パリのワーママ

フレキです。

 

今日もこのブログを

覗いてくださり、

ありがとうございますラブラブ

 

先日の智子さんとの

カウンセリングから、

 

自分の決断できない

あり方について色々

考えています。

 

 

このブログでも、

 

5年近く別居してて、

ずっと修復したいと

頑張ってきました

 

と書いてますけど。

 



よくよく考えたら、

 

「夫がはっきりしないから」

 

と長いことずっと夫の

せいにして怒っていたし、

 

「向こうがはっきりしたら、

その時は考える」

 

って思っていたような

気がします。

 

相手は置いておいて、

自分はどうしたいのかを

把握せずにいた部分も

多分にあったんですよね。

 

 

で、夫がはっきり離婚の

意志を示して来た今、

 

「やっぱり離婚したくない」

 

とすっぱり諦めきれない自分。

 

毅然としていたい、

未練がましいのは嫌、


合理的で前向きな自分を

良しとしてきた私としては、

 

バツが悪い真顔

 


そんな自分を前に

狼狽え、戸惑っている。


それが今の状態

なんだなと思います。

 

 

「夫を信じる」

「絶対修復する」

 

という決意がもてない今、

夫に歩み寄ろうという

気にもならず、


何も変わらないまま

時間が流れていく事に

焦りを感じます。

 


決意や覚悟って、

そうそう簡単にできない。

 

だからこそ、

確固とした意志のある人に

多くの人が惹かれるんだな。

 

その人の信念が絶対的な

真実かどうか

 

という事ではなくて、

 

本人がどれだけ本気で

信じているか

 

そっちの方が大事なのかも

 

 

なんてふと考えたりする

今日この頃。

 

 

「そんな私にできるのは、

もう祈る事くらいか」

 

と思っていたら、

先日の芙蓉さんのブログが

まさにそんなお話でした。

 

または、やれることは全てやったけれど

もう、やれることは何もない、という時が

 

祈るしかできない時だと思います。

 

 

そういう時は逆に、

 

祈ることができる時。✨

 

「祈り」ということを学ぶ時なんじゃないか?

と私は感じています。

 

芙蓉さんのブログより

 

ちなみに私、


神様、仏様、守護霊から、

死んだお祖母ちゃん、

ハイヤーセルフまで


ありとあらゆるもの

を総動員して、

 

「離婚は嫌です。

助けてください」

 

と拝んでますから 指差し

 

 

溺れる者は藁をもつかむ

 

そんなことわざがピッタリの

最近の私です。