とても興味深く、とても涙線を刺激する本でした。
ぼくらはみんな生きている―18歳ですべての記憶を失くした青年の手記/坪倉 優介
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キャッチをコピペ。
突然の交通事故。
病院のベットで目覚めたら、食べることも、寝ることも、トイレに行くことさえも忘れていた…・・。
18歳で人生をゼロから始めることになった青年が書いた感動の手記。
この本は2001年に出版され、過去にTVドラマにもなっていたそうですけど、ワタクシはこないだCX「ザ・ベストハウス123」で初めて知りました。
TVを引き込まれながら、彼のことをネットで調べて、すぐにこの本を読み始めたというワケです。
ちょっと信じられない手記です。
この本の著者、坪倉優介サンはwikiによると、こんな方です。
坪倉 優介(つぼくら ゆうすけ、1970年12月25日生まれ )は、染色家。大阪府門真市出身。
大阪芸術大学工芸学科染織コース卒業。
大学一年時の89年交通事故でそれまでの記憶を失ってしまうが、リハビリの末に新たな人生を歩んでいる。
96年京都の染色家奥田裕斎に師事する。
96~03年染工房夢祐斎(京都市)で草木染色家として活動。
04年海外ヨーロッパを中心に旅をする。05年日本国内を放浪。
06年大阪市内でゆうすけ工房設立。全国から様々の草木を集め着物を中心に染物の作品を制作している。
食べることがわからない。
ごはんがわからない。
「けむりが、もやもやと出てくるのを見て、すぐに中をのぞく。
すると光るつぶつぶがいっぱい入っている。
きれい。
でもこんなきれいな者を、どうすればいいのだろう。」
この本に出ている、ごはんについての記述です。
言葉はしゃべれるけど、文字はわからない。
単語もほとんど欠落してしまっている。
「おいしい」ということがわからない。
食べることがどんな意味があるのかがわからないって、衝撃的なことです。
彼の手記で構成されている本ですけど、彼をずっと支え続けたおかあさんの言葉も、 「母の記憶」 として出ています。
この部分を読むと、その大変さを実感します。
「手足をしばられて、どこか知らない国へ連れていかれて目が覚めたときのことを想像してください。
身動きがとれず、わからない言葉はただの雑音にすぎないし、物事の整理がつかず、何をすべきなのか全然わからない。
そんな優介の状況を想像できるまで、長い時間が必要でした。」
彼はわからない言葉にでくわすと、ひとつひとつ辞書を引いて言葉を覚えて行きました。
事故で入院した当初はおかあさんのこともよくわかっていない様子だったといいます。
でも、彼はこのことを聞かれて、こんなすばらしい答えをしてくれました。
「(おかあさんのことは)最初は何やわからなかったんですけど、(中略)僕にむかって、一生けんめいに『おかあさんよ、ゆうすけ。ほら、あなたのおかあさんよ』って言われたんです。
それで、 『あ、この人が僕のおかあさんや。おかあさんや』 。
そう思ったら、この胸のあたりがぽわあとなって、あったかくなったんです 。」
彼は事故から22年経った今では草木染め作家として、いくつもの作品を発表されています。
![$ダイビング&バイシクル!-tusbokura sakuhin](https://stat.ameba.jp/user_images/20110308/23/making99/36/35/j/t02200184_0800066911099015588.jpg?caw=800)
写真を見つけられなかったので、本をそのまま撮りました^^;
とても繊細で、とてもきれいな着物だなぁと素直に思いました。
確かに、彼の父親は会社を経営していて、母親は専業主婦といった、生活能力のなかった当時の彼にとって幸運だったことも確かです。
でも、事故ですべてをゼロ・リセットされてしまった彼が、その感受性を最大限生かして創作活動ができるまでになったということは、ある意味奇跡。
いや、当然ながら、彼自身のものすごい努力が今の彼を作っているのだとわかって、また涙線がゆるんじゃいました。
いやぁ、最近よく泣きますね。我ながら。
今の彼はとても活動的です。
今の彼を知りたい方は、このblogをご覧になってください。
ちょっとビックリします。
もちろん嬉しいビックリですけど。
yahoo blog 「坪倉 のブログ (ぼくらはみんな生きている) :坪倉優介
染色、執筆、講演と常に新しい事に挑戦し続ける坪倉さんを紹介します。」