2010年2月11日(木)。
乳がんの手術後1日目。
乳がんの手術後1日目。
今日は建国記念日。
国民の祝日。
入院中の私には関係ないケド。
国民の祝日。
入院中の私には関係ないケド。
長かった夜が明け、手術の翌朝を迎えた。
「採血しますね。」 って、左足の甲から採血された。
・・・って、どうして腕じゃないの?(涙)
・・・って、どうして腕じゃないの?(涙)
朝食が出た。
まさか回復室で朝食にありつけるとは、思ってもみなかった。
三分粥と、紙パックの牛乳、紙パックのスープ(超甘いカボチャ味。「高栄養食」 と書いてあった。)。
少し胸が気持ち悪くなったけど、もったいないから完食した。(笑)
少し胸が気持ち悪くなったけど、もったいないから完食した。(笑)
飲み薬が出た。
ロキソニン錠(解熱鎮痛消炎剤)とムコスタ錠(消化性潰瘍用剤)。
私が生理痛用に婦人科で出してもらっている薬とまったく同じ。
私が生理痛用に婦人科で出してもらっている薬とまったく同じ。
「乳がんの手術をしたのに、薬がこれだけ?!」 って、ちょっと拍子抜けしたけど、
飲み慣れている薬だから良かった。
飲み慣れている薬だから良かった。
「1日3回毎食後を5日分」 が処方されていた。
尿道カテーテルを抜いた。
このとき、自分が “ ティージーパンツ ” を履かされていると知る。

ティージーパンツは、いわば、使い捨てT字帯。
使い捨て褌(ふんどし)と言ったところだろうか。
入院した日に売店で買っておくよう、看護師さんから事前に指示されていたもの。
使い捨て褌(ふんどし)と言ったところだろうか。
入院した日に売店で買っておくよう、看護師さんから事前に指示されていたもの。
生理が始まっていたけれど、ほとんど出血していないと看護師さんに言われた。
看護師さんが蒸しタオルで体を拭いてくれた。
(シモだけは自分で拭いた。。。)
(シモだけは自分で拭いた。。。)
その最中に、両親が面会に来たと別の看護師さんが伝えに来てくれたが、
私の個室で待つように頼んだ。
私の個室で待つように頼んだ。
自分のショーツをはいて、
病院が貸してくれた胸帯(ワンショルダーのソフト・ブラジャーみたいなもの)を巻き、
病院の手術着みたいな服から自分のパジャマに着替える。
病院が貸してくれた胸帯(ワンショルダーのソフト・ブラジャーみたいなもの)を巻き、
病院の手術着みたいな服から自分のパジャマに着替える。
そして・・・
自分の個室へは歩いて帰った!
両親が、「歩いて帰ってきた?!」 とものすごく驚いていた。
そりゃ、乳がん手術の翌日だもんね。
歩かされた私が一番びっくりしたワ。
歩かされた私が一番びっくりしたワ。
熱を測ると37.3度。
熱のせいか?頭が痛い。
熱のせいか?頭が痛い。
右腕につけていた点滴が終わり、針も抜いた。(これ以後、退院するまで点滴は一度もなかった。)
午後、知人が花を持って来てくれた。

手術日を知らなかったらしく、
「昨日手術して、今日、回復室から戻ってきた。」 と言うと、慌てて帰って行った。(苦笑)
「昨日手術して、今日、回復室から戻ってきた。」 と言うと、慌てて帰って行った。(苦笑)
妹がお見舞いに来てくれた。
愛しの甥君にとても会いたかったけれど、入院する前に、
「大きな総合病院だから、どんなウイルスが蔓延しているか分からないから、
生後9ヶ月の甥君は連れて来ちゃダメだよ。」
と釘を刺しておいたので、甥君は義弟君とお留守番。
「大きな総合病院だから、どんなウイルスが蔓延しているか分からないから、
生後9ヶ月の甥君は連れて来ちゃダメだよ。」
と釘を刺しておいたので、甥君は義弟君とお留守番。
妹はイチゴとアイスクリームを持って来てくれた。
「病院ダイエットするぞ!」 と決めていた私は(笑)アイスクリームは我慢し、
大粒のイチゴは入院中の私にとって唯一の楽しみ、1日3回一粒ずつの食後のデザートになった。
大粒のイチゴは入院中の私にとって唯一の楽しみ、1日3回一粒ずつの食後のデザートになった。

プラスチック製のコップは甥君用に私が購入しておいたものを入院中だけ使用。(笑)
看護師さんも、「カワイイ~♪」 って言ってくれた。(笑)
看護師さんも、「カワイイ~♪」 って言ってくれた。(笑)
夕方、主治医先生が来て、手術後の詳しい説明があった。
一発で、悪い病変組織を取りきれたこと。
(↑「もう少し・・・。もう少し・・・。」 と追加で削らないで済んだ、の意。)
(↑「もう少し・・・。もう少し・・・。」 と追加で削らないで済んだ、の意。)
摘出した組織を3人の病理専門医に診てもらうこと。
それから、

(また、Excelのドーナツグラフでオッパイを作ってみた。笑)
病変組織を摘出して空いた部分に、ピンク色の部分を移動させて補充?したこと。
(肉まんに例えて言うなら、中身の具だけを動かして、皮は動かしていない状態。)
(肉まんに例えて言うなら、中身の具だけを動かして、皮は動かしていない状態。)
乳輪も乳頭も残せたけど、内側は乳首ギリギリの薄さまで削り取ったこと。
ちなみに、線路が切開部分。
始発駅は乳首の真上にあり、終着駅は脇の下にまで及んでいて、その距離13センチ。
今は傷の真上に透明のシリコン(ジェル)シートがベッタリ貼ってある。
始発駅は乳首の真上にあり、終着駅は脇の下にまで及んでいて、その距離13センチ。
今は傷の真上に透明のシリコン(ジェル)シートがベッタリ貼ってある。
傷は大きいけれど、乳房の形と大きさは右側とほとんど変わらない。
「な~んだ♪これだったらイケるかも?!」 と思った。
スゥ~・・・っと気持ちが晴れてゆくのを感じた。
先生に何を言われても、
「いいの!乳房温存できたから♪」
と笑って言えた。
「いいの!乳房温存できたから♪」
と笑って言えた。
そんな私を見て、母も、「こんな笑顔は久しぶりに見た。」 と喜んでいた。
術後の痛みは・・・
確かに、痛い。
でも、子宮筋腫の手術後の痛みのことを思ったらずっとマシだし、
痛み止めが効いているのか?眠れないような痛みではない。
痛み止めが効いているのか?眠れないような痛みではない。
だけど、痛みを感じる範囲が広範囲だ。
ちょうど、
“ 東山の金さん ” こと、江戸北町奉行遠山左衛門尉の桜吹雪のイレズミと同じ範囲が痛い。
(↑二の腕や背中のほうまで痛い。)
“ 東山の金さん ” こと、江戸北町奉行遠山左衛門尉の桜吹雪のイレズミと同じ範囲が痛い。
(↑二の腕や背中のほうまで痛い。)
しかも、“ 肉 ” じゃなくて “ 皮膚 ” が痛い。
ヒリヒリ、ピリピリ、痛い。
ヒリヒリ、ピリピリ、痛い。
それと、痛みと同じくらい違和感が気になる。
この感じを、言葉でどう表現するかなあ?と考えた結果・・・
すごく不思議なのが、
乳房や脇の下を触っても、まったく何も感じない。(触られていることが分からない。)
乳房や脇の下を触っても、まったく何も感じない。(触られていることが分からない。)
でも、爪ホッカイロが貼り付いている感じやヒリヒリ痛や切開傷の痛みは、ある。
自分の身体じゃないみたいで、ヤな感じ。
主治医先生も看護師さん達も、「だんだん良くなるから。」 って言うし、
子宮筋腫の手術後の痛みも時間はかかったけど良くなったんだから、
今回もきっと回復すると信じよう。
子宮筋腫の手術後の痛みも時間はかかったけど良くなったんだから、
今回もきっと回復すると信じよう。