予定外のスケジュールで

連絡事項と近況報告いっぱいの打ち合わせ。

何年か前はどこからまねして良いのか分からない程だったけれど

今ではそれぞれのエリアで活動していることもあり、

今までより近い立場でお話しさせてもらっている。


いつも通り、楽しい話を入れたトーク。

いつも通りの どこから交わそうかと思うような軽妙トークに

振り回されないようについていこうと

こちらも 機転を利かせる対応の腕が上がる、上がる。 笑

そんな 打ち合わせの最後に、ぽろっと言われた。


5年後10年後にどうなりたい、という画を描かなくちゃ

 自分たちの人生なんだから。

いつか叶う、とおもって念じていれば

絶対に、そうなるから。

ただ、画が無くては 何にもなれないよ と。


次の世代への引き継ぎを視野に入れたコメント。


自分に出来ることは やるけれど、同時に

次に遺すものを視野に入れた逆算の行動はじめなくちゃね、という ニュアンス。




それも、しんみり基調なんかじゃなく 

微妙な気遣いからか

ちょっとした言葉遊びを入れて 言ってくれた気がする。

アンテナに引っかからなければ、

気に留めないでやり過ごせる そんなサラッとした言い方だった。



経営の Visionとか 視野とか 企業の方針とか

言葉ではたくさん聞く。

ビジネス書でも当たり前のように目にする。

けれど、今回は

なんだか、上っ面だけじゃなく、心に、すとん、と落ちるタイミングだった。

今まで、知っていたのに、

十分実感できていなかったんだなぁ、と思った。


自分のやりたいことをやりたい、なんて勢いあるときには思ってしまうのに

そうでなくちゃ、不消化な気持ちがすることさえあるのに、

自分でも気づかないなか

 5年後10年後は、誰かが決めてくれるような気がしていたのかも知れない。



ふと言われた昨日より

記憶にとどめておこうと改めて思い返してみた今日の方が

ずっしりくる メッセージ。

            ちゃんと、受けとりましたよ。ベル




既に決まっていた予定をキャンセルして、急遽1日を空け

電話で済むかも知れない打ち合わせ内容を含めて

ミーティングの機会を持ったのは 

このメッセージを伝えたかったからかな 

今後の方針の確認だったのかな

と今になって改めて 思う。  


きっと、今日のタイミングでどうしても!!という判断と

ストレスがあったと思うけれど

いつも通りまろやかだったので そんなこと感じなかったよ。 




そして、話の流れで こんな事にも話題が派生した。


人との関係も財産のうち。

信頼関係も これほど無ければ動きにくいものはない。

なのに壊すのはある意味しようとさえ思えばいつでも。


・・・つい身の回りでいろんな事が起こると

自分で混乱して、priorityの順序がおかしくなってしまうことある。

長期も大切だけど、今の一回も、話の流れに任してはいけないのでは?と思ってしまったりする。

そんな混乱したときに信頼できる言葉

っていうのは、 いつも常備薬のように持っておきたい。

心の気付け薬として。    チョコレート




徐々に様子が把握出来るようになったこともあり 

今では数年前には予想もしなかったくらい近い立場で

お話しさせてもらっている。 

いつもは軽妙トークの相手だけれど

今日は 心で会話 というフレーズがふと頭に浮かんだ。





関わった誰もが朗らかな笑顔になれる人。

ユーモラスで、楽しい。

ポジティブ。

・・・きっと誰もがそういう評価をする ひと。

ひととの繋がりを作る巧さは、 日本屈指だ、って思うし、

それがきっと彼なりのスタイル。



と同時に、奢りすぎない自分の立ち位置と、

動くことのできる範囲を把握している所が、焦点あてて行動出来る基盤なのだと思う。




家族の繋がりや学校では触れる機会のないこと。 

学ぶ機会のない 側面。

・・そういう意味で 良い経験をさせてもらってる。

 私はとても恵まれた環境で仕事させてもらってる。



同じ方向を目指して、活動出来ていることに感謝。

巡り会いとタイミングに 感謝。

でももしかしたらこれは

偶然なラッキーではなくて


数十年も、もしかしたらもっと先からの 

世代を超えた 贈り物の一端なのかも。


目に見えない大切なもの に囲まれていても

色々な理由を付けて
日々、見落としてしまっていること自体をを正当化している生活を

送っているのかも。


たぶん いまは一つ一つを見落とさないよう

心がけてみること 位しかできないけれど

いつか、感謝の形につなげることが出来れば、いいな。 と思う。



今日は 自分の気持ちを 記録しておくための ブログ。 でした。プレゼント



行楽日和な気候の中
景色 満喫! の1日でした。


今回訪れたのは 醍醐寺

http://www.daigoji.or.jp/

http://www.pref.kyoto.jp/intro/isan/daigoji.html

醍醐寺 三宝院 三宝院














今回の、満喫スポットは、


醍醐寺・三宝院から眺めた お庭。



目をやる先一つ一つに、自然の縮図がギュッと詰め込まれて
・・いつまでも いつまでも、新たな発見と共に
      鑑賞していられそうな お庭。



(( 写真撮影が禁止だったので、いっぱい目に焼き付けて *_* ))




1メートルも移動すれば、違う景色の再発見。


   味わいを感じさせる 立派な枝振りの 松。



めいっぱい風を受けて 柔かく反応する、木々の枝と濃淡の緑。


 大小の滝の水は変化に富んだ流れを織り成し

低い目線の位置で、ゆったりしなやかに羽を広げる 鳥の姿。




エネルギースポット、 

と呼びたくなるような、ほっと安心出来る 日だまり。



極上の甘いもの 、みたいに、
押しつけがましくない    

      けれど、「また来よう!」と
        自分に約束してしまうような、 引力。

そこに、同時に存在することで
ひとが 一段まろやかになれるような お庭でした。


+++ 醍醐・三宝院 +++

三宝院は永久3(1115)年 醍醐寺代14世座主・勝覚 僧正の創建。醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が住居する坊である。  現在の三宝院は、その建造物の大半が重文に指定されている。中でも庭園全体を見渡せる表書院は、寝殿造りの様式を伝える桃山時代を代表する建造物である、国宝に指定されている。  国の特別史跡・特別名勝となっている三宝院庭園は軽重(1598)年豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計をした庭であり、桃山時代の華やかな雰囲気を伝えている。






どんな人に対しても柔らかな 人当たりとか
押しつけがましくないのに 
エネルギーを与えてくれるところとか 
が今回のお気に入りポイント。


・・そういえば、なんだか、主語を「人」に変えると
「目指すべき理想の姿 (人)」な感じです。。。。



・・・お庭をゆったり見ながら  ゆったり 思い出す 
しばらく会っていない人たちのこと。


いまはどうしてるのかな?
いつか、一緒に旅を楽しめることも あったりするかな?



。。そんなことを つらつら思いながら 
鑑賞するほどに、柔らかな気持ちになるお庭でリフレッシュ。





どこからともなく感じる 安心感。

濃いめのあったかな緑茶を ひとくち 口に含んで
その香りをカラダに巡らせながら 
 ホッと ひと息 つく、 

                 ・・・・いわば、 そんな感じかも。


紅葉と空



東京での毎日と 

時間の流れが 圧倒的に 

違う。



    でも、 ふと

      東京から3時間足らずで来れるところ、

         ということに 気づき


      「ゆったりした気持ちになりたければ
              日帰りだって 来れるんだ」



      と思うと、なんだか 安心した気持ちになれたり。




醍醐寺

そして、醍醐寺といえば、世界文化遺産にもなっている五重塔も有名。



修学旅行生



変わらないで居てくれることへの、 安心感
私にとって、京都の大切なポイントの一つ。


高校のときの関西旅行(修学旅行)で 
楽しいっビックリマーク、というだけじゃなく
友達といっぱい語ったり、 日本文化に感心したり
「自分を見つめるきっかけ」を与えてもらった思い出のある京都。


今回も修学旅行生たちとすれ違い、
あの頃、どんなことに 感動して 
     どんなことが 可笑しくてたまらなかったっけなぁ

と懐かしく思い出した。



京都って、そういう意味では
「あのとき」から、自分でも気づかないうちに変化した自分
を再発見させてもらえる街でもあるのです。


秋の味覚


ミーティングに出かけた大阪からの帰りを
1日遅らせて、昨日は京都にステイすることに決めて、

久しぶりの京都。


まずは、女同士のフレンチディナー。


今日の町屋のスタイリッシュな愉しみ方

。。。ということで今回お食事したのは


DOUZE GOUT 12+
http://www.douze-gout.com/home.htm


しっかりマナーのある正式なフレンチを出しているのに
  同時に
京風な懐石のもてなし心を 上品に活かしたお店でした。


グラスワインも、とにかく豊富で、大満足。 チーズワイン

少しずつ幾種類ものお料理を出していただけた

嬉しいメニュー構成の配慮もあって

一回のお食事で お食事も

京都ならでのお食事、という雰囲気も含めて

何回分も楽めたような お店でした。



外からの文化や刺激を上手く取り入れ、

融合や工夫を重ねながら

自分たち独自の形に発展させて

形作られてきた 日本文化。

(茶道にしても書道や日本語の漢字にしても、もとは大陸からの伝承から始まっていますよね。。)京 三条


................old meets new .......


外からの目新しさと古来の懐かしさのバランスが絶妙なところが

歴史を通して オシャレ、と感じられてきたのかも。


今回のレストランでは、 2006年にある

そんな文化の一端を 感じてみました。




海外からのお客様と一緒にまわることが多いこともあって
来るたびに、王道・初心者コースばかりヒヨコ ・・・ だったので
今回はゆったり気ままに歩いてみることにします!


 草原を そよそよと通り抜ける風に

 コスモスたちが手を振り、あいさつします お月見



そして、そんなコスモスを やわからく照らすのは


ほっこり と やさしい表情で 空に浮かぶ お月様  ・・・・






・・・・そんな広がりのある風景も フラワーアレンジで表現できるのですね!


                      (ホテルグランヴィア京都 ロビーにて)


空間の広さや照明の度合いを上手く活用し



”秋の月夜”という情景


を感じさせてもらったロビーの生け花でした星空




ざわつきがちなロビーにも 月夜のまろやかな あかり


  虫の音が 聞こえてきそう。



そう、 今日はちょっとだけ

そんな情景を近く感じられるようなところに来ています。

鴨川


   カクテルグラス チョコレート いちご お茶 キャンディー


最近、食べたくなる料理やスナックを、
体が特定の栄養成分を欲しがっているサインだと勝手に分析してる私です。


ナッツ類しっぽフリフリが食べたい→「おぉ、ワタシの体はミネラルを欲している」とか

鯖寿司フグが無性に食べたい→「疲れて尿酸値高くなってるからそれを押さえたいんだ」とか

グレープフルーツやオレンジオレンジ→ 「ビタミンC っっ!」

牛乳飲みたい→「カルシウム、カルシウム♪」チーズとか 


まあ、多分に、後付けの理由だったり、気のせいだったりするんだと思うけど
食べたいもの、が体に不足してる栄養なんだろうと、良心的に解釈することにしてます。


つまり、要は、好きな物を気ままに好きなだけ食べて生活しております。^^;


( ただ、量だけは、本当に必要??  と自分のからだと会話して、
  「欲しい分だけカラダに入れる」のが私流のヘルシー・ダイエット。 



でも、それって案外、正解なこともあるらしくて。



・・・・とある実験の話。  

幼児の周りに、お菓子や果物、ごはん、肉類やお野菜(食べやすい加工品ね)など、様々な栄養の食材を置いて、好きな物を口にいれれるようにして、自然な食生活を観察したところ、何も教えてないのに、栄養学上、ホントにバランスとれた比率で口に入れるんだそうです。 
(人間の生きる力と生まれ持った栄養バランス能力ってスバラシイ。。ニコニコ


自分の体をニュートラルなバランスに保って、自然と対話出来るリラックス環境に置いてあげれば、体って、自ら持っているバランス調整機能を発揮出来るんだろうな。



でも、過去の実体験を振り返ってみても、現代の生活では、熱中することがあったり、忙しすぎたり、ストレスがあったり、偏った食環境の中にいる場合、本来の体の声に気づいてあげれないことが多いかもね。 とりあえずの「頭の痛さ」や「疲れからの解放」「ストレス発散」を優先させてしまって偏った食生活をしてしまう様な気もします。ハンバーガー ビール ラーメン




‥そんなこんなで、健康業界にも関わるようになって以来、長い歴史のある食文化(日本/フランス/中国など)と比較的歴史の浅い食文化(アメリカなど)の底力の違いを感じたりもします。 


それと、小さい頃に食文化が形成されるから、子供のお食事って意外と大切。子供の頃にhow to eat healthyを感覚的に学んでないと、その後の人生、間違った栄養バランスで食生活送っちゃうからね。


ふと日本の小学校に通ってたときの学校給食を思いだしてみたりもしました。あれって大切な「教育」の一環だったんだなぁと思うのです。 配膳当番やお食事マナーも然ることながら、
お食事のスピードや、量も友達と比較すること出来たしお食事の時の飲み物はお茶や牛乳で当たり前と思ってたし(ジュースや炭酸飲料じゃなくて) 給食が美味し割といと評判の学校だったこともあり、最初は微妙に苦手かも、と思ってた食材も克服して好き嫌い無いって、いう自信もできたし
・・自分の家では食べる習慣の無かった「イカめし」も食べること出来たし。笑




私は、小学校の頃、家族と一緒に米国で生活していた期間ががありました。

その時は日本の遠足の時と変わらないような、親の手作りのお弁当持って行ってたけれど、それでもやはりアメリカの環境にちょびっと影響されてか、ジュース持っていったり、チーズ&クラッカーをスナックに付けてもらってたりしたかなぁ。。


日本の学校の給食からすれば、おやつみたいだけれど、

アメリカの平均からすれば限りなく優等生なお食事内容。



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アメリカでは、かつて 企業の戦略として、子供時代に定着させる→オトナになってからの顧客の囲い込み という観点から、コ○・コーラやペ○シなどが競って学校に販売機置いていた時期がありました。 が、その世代が大人になった今、アメリカ国内でも食生活の乱れによる肥満が問題観されています。

こういう背景もあって、最近アメリカでは、学校の校内でソフトドリンク販売を禁止(または自主規制)する動きが強まっているのですね。



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先日、電車で斜め前のシートに座ったギャルママ(まだこの言葉ある?)が、2歳にも満たないくらいのお子さんに、サラダ味プリッツ(美味しいけどかなり塩辛いよね)を、まるでお食事のように箱単位であげてるのを見かけて、かなりおののきました。まだ小さい子だったから、一箱も食べたら、プリッツだけでお腹いっぱいになっちゃうよー?しかも、あの塩分。
歴史ある食文化の日本かと思いきや、うかうかしてられません。。。



ともすると、出来合いのお食事買ってきたり、加工食品に頼りがちになっちゃうことが多いこの頃だけれど、その中でも、人間の生まれ持った栄養バランス能力に気づいてあげれるゆとりがある生活ができるといいなぁ。



出来合いのお食事や加工食品を食べた場合にも、体に負担かけない状態に戻してあげる素材の紹介や提案など、何らかの形で将来的にお手伝いができるようになるとと良いなぁとも思うこの頃です女の子キャンディー


極上の甘いもの ・・・ っていうのは

生菓子

たいてい、甘すぎない。


節度があって、あと、半歩、くらい控えめ。

また今度、が楽しみな感じ。


あと、五感を使って楽しむことの出来るための心遣いと、メリハリ。


ココロをちゃんと、満たします。

素材の育ちもよさそうで、いくぶんカラダにも優しそう。


お茶室












お菓子に限らず、

・・・そんなスタンスでのとの出会い が増えると


「上質」 な 「しあわせ」 が 日常になるのかも。



ケーキ



When Harry met Sally (邦題:『恋人たちの予感』)
のサウンドトラックを久しぶりに聞いた。


言わずと知れたラブロマンス映画の代表格。


メグ・ライアンやビリー・クリスタルを一躍出世させた映画としても知られています。


と同時に、私にとっては初めて 「折ある毎にまた見たい」と思った映画。


まだ英語を勉強中だった頃、初めて、原語(英語)の方が楽しめると思った映画。


当時レッスンに通っていたタップダンスで年一回のショーをこの(映画に使われている)曲で踊った思い出もあり


昔、住んだことのあるシカゴのスカイラインや連れて行ってもらっていた大学の風景なども懐かしく感じる、

そんな個人的な思い出と重ね合わせる事の出来る映画でも、あるのです。

アメリカでの生活を思い出させる
落ち葉の積もるセントラルパークの風景や
本屋さんの一コマ
(今となっては一昔前の) NYCの風景、

そして、ストーリーの展開リズムも 
私にとっては今のハリウッド映画ではあまり見かけることのない

 「落ち着ける基盤」 的な要素があって、
なかなか、好き。





When Harry met Sally



私にとって "ザ・映画" (娯楽系のね)という感じの作品だからか、


一番最初にこの映画に接したときどんなことを考えていたとか
将来に対してどんな感覚を持っていたとかいうことを
とても手近な感覚で覚えている。


・・・だからかな?
この映画タイトルに触れるだけで


あのときに「未知」だった時間を経た今、

十数年前の立場に戻って
また、少し立ってから再度見た時の立場に戻る
ひとときに触れることができます。


       
        「今」の軌跡を感じる音楽。



あのときに おぼろげながらやってみたい
と思っていた諸々の事が現実に叶えられていたり、

予想もしていなかった体験さえ
することも出来ていることに気づいたり、


・・・これも普段の何気ない生活の中で 「自分の人生でやってみたいこと を無意識ながらもpriorityつけていた結果なのかなぁ?」 と思ってみたりする。



良きにしろ悪しきにしろ、過去の延長線上に、
今の私が居ること は 確か。


waves


   


ところでこの映画の中で、一番最初に観たとき以来、毎回、新しい感覚で捉えることで、

自分自身のまわりの年月の流れを感じてしまうシーンがあります。


~大学以来の「恋人ではなく友人」な男女二人の主人公の電話での会話。~

メグ・ライアンの演じるSallyが十数年の間、つかず離れず連絡をとる「腐れ縁」仲の元彼のHarryに、失恋の落ち込みを泣きながら相談(というか、とにかく話を聞いてもらう)ため電話するシーン。


Sally側が情緒不安定な中、
いくつかのやりとりの後


Sally : ... I gonna be forty!! 
(このままでは、結婚しないまま) 40歳のオバサンになっちゃう というニュアンスで.


Harry: When?
(まだまだ先の話でしょ?)

Sally : I don't know... sometime... 
(そりゃ、すぐに、ってことじゃないけど)

・・原版を手近に確認していないけれど、たしか、こんな感じのやりとりだったように思う。

で、最初観た頃は、明らかにすべてのやりとりが将来のものだった。
「こんな事がリアルに感じられるようになる頃も、そりゃ、いつか 遠い将来、来るよねー。」 なんて ものすごく先のこと、全くの人ごとに思っていたことを、どういう訳かピンポイントで、とても鮮明に覚えているのです。

ふと、振り返れば

当時の私にとって "ずーっと年上のお姉さん" 

だった映画の中のSallyに 今ではずっと近い立場。




今では、自分の年齢が上がってきて どうしてこんなセリフが出てきたのかとか、
あの当時は見えていなかった紆余曲折な心の動きの描写とか
推察しちゃうところで、逆に 自分の人生経験が増えたんだろうなぁと感じてしまう。


気づかないうちにやり過ごしてしまっただろうものも含め、
そういえば違う「人生」の選択肢もあったのかな?
なんて思ってみたり。




ちょっとビクビクするけれど タイムマシンに乗って
10代の私、20歳の私、5年前の私に、
挨拶してみたい気分になったりもします。


当時の私にとって、
合格点をつけてもらえるような自分、 

将来を覗いてみたときにちょっぴり楽しみにしていてもらえるような自分で、居れているかなぁ・・?




・・・なんて、 

  「映画の秋」に入りつつある季節のつれづれでした しっぽフリフリ

どうやら芸術に触れる機会のある猫たちは


芸術とは何ぞか

絵画の鑑賞とはどうあるべきか を心得ているようで・・・・



先日訪れた、パリ・モンマルトル地区の美術館の館内でみかけたネコ

(どうやら棲みついているらしく、入り口にいた監視員?学芸員? のおじさんにも顔パス)


私たちがちょうど鑑賞しているお部屋にのっこりとあらわれ、


「絵画とはこうやって鑑賞するものなのよ」


と言わんばかりに、当たり前なカオしてとった、この姿勢 ↓


アートと猫

両手両足は 丁寧に揃えられ、

しっぽは くるりん、

カオの角度も絵の中心を良い目線で眺めてます。。。


 あまりのポーズの決まりように、

思わず、ネコの方を鑑賞してしまいました!





  * * * *



そういえば、日本でも同じような風景に出会ったことがありました。




以前鎌倉にある、モダンアートの画廊を訪れたときにも・・・・・・


画廊在住の猫ちゃんは エレガントに決まった、このポーズ !!


アートな猫


そう、 きっと、芸術は猫の知性を上げるのです !?・・・笑!






今日は都内で2件のミーティング。


海外からの訪問者と、国内番組の打ち合わせ。


参加者の中に次の時間帯に予定が入っていらっしゃる方がいらしたこともあり、ミーティング開始早々から、どちらも核心をついたディスカッション展開ができた。

内容ぎっしりなのにさくっと終わらすことが出来て、とてもすっきりした気持ち。



短時間に、充実した情報交換が出来た、ということのことは

参加者の 「目指す方向が一致していた」 為であったと同時に、


今日の瞬間に至るまでの基礎を何十年も掛けて築いてきた人たちや、

この場に至るまでの多くのかたの多方面の活動、

個々人の 商品やコンセプトに賭ける熱意や努力、思い、

そして良い意味での「運」

が重なったからこその結果、でもあるだろうと思う。 


そして、今日の出会いの場で話をさせてもらった私が(ラッキーにも)その皆の力で築きあげた充実感を味わうことができた、と解釈出来るんだろうな、と思ったりする。



ひとりのちから以上の充実感。相手がいるからこその効率の良さ。



年に何回も顔合わせする相手とのミーティングではあったけれど、
今日は今日で、何ともない瞬間に、ふと、そんな感謝を感じた。


こういう瞬間を味わうことが出来るまでの、多くの 直接目に見えていない「力」に対して、じわりと感謝の気持ちを持つ。

今までの用意に対して、ありがとうお月様



・・・この思いを持つとき ご飯を食べる前の挨拶、「いただきます」 という挨拶を思い出すのです。

ご飯を食べ始める前に
英語圏やその他の国の人たちとの間では
"Bon appetit!" (ボナペティ)ナイフとフォーク

を使うことが多いです。


「ところで日本語では何というの?」と聞かれたときに答える「ita daki masu (←音感的に大抵の文化圏の方に難しく聞こえるようです)



「いただきます」は


このお食事が出来るまでのプロセス -調理して下さった方や食材を作られた方、ひいては命を捧げてくれたブタや牛、にんじんやタマネギ- に対して 命や、お手間戴いた作品に対しての感謝とねぎらいのあいさつなのよ、と説明することが多いのです。



今日のミーティングは、味の煮詰まったシチューみたい。


・・・あとは、まろやかさを出すために、もうひと煮立ちさせ

コクを引き立てるために塩コショウで味を調えます。



美味しく味わって頂けると、多くの努力にお礼が出来た気がして、うれしい。ワイン


ご近所の猫

近所にこういう猫がいます。

写真は、ご近所さんの、2階のベランダ。

猫拡大

毎夕、手すりの部分にちょこん、と乗っかって

夕焼けを眺めるのが お気に入りらしい。。



毎日顔を合わせる鳥たちに座り方を教わったのか、

手すりから見える夕焼けがお気に入りなのか・・・


黄昏なネコ の風景でした!