いつもに増して、長くなります。
4月初旬某日。
『壬生 』玄関先のお軸は、
いつも何らかのお言葉が書かれているのに、
今月は、
「ユートピア」の絵画でした。
空には月、
砂漠にはサボテン、
土にはお花、
海には船。
この絵(色)が伝えたいことが、
心の中にすっと入っていきました。
お部屋に入ると、
松で作られた屋根と、
右手人差し指を上げた「仏陀」でした。
柄杓で、
仏陀に「五香水」を3回かけて、
最後の一滴は、
自分の手に落とし、
両手でこすります。
バラの香りが漂ってきました。
女将さん曰く、
「これで、心身も清められ、仏陀も守ってくれるからね」
とのこと。
単純ですが、
いいことは全て信じます。
さて、
『壬生』さんでのお飲み物は、
決まって「月桂冠(日本酒)」なのですが、
今月からは、
東北地方を盛り上げようとのことで、
福島の地酒でした。
被災地のものを積極的に購入することが、
私達にできる最速の支援活動でもありますからね。
呑みに呑みました。
お料理のお題は、
やはり「ブッタ(ブッダ)」です。
では、
その「仏陀」がテーマになった卯月のお料理にまいります。
生、筍飯
「物集女の筍ご飯」でしたが、
周りの産毛があまりにも気持ちよくって、
暫く触ってました。
ご立派な皮を取り外すと、
ごっつい筍がごろごろ入った炊き立てご飯(日本米)に、
大振りの木の芽がてんこ盛りにのってました。
一般的なお腹を持つ方は、
この量を食べてお腹9分目に達する量です。
椀、佛足
ということで、
お釈迦様の足を模った大根と、
BIGな「小田原産梅干し」のお椀です。
梅干しは、
いわゆる昔ながらのすーっぱいものですが、
全く破れないよう、
丁寧に塩抜きし、
ことこと炊いてありました。
周りが破れてしまうと、
梅本来の旨みが一気に消えてしまうんです。
これがホンモノの梅なんだと、
お釈迦様の足を眺めつつ頂いてました。
向、鯛・みる貝・細魚
女将さんが、
「はい、つらつら椿」と言いながら、
手のひらにのせてくれました。
4月の日本を代表する魚介が、
同じく日本の春を代表する椿と
そういえば、
後で「椿」を調べたところ、
「海柘榴」
とも書くんですって。
これは、
中国で、
隋の王朝の第2代皇帝、「煬帝」の詩の中で、
椿が、「海榴」もしくは「海石榴」として出てくるのですが、
「海」という言葉からも分かるように、
海を越えてきたもの、
日本からきたものを意味していると考えられるようです。
さらに、
日本の古文献にはちょこちょこ見かけますが、
733年の「出雲風土記」にはすでに登場してます。
島根は、「椿の故郷」とも言われてます。
椿話が長くなりました。
とっとと次にうつります。
「白魚」の天ぷらと、
読んで字の如く、
「仏の頭」に見立てて、
お豆腐ベースでできた「飛竜頭」の天ぷらです。
上部の黒い物体を引きあげてみると、
同じく、丸っこい緑色が見えました。
引きづりあげると、
白玉団子のようです。
続けて、
中を開けてみると、
5色の団子がいました。
お釈迦様が入滅された2月15日の法要の際に、
「団子まき」としてまかれる「涅槃餅」です。
『壬生』大将と女将さんが信仰するお寺では、
旧暦の涅槃月に、
赤・白・黄・青・黒5色のお餅がふるまわれるそうですが、
小正月、柳の枝に、小さく切ったカラフルなお餅や団子をさして飾り、
一年の五穀豊穣を祈願したそうです。
5色の由来は、
お舎利が5色に輝いていたという伝承から。
5色は、
「万物を生成する地(黄)・水(白)・火(赤)・風(黒)・空(青)」を
表す色でもあるんですよね。
冒頭の「ユートピア」もこの色です。
まだまだ書きたいことがありますが、
果てしないので、
この辺で。
たっぷりの酢味噌をのせた酢の物風の煮ものでしたが、
体の中にいる悪いものを洗い流してくれる要素満載です。
同様に、
次に、
掌に置かれたたっぷりの「木の芽」も、
体を浄化してくれますが、
この「木の芽」は、
迫力ある大振りな「筍の醤油焼き」に合わせて頂きました。
筍にも、
老廃物や毒素を排出してくれる働きがあります。
しかし、
『壬生』さんで食べる「物集の筍」は、
なんでこんなに勇壮なんでしょう。
また私の活気が溢れてきました。
2種の完熟みかんをはさみ、
最後は、
「蓬餅」でした。
「蓬の葉」を「焼き餅」の中に押し込んでかぶりつきますが、
一緒に、
「白小豆」も入ってました。
お餅は、
『壬生』さんが契約なさってる米農家さんに頼んで、
特別に作ってもらったそうですが、
「未だかつてないもの凄いお餅」としか言いようがない逸品でした。
ごめんなさい、
うまく表現できないです。
でも、
オンリーワンのお餅であることは確かです。
薄茶を啜りながら、
改めて感じてました。
日本は、
世界に胸を張って誇れる素晴らしい食の宝庫であり、
食の文化と食の歴史を持つ国だと。
そんな日本に産まれ育った日本人は、
日本に住みながら、
日本のごはんを食べていることが当たり前になりすぎて、
「食」に対する感謝の気持ちが粗末になりがちですが、
もう一度、
どれだけ「食」に助けられ、救われているかを考えなおし、
日々の行動にうつすべきだと思います。
そして、
“人を良く”する「食」に支えられている私達が生涯かけてできることは、
「食を救う」「食を良くする」人間であり続けることです。
私も引き続き、
愛する日本の地で、
心から「いただきます」と「ごちそうさま」がいえる毎日と、
日本の食縁に感謝し、
「食力」と「食縁」を授かり、
「食」と支え合って、
「人」と「食」を良くする「食」の世界のウルトラマンを目指します。