コーチが自分自身のことをする時に
「伴走者」と表現するのをよく目にします。
この表現に対して、
クライアントが自分で歩む姿を支えるイメージとしては納得できる反面
「答えはクライアントの中にある」といった考えには少し違和感がありました。
ようやく、その違和感が言語化できたというか、
こういうイメージだな…というのが見つかったので、
今日はそれについて書いてみます。
◆納得していた部分
どんなにすばらしいコーチを付けていたとしても、
結局、行動するのはクライアント自身です。
なので、
望む結果が出るかどうか、
目標達成できるかどうか、
というのは、コーチの力だけでは無理。
コーチとクライアント、双方が本気で向き合うからこそですよね。
コーチは「クライアントの代わりに何かをやってあげる人」ではないので、
運転代行とか、業務代行屋さんではないですね。
あくまでも、運転席に座って操縦するのはクライアントで、
コーチはその横で同じ方向を見ている感じ。
クライアントと共に同じゴールを見据えて進んでいく、
という意味で「伴走者」という表現にしっくりきていた部分がありました。

◆違和感があった部分
「答えはクライアントの中にある」
「コーチは教えない」
と、見聞きすることが多いけれど、果たして本当にそうなのだろうか?と。
自分の気持ちに気付く、
モヤモヤをスッキリする、
自己理解や価値観の発見などのような
内面探索型のテーマであれば
クライアントの中に答えがあるのでいいのですが
クライアントの中に答えがないもの、
あるいは、一人で解決(達成)が難しいテーマもあります。
クライアントは十分なポテンシャルを持っているが、
何らかのきっかけによって、十分に力を発揮することができない。
もしくは、何かしらのリソースが足りない、
考え方がずれているから解決(達成)できていないわけです。
この「足りないリソース」については、
クライアント自身が見つけてくる場合もあるけれど、
全てのケースにおいて当てはまるとは限らないのです。
また、目標としている物事や内容によっては、
教えてもらった方が良い(早い)ケースもあります。
「考え方がずれている」というような場合には、
まさにクライアントの盲点になっているので、
正しい考え方を教えてもらった方がいいですよね。
例えばですが、
盲目のマラソンランナーは、
走り切れるだけの気力も体力もあります。
走りたい、ゴールにたどり着きたいという意欲もあります。
しかし、目が見えないから道を間違ってしまうかもしれない。
だからこそ、伴走者(≒コーチ)が必要です。
自分の中に答えがない場合や、
ゴールを目指す過程において、道に迷いやすい状況というのは往々にして出てきます。
ですから、伴走者(コーチ)自身も、
走り切れるだけの気力体力が必要ですし、
同じ道を走ったことがあるからこその関わり、例えば……
「ここは気を付けていきましょう」
「少しペースアップできますか」
「そちらに行くのは遠回りですね」といった
道しるべ、アドバイスを出せるような専門性も求められるわけです。
「行動するのはクライアントだから」
「コーチは教えない」と言って
クライアントの気持ちを聞いているだけ、
寄り添っているだけでは、叶えたいゴールには到達できないです。
クライアントにとって、高く・遠いゴールを目指す場合には尚更です。
寄り添うだけ、引き出すだけではなく、
クライアントを正しい道へと導く役割も担えてこそ、
「伴走者」としての真価を発揮できるのではないでしょうか。