シャーマンがシャーマンを撮る『天空のサマン』
えみさんに勧めていただき、
行ってきました。
サマンとはシャーマンのことで、
この映画は、
残存する最後のサマン儀式を撮影した、
満洲シャーマニズムの深淵を探求する、
ドキュメンタリーです。
失われつつある、
自然を神とする宗教の原型、
原始仏教のサマンの儀式は、
人間の生々しい命のほとばしりでした。
サマン太鼓と、
胴鈴(腰に付けるたくさんの鈴)
の音は、
がっしりと大地に足をつけて奏され、
地球という大きな命の声のようでした。
シャーマンとは、
天に属するものではなかった。
圧倒的に地に属し、
自らの命を使って、
音を鳴らすことで、
自身の存在丸ごとを生贄のように、
天に捧げているように感じました。
シャーマンとは、
人間の先頭に立って、
天と地、
あの世とこの世、
冥と顕、
の瀬戸際ギリギリのところで、
音とリズムと言葉を発して、
新しい時空を生み出していく人、
だと思いました。
毎瞬毎瞬が命がけ。
儀式では、
生も死も、
鮮やかすぎるほどに、
むき出しです。
生と死は、
紙一重で、
裏表です。
昔の人達は、
生きていること自体が、
神秘であり奇跡だということを、
儀式を通して、
確認していたのかもしれません。
この映画で、
わたしが一番感動したのは、
音楽でした。
何度も登場する、
サマンの儀式の場面の、
シャーマンの太鼓や鈴の音楽だけでなく、
それ以外の場面の、
バックに流れる音楽が、
素晴らしかった。
サマンたちの歌や太鼓の音が、
部分的に使われた、
まったく新しい音楽なのですが、
呪術性を失われることなく、
洗練され、
現代人の魂に響くように感じました。
どなたの音楽なんだろう?
と思ったら、
なんと!
ミュージシャンでもある金監督の作曲でした。
映画全体を通奏低音のように支配する、
太鼓のリズムに、
命の源泉をノックされ続け、
映画という名の、
シャーマニアックな儀式に参加したような、
不思議な体感が残りました。
ロビーには、
金監督の絵が飾られていたりもして、
シャーマンのような方だな、
と思って、
後からパンフレットを見たら、
満州族の血を引く父と、
日本人の母とありました。
見終わった後の、
ちょっと時空が切り替わった感覚は、
現代のシャーマンが、
失われつつあるシャーマンの映画を撮るという、
入れ子構造によるうねり、
からくるのかしら。
吉祥寺UPLINKで30日まで
#天空のサマン #金大偉監督