【パリ祭・花火・ドビュッシー・マラルメ】

 

今日、7月14日キャトルズジュイエは、

パリ祭・革命記念日ですね。

 

 

1991年だったか留学した最初の夏、

初めて見たパリ祭の打ち上げ花火は、

花火と花火の「あいだ」がなかった。

空が闇夜に戻らないように、

息つく間もなく、次から次へと畳み掛ける。

 

日本の祭りの打ち上げ花火は、

一発花開いたら、

消えるまで見届けて、

その後の闇に残る残像にまで目を凝らす。

それは、

除夜の鐘の余韻に耳を澄まして、

音の静寂を聴くのにも似ている。

 

日本の祭りって、

常に「無」「見えない気配」とともにある。

むしろ、そこを感じるために、

祭りがあるとさえ思えるほどに。

 

でも、

パリ祭の花火に、

「無」「見えない気配」がないわけじゃない。

 

夢が醒めたような祭りのあと、

言い知れない無や闇が待っている。

 

そういう諸行無常を、

フランス人は、

「セラヴィ」って言ったりする。

 

ドビュッシーの《花火》という前奏曲は、

パリ祭の花火を描いていて、

畳み掛ける花火で埋め尽くされた曲ですが、

 

曲の終わりは、祭りの終わり、

ストンと暗い夜がやってきて、

祭りのあとの気だるさのなか、

遠くのほうで、とぎれとぎれに、

微かに、フランス国歌が聞こえるかな?

と思ったら、ふっと消えて、おわり。

 

ビュッシーが、

マラルメの詩『牧神の午後』に触発されて作曲した、

《牧神の午後への前奏曲》も、

無と有の境界線上にある曲ですね。

 

19世紀末のパリで親交を結んだ、

フランスの詩人マラルメと

作曲家クロード・ドビュッシー。

 

966夜「骰子一擲」マラルメ

https://1000ya.isis.ne.jp/0966.html

 

ドビュッシーとマラルメが、

言葉にも音にもできない「見えないもの」

を共有していたことを思うと、

想像しただけでドキドキしますね。

 

パリ祭&新月の夜に。

つれづれなるままに。

 

<瞑想するピアニーノ>

 

本日 7月14日 新月 22:00頃〜

youtubeライブで!

 

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