月一で通う銀座『壬生 』は、
私にとってなくてはならない日本文化を学ぶ勉強の場です。
今月もお月謝袋を抱えて伺ってきましたが、
5月の玄関先は、
いつもかけてあるお軸の代わりに、
「鉄線(クレマチス)」でのお出迎えでした。
花弁の枚数が6枚ものは、「鉄線」、
8枚ものは「風車」と言われてますが、
「鉄線」は、つるが細くて丈夫で針金のようであることから、中国原産。
「風車」は花の形から、日本原産なんですって。
風車で思い出しましたが、
小学生の頃、
光GENJIと肩を並べる位、
「風車の弥七
」に憧れてました。
弥七話を書きだすと、
日が暮れる&呆れるので、
真面目に『壬生』話に戻ります。
お部屋は、
窓際に、
真っ直ぐにのびた「菖蒲」と、
「吉田兼好」の掛け軸(お豆を煮てるところ)と、
「菖蒲棚」で囲まれてましたが、
お料理のお題も、
「菖蒲棚」でした。
「端午の節句」は、
別名、
「菖蒲の節句」とも言われますが、
本来の「端午の節句」は、
「菖蒲」が主役の厄祓い行事だったみたいですね。
香り豊かで風情があるばかりでなく、
厄除け効果も抜群で、
菖蒲なくして端午の節句は成立しないほどだったようです。
女将さん曰く、
「菖蒲は、日本最高のハーブ」
とのこと。
そんな素晴らしいハーブに出逢える日本に生きてるんですよね、
私達は。
では、
邪気も厄も祓ってくれる今月の『壬生』料理にまいります↓
兼好さんと豆話は、
「徒然草」の第69段に出てきますね。
書写の上人は、法華読誦(ほっけどくじゅ)の功積りて、六根浄(ろくこんじょう)にかなへる人なりけり。
旅の仮屋に立ち入られけるに、豆の殻(から)を焚きて豆を煮ける音のつぶつぶと鳴るを聞き給ひければ、「疎からぬ己れらしも、恨めしく、我をば煮て、辛き目を見するものかな」と言ひけり。焚かるる豆殻のばらばらと鳴る音は、「我が心よりすることかは。焼かるるはいかばかり堪へ難けれども、力なき事なり。かくな恨み給ひそ」とぞ聞こえる。
と。
訳すと、
書写山円教寺の性空上人は、法華経を読誦し続けた功徳によって、仏教経典でいう「六根」が清浄になり悟りを開いた人物だった。
旅の仮屋に立ち寄った時に、豆のカラを炊いて豆を煮ている音がつぶつぶと鳴るのを聞いたところ、『(豆のカラと豆の関係で)親密であるべき、己らたちも、恨めしくも、我(豆)を煮て、辛い目にあわせるつもりなのか』と豆が言っている。
火で炊きつけられている豆ガラのばらばらと鳴る音は、『私が心から好きでやっていることと思うか。焼かれることはどれほどか堪えがたいことだけど、どうしようもないことなのだ。そんなに俺達「豆カラ」のことを恨んでくれるな』とか聞こえた。
です。
「六根」というのは、
人間の不確実で錯覚の多い感覚機能のことで、
『眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根』の6つのことを指してます。
現代風に言い直せば、
『視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・意志力(こころの働き)』の6つの感覚と意志の機能のことですが、
仏教ではこれらの「六根」を清らかにして真理に目ざめることで、
『悟りの境地』に到達できると教えているそうです。
あー、長くなりました。
で、
「兼好のまめ」というお料理は何なのかと申しますと、
熱々の酢飯の上に、
フライパンで焼かれた空豆がのった「空豆寿司」でした。
お皿は、
「土器(かわらけ)」といって、
お供えする際、
お米や小豆を入れるものです。
ほっくほくに焼かれた空豆を一粒ずつのせて酢飯と一緒に頂きましたが、
掌(てのひら)サイズの土器を、
手に持って頂きます。
これを「掌(たなごころ)」と言います。
器を手で持って食べるって、
日本ならではですよね。
素敵なことです。
今月5日は、
「端午の節句」だったということで、
男の子が遊ぶ「独楽」のお膳でした。
日本酒は、
先月に引き続き、
福島県の地酒です。
引き続き、
東北支援のため、
できるだけ東北のものを仕入れたいというのが『壬生』さんです。
うちの店 も、
まさに同じ考えでやってます。
伊藤若冲時代のすんばらしい「アイリス」の蒔絵椀を開けると、
蓮根餅と蓬餅が寄り添って、
鮪だしに浮かんでました。
上にぴょこっとのってる「松の実」みたいなものは、
「みかんの実」でしたが、
途中で、
みかんの花が咲きました~。
縁起も良さそうです。
とてつもなく高級で貴重な「楽慶入」器に、
お造り達が盛りこまれ、
ちっちゃな柏の葉で覆われてました。
生魚の中に、
焼かれた海老の頭の香ばしさと歯応えがアクセントになってました。
ものすごーく大きい「エンペラーイエロー」の器に、
「目板かれい」の焼きものが入ってました。
きれいに骨と身が離れてくれます。
ピカソも骨までしゃぶって食べてた日本ならではのお魚です。
それにしても、
日本酒がすすむのなんのって。
でも、
次の揚げ物にも、
日本酒がすすみ放題でした。
「たらのめ」は、
赤城山で採れたものだそうですが、
こんなに大きな「たらのめ」は、
『壬生』さんでしか見たことないです。
百合根には、砂糖だけ、
たらの芽には、塩だけがふってありました。
素材本来の良さがよーく分かる食べ方です。
またしても、
熱々を一気にいきすぎて、
猫舌の舌がやられたところで、
こんな輪っか料理がご登場です。
オブラートで包まれた「えんどう豆」でした。
まるで「数珠」みたいです。
食べるのがもったいないほど可愛らしい逸品でしたが、
2秒で口におさまってました。
この数珠豆で、
びっくりしてたのもつかの間、
ぎょえー、、、
雄叫びをあげてしまったほどの巨大貝殻が運ばれてきました。
瀬戸内の平貝の貝殻のようですが、
一般人の顔より大きいんです。
貝殻の中には、
平貝・浅蜊・ミル貝、
そして、
我故郷島根の蜆やサザエ・えんどう豆等が入ってましたが、
浅蜊のゼリーもいました。
どこをとっても、
いつ何時でも、
『壬生』さんは、
感嘆の美味しさをプレゼントしてくれます。
驚異の甘さを持つ下田の「どんぐりみかん」や、
露地もの苺で、
口の中をリフレッシュしたところで、
巨大貝よりさらに大きなドーム型デザートがお目見えです。
桔梗・百合根・へちまの描かれたお膳にのって。
「苺の泡雪かん」でしたが、
これを女将さんが、
ざっくり大胆に取り分けてくださいます。
ふわっ・ぽよーんとした泡雪かんは、
口に入れたら、
瞬間で溶けていきました。
生クリームとか乳製品は一切入っておらず、
卵白(メレンゲ)・寒天・苺・ほんのちょびっと砂糖入りです。
「これが日本のお菓子なんだよ」って、
子供達に作ってあげたくなりました。
日本の未来のためにも、
いつの日か、
この夢を叶えようと思います。
最後の最後に、
濃い抹茶がちょこんとのった「筑豊の葛」入り「菖蒲湯」が出されました。
ここで起用されている「筑豊葛」は、
世界一の葛とのこと。
もっと味わって頂きたかったですが、
「出されたものは、美味しい内にすぐ食べる」が信条の私は、
瞬く間に食べきってました。
でも、
「菖蒲湯」を啜り、
穢れが飛んでいき、
体中が清められました。
毎度思うことですが、
『壬生』の会員になり、
こんなに貴重な世界と食を堪能できるということは、
一体どういうことなのか、
神様からのどんなお告げなのかをもっと考えて、
これからの人生に、
生かしたいと思います。
改めて、
今、日本で生きている意味を考えさせられる『壬生』時間です。
そういえば、
「蛍」が描かれてました。
ふと、
「蛍二十日に 蝉三日」
って言葉が浮かんできました。
食べものはもちろん、
自分自身、
「旬を、旬が逃げない内に」ですね。
来月の『壬生』さんでは、
この蛍が灯りを放つようですが、
蛍の光が、
小さくても大きな日本の灯りになってくれることを願います。