗読だったのであります。

まだまだ、“マキニウム式”は進化しつづけます。しかし今日のところは、満足です。
「そんな言い方しなくてもいいじゃないか」
「あの言い方は、間違っている」
「ああいうことを言うっていうのは、人間としてどうなんだ?」


演劇の現場では、よく聞かれる言葉だ。そしてこれらのほとんどは、「正しい」。

そしてこれらのほとんどは、演出の力不足に原因があることがほとんどだ。少なくとも僕はそう思っている。


しかしあえて言うが、僕はそんな「力不足」を甘んじて受け入れようと思う。


耳障りのいい言葉を並べることはいくらだってできる。むしろ僕はそんなことは得意な方だ。しかしそんなことでは伝わらないことがある。

時には体を張って伝えなければ、伝わらないことがある。

ホントにクォリティの高いものをつくるということは、そういうものなんだと思う。


2年前から、「演劇大学」というイベントに参加させてもらっている。札幌市内や近郊の少なくとも僕よりは実績をあげている演出家達がその実行委員に名を連ねている。

演出家たちは自分勝手で、体裁よくまとめようとせず、事務仕事は誰も積極的にやろうとはしない。

だからイベントはごく一部の人たちががんばって何とか成功させている(その意義はとても深いがここではふれない)。話しあいも話し合いにならない。効率が悪いのだ。


しかし彼らの中に、誰ひとりとして自分の作品に言い訳をする者はいない。

「あの時はこうだったからね」「俳優がダメだからうちはね・・・」「ほんとはいい作品つくってんだけど、客がわかってくれないのさ」

演劇界にはこういった輩が数多くいる。


しかし演劇大学に参加している演出家達から、こういった発言を聞いたことはないし、思ってもいないだろうと思う。



自分の作品に責任を持っているのだ。

僕は彼らを大いにリスペクトしているし(作品についてはそれぞれ考えがあるけれど)、彼らとまた会おう、と思う。



本当に作品に責任を持ったとき、きれい事では済まされないのだ。

いつか、僕が始終和気藹々とした中で極めてクオリティの高い作品を作れる演出家としての技術を持ったとき、「若かったな」と今のことを振り返るかもしれない。


しかし、今は「和」が大事などとは言ってられないのだ。
俳優との稽古は、格闘だ。

伝えたいコト、伝わったコト。

マキニウムの方法論は、本質さえわかってしまえば、後はどんな脚本だってどんな役だって稽古をやればやるほど上手くなる。おもしろくなる。魅力的になる。悲しくなる。

しかし、本質がつかめないと100回やっても1000回やっても進歩はとても遅い。


建築家の友人が、「演出家の仕事は、建築家の仕事に似ている」と言っていた。

自分のつくりたいものがあって、しかしそれを実際につくるのは自分ではない。大工さんであり、俳優である。

「伝えたいことを伝える」

こんな単純なことが、実はむずかしい。

しかし演出家や建築家は、それが仕事だ。


明日は俳優トレーニングだ。

明日も「伝えたいことを伝える」ために、格闘だ。

昨年10月から、「俳優トレーニング初心者コース」をやってます。
毎週月・木、週二回でマキニウムの俳優基礎訓練をやってます。

今は3人なんですが、3人とも熱心に取り組んでいます。

この3人の中から、将来のマキニウムをしょって立つ人が出てくるのでしょうか。

2010年中には、この「俳トレ」の人たちの公演も予定しています。
ワークショップなどで、参加者が増えていくことを願っています。

今、マキニウム、平岡ジャスコのカルチャーセンターでの朗読、マキニウムのシニア演劇、俳トレ、ちえりあ市民企画講座と“マキニウム式”を広げる機会が増えてます。

様々な人と出会い、この方々がどう感じ、どう変わっていくかということがわかることによって、僕の方も勉強できるんですよね。

で、その勉強の結果を他のコースでもフィードバックできるんです。

マキニウムの長期プロジェクト、ぼちぼちやってます。

リーディング後の稽古、始まりました。脚本はやや変更。まださらに変更していく予定です。

今回の公演のテーマは、「自由の幅を広げ、その中で自分の“本当の選択”をしていくこと」です。
今日の稽古も、常識や脚本から得られるイメージに縛られないことがテーマでした。

なかなか、みんな苦労しながらやっています。

演劇自体はけっこう何も考えずにも見られるコメディちっくな作品ですが、作る方は結構考えて作ってるんです。


「異次元のクォリティ」を目指してやっていきます。
4月に向けて、がんばります。
札幌市生涯学習センター札幌市民カレッジ

「ご近所先生企画講座」

「自分らしい表現で朗読・読み聞かせ
~ステキに読める“マキニウム式朗読”~」

始まりました。

「ご近所先生企画講座」というのは、市民が、「“自分の教えられること”を企画して、教えちゃうぞ!」という講座で、僕も企画させていただきました。去年の秋から企画書作成などをして、今日から本番です。

参加者は当初9名だったのが、蓋を開けてみたら14名。今日の参加は13名でしたが、場所が「もいわ地区センター」ということを考えると、やっぱり朗読への関心が広まってる感じます。

ともかく始まりました。今日は、「いい朗読とは?」のディスカッションにマキニウム式表現法の基本「スキ・キライ」。

とても意識の高い方が多く、ディスカッションもとてもレベルの高い議論が行われ、ワークの臨場感もとても高いものでした。

今日が第1回目で、全5回。どこまでいけるのか、とても楽しみです。
#12公演プレリーディング、終了しました。お越しいただいたみなさん、ほんとにありがとうございました。おかげさまで、たくさんのみなさまにご来場いただきました。

マキニウム初めてのリーディングということもあって、お客様に楽しんでいただけるかどうか不安でしたが、まずまずの出来でホッとしました。

また脚本の弱い部分も見つかりました。これから改善に取り組もうと思います。

#12公演、おもしろくなりそうです。ぜひお越し下さい!!
あけまして、おめでとうございます。もう遅いですね。
すっかり更新が遅れてしまって、大変申し訳ありません。


さて、いよいよ2010年が明けました。

2010年、マキニウムは大変な年になりそうです。いや、大変な年にしなきゃいけないと思っています。

マキニウム約3年ぶりの僕のオリジナル脚本での本公演が4月16日~18日、そのプレリーディングが2月6日、そして6月(予定)には去年11月から始まった「俳優トレーニングコース」の公演(規模は未定)、秋には今年2度目の本公演#13(予定)、そして年内にシニア演劇コースの公演もやろうと思っています。

2008年からワークショップを多数開催し、種をまき、育てた芽がやっと花開こうとしています。いや、無理矢理開かせます(笑)。どうぞ2010年のマキニウムにご期待下さい。

マキニウム#12本公演の稽古、始まっています。

劇団オガワから、和川くん、斉藤玲史くんに参加してもらっています。そして去年にひきつづき石橋玲さんに参加してもらっています。劇団員も、ひさしぶりにみんな参加しています。

なかなか個人的な生活は厳しいんですが、まあとにかくやっとこの2010年がきたな、と後から振り返って思える年にしたいと思います。

まずは2月6日、プレリーディングを行いますので、ぜひレッドベリースタジオまでお越し下さい。

お待ちしています。
内藤vs亀田を見た。

ボクシングはよくわからないけど、あれが「いい試合」なんだろうかね。

試合前のインタビューでの興毅での攻撃的な発言には不似合いな堅実なアウトボクシング。

常に「攻め」に出ていたのは内藤だった。

なんだか納得いかないねぇー。

そして気になったのはアナウンサーのステレオタイプ的な実況。

「ボクシングの実況は激しくなきゃいけない」「激しさを伝えなければいけない」そんな観念に縛られた実況に違和感を感じたのは僕だけだろうか。

なんだかすっきりしないなぁー。