#595 武田徹 「核」論 鉄腕アトムと原発事故のあいだ | ダイビング&バイシクル!
今日の本は原発について書かれた本です。

ワタクシは基本的にあまり難しい本は読まないタチなので、せいぜい小説やblogを読む程度ですけど、自分なりに原発についての知識を吸収してきたつもりです。


2011.5.31 #576 原子炉は40年間も運転できない?

2011.5.31 #575 原発を止めると言いながら原発で作る電力を買ってるのはドイツだ?

2011.4.21 #543 真山仁 「ベイジン」(再読)

2011.4.5 #531 東野圭吾 「天空の蜂」




TBSラジオ"dig"で、著者のハナシを聞いたことがワタクシがこの本を知ったきっかけでした。

そのときは、 「鉄腕アトムと原発事故」という副題のおもしろさに興味を持ちました。

すぐに図書館で予約したのですが、すでに予約はいっぱい。

ようやく数か月経って手にすることができました。

著者のあまりの賢さについていけないところもありましたけどあせる、原発問題が新鮮な視点で描かれており、興味深く読むことができました。

「核」論―鉄腕アトムと原発事故のあいだ/武田 徹

¥2,100
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この本は2002年に出版されたもので、今は増補版が出ています。

私たちはこうして「原発大国」を選んだ - 増補版「核」論 (中公新書ラクレ)/武田 徹

¥882
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恒例?の本の内容をAmazonからコピペします。

マッカーサーの意向を反映させた憲法草案を机に置き、日本側代表に僅かの検討の時間を与えるためにベランダに出ていたGHQのホイットニー准将は、部屋に戻るなりそう口にした。
「原子力的日光」とは当時唯一の核兵器所有国だったアメリカの「力」の比喩に他ならない。
核の力を背景にした新しい世界秩序の中で、日本の戦後憲法はアメリカの強い関与によって産声を上げた。
そして安保条約を経て、アメリカの核の傘の下で庇護されつつ日本は驚異的な戦後復興を果たす。
唯一の被爆国でありながら、アジアで先陣を切って核エネルギー利用技術の受容に踏み切り、電力供給に不安を感じることのない原子力発電大国となったこともまた高度成長を下支えした。
「兵器としての核」「平和利用の核」はわれわれの生活に幾重もの影を落としている。
本書は、ホイットニーの「原子力的日光」から、東海村臨界事故の被災者が見たという、飛散する中性子線の放つ「青白い光」まで、核の光を見つめる眼差しの下に浮かび上がる「核の戦後史」を考察する。




巻頭の「はじめに」で、いきなりこのセリフが登場します。

"We are out here enjoying the warmth of atomic energy."

「原子力的な日光の中でひなたぼっこをしていましたよ」



日本人の多数が支持する日本国憲法の誕生から、すでに原子力の影響を受けていたという主張です。



そこからは、日本の原子力の歴史を鉄腕アトムや怪獣ゴジラを引きあいに出しながら緻密な考察が続きます。

アトムもゴジラもどちらも原子力に関係ある名前であるところに著者の洞察力がわかりやすくでています。

そして1970年の大阪万博。

6年前の東京オリンピックと並んで戦後日本の復興と高度成長を象徴するイベントである万博で原子の灯が灯されていたことを指摘して、当時の原発に対する好意的な視線を紹介していきます。




偶然にもなのか、当然にもなのかはわかりませんが、福島第一原発についても書かれています。

ここでは、原発を誘致した福島県双葉郡を

「仙台になりたかった町」

というタイトルで紹介しています。

もちろん、それが幻想であることをきっちり検証してはいますが。




しかし、後半はいきなりカラーが変わっていきます。


戦後の大物評論家である清水幾太郎(ぼんやり聞いたことある)の転向問題や、世界初のコンピュータ開発に携わったノイマン(知らない)らを個別に取り上げて、原子力や原発の持つ問題点を指摘していっています。

けど、ちょっとこのへんはワタクシにはピンと来なかったかなと。

せっかくアトムやゴジラとうキャッチーなネタふりで読者の興味を引いておきながら、途中から人物評論を出したりすると、みんなドン引きするのは当たりまえでしょ!みたいに感じてしまいました。




この本を書いたのは、評論家でジャーナリストで大学講師でもあった武田徹サンという方です。

1958年生まれという経歴を見てビックリ。

憲法やゴジラとか出てくるので、てっきり昭和ヒトケタくらいの方かと思って最後まで読んでいました。


同年代とは...(@_@。




一般に原発問題を語る本を読むときに注意しなければならないのは、著者が原発推進派なのか反対派なのかということです。

武田サンは、そのどちらでも見方にバイアスがかかってしまうので、極力その点に注意したと、あとがきで述べられています。

そして、日本の原発の問題点の根は、そのようなイデオロギーを背景にした推進派と反対派の存在であることに彼は気が付いています。

現在でも、空港問題とか安全保障とかいった複雑な社会問題がイデオロギーで語られていたりすると、ジブン自身違和感タップリだったので、この点については著者に完全同意します。






関東に住むものとして、震災のこと、そして東電原発事故のことを考えない日はありません。

震災、津波は天災ですから、その悲しみを受け入れつつ時間をかけて克服していかなければなりません。

そういった考えの延長で、牡鹿半島やアクアマリン福島にボランティアとして仕事をさせていただきに伺いました。



でも原発は人間が管理しているものです。

事故をキックしたのが地震や津波だっただけで、その存在、その解決は人間の仕事です。

しかし自分を含めて日本人は原発のことをよく知りませんでした。

今では情報だけはあふれかえり、日本人はおそらく世界でイチバン原発に詳しい人種になっているような気がします。

情報が多すぎてアタマが混乱したときには、 「核」論のような歴史から押さえていくのは良い方法だと思います。

その意味でオススメの1冊と思いました。



やたら広範囲を拾っているこの本については、震災後に書かれたこの記事にダイジェスト的にまとめらています。

2011.3.30 日経ビジネスオンライン 「反原発と推進派、二項対立が生んだ巨大リスク」

全文を読むには無料会員登録が必要なのでちょっとメンドくさいですけど、よろしかったらぜひに。