誰も知らない友×誰も知らない愛 -19ページ目

誰も知らない友×誰も知らない愛

離れていても心は共にある

 

 

 

ここまで辿りついてくれた大好きなあなたへ

 

 

 

「身近にある幸せのために、大きな幸せを手放す」

 

 

自分がいくら幸福になろうと、多くの人が幸福にならないかぎり

何かを変えたことにはなりません。

 

たった1人の人が知識人になって誰かへ繋げていくことは簡単ではありません。

 

多くのことを自分の意思で知ろうとしないと、判断を見誤り幸せを失っている事実に

気がつきません。

なんでも興味を持つことができる人はなんでも手に入れたいと思う人で、

何かに興味がないという理由で人は無駄な時間を使いたくないという観点から、

人は人を見誤るのかもしれませんね。

たとえ純粋で何か成し遂げたいと思うことがあっても、そこに目に見える勲章がないと

誰も何も信じません。

 

あなたの価値というものはいつも、目に見えるもので支配されています。

目の記憶が強すぎることでその価値観の共有や、自分の価値存在意義を認めることになるのでしょう

 

その存在に関しては、人にいい影響も悪い影響も与えることになりますが

悪い影響力の方が強いかもしれません

 

私は最近また、英語を学びたくてリスニングしたりシャドーイングしたりするのですが

全く聞き取れないこと

これは日本語も同じことで耳のキャッチ力が本当に乏しくなってしまっていることが

目の影響に左右されているのかもしれないと感じています

 

耳の筋力が弱っているせいなのでしょうか?

 

子どもの頃に中耳炎になったこともあったので、それに関係しているのか?

わからないですが三半規管が弱すぎて乗り物酔いは激しいです

 

なので長時間車に乗ることも好きではありません

 

もし車でドライブするとしたら?

 

そうですね、海を見に行きましょう

海岸で夕日眺めてひたすら黄昏れるんです

 

1日の中で好きな時間が夕方です

 

ここ1ヶ月色々なことがあり、ブログ書くことを怠ってしまいました

ですがそれも自由だと思っているので、自分の中では許しています

 

何かに縛られていることは自由でなくなることなのかもしれませんが、

縛られているからできることもあるのでしょう

 

私は自由を愛していつどこでも行けるようにスタンバイしておかなければ

ならないと考えています

準備はいつからでも始められますが、それによって本当に欲しいものを手放そうとも思っていません

 

人は皆、何かを持っている人が好きです

 

人は何も持っていない人が好きではないようですが、それでも小さな世界で動いていることだって

あるのです

地位や名誉に興味を持たず、穏やかに過ごして人間らしく振る舞うことができる日は

いつか本当にやってくるのでしょうか?

そうしたことに興味がない人や、自由を選ぶ人は日本を出ているのかもしれません

それも本人が下した結論であり、何かの原因によって促した行為なのかもしれません

それは本人にしかわかりません

誰もが羨む世界が人の心を潤すことになるのでしょうか?

 

人が売り買いする資本主義社会では、どうしても付き纏ってくる人の心理のようなものがあり

本心は違うところにあったとしても、暗黙の了解というものが存在しています

 

どうやらこのことについては複雑そうで、あまり行きたい世界でしゃありません

 

人は場合によっては嘘をつきます

嘘は人を傷つけるためのものではありません

 

後ろめたさが嘘をついてしまうのか、

嘘をつくことで誰かに本当の私を見抜いてほしいと願っているか、

誰かのことが好きではないから嘘をついて誤魔化しているか、

 

理由は様々ですね、

 

だけど嘘というのは危険性があります

 

どこでいつ誰に嘘をついたのか把握していなければなりません

 

あのときこう言っていたのに、今は違うことを言っている

違うことを言っているということは、あのとき言ったことが嘘で

今言っていることが本当かもしれないけど、どちらが真実かはわからない

 

嘘をつき続けるとどれが本物だったのかわからない

 

自分でもそれが本物の自分なのかもわからなくなる可能性

 

多くのことを話せば多くの混乱は生じるけれども、共有はできる

混乱をさせたくて言葉を発信することを望んではいない

 

誰かのことを伝えるのは難しくなるから、少なくとも自分のことだけのことにフォーカスして

話していれば自分だけに影響があると思うから、自分だけのことをずっと話し続けてましたが

実際にはそこまで人は人に興味を持っていませんでした

 

おまけに母にもディスれられてしまい否定することしかしませんでした

 

誰にも肯定されず生きていくことは辛く悲しいものかもしれません

そういった肯定というのは、私だけでなく同じような境遇にあっている人がいるからであって

その人はいくら経っても満たされません

 

肯定を人はしない

 

人は否定ばかりして、自分を癒している

 

人を悪者に変えて自分が満たされればあとはどうでもいい、人の幸せどうでもいい

という風にどうしても感じてしまいます

 

それが住み心地のいいものだとでも思っているかのように、人を嘲笑っています

 

だけど、あなたという存在は通り過ぎてしまってもいい私の存在を無視せず、

いつも目の前で私のことをどうしたらいいか考えてくれました

ずっとそばで私のことを見つめてくれていました

 

ずっとわかっていましたよ

 

何者でもない私があなたにとってはどんな存在なのでしょう

きっとまた私に引き寄せられてくる人はいるんでしょう

 

 

いつもありがとう

 

 

 

 

 

 

ここまで辿りついてくた大好きなあなたへ

 

 

 

 

「大勢の与える影響よりも、たった1人を見つめる」

 

 

ネット上での便利な社会で、誰でも行き来できるこの仮想空間には

ある弱点があります

 

 

簡単に意見交換ができることは、人間にとっての大発明ではあるものの

人との関わり方や、コミュニケーションの大切さが遠ざかっていくように

 

 

 

 

作られた文章では、人の感受性という価値の存在は

 

 

もう過去のものになっているのかもしれません

 

 

 

 

文章でうまく表現していくことは、簡単なことではありませんが

画面越しで態度を表し、見えないものの存在を想像しながら夢みて

 

 

どんな風にこれを読んでいるんだろう

 

 

どんな人が一体興味を持って共感してくれているんだろう

 

 

 

そうしたことは、画面越しでは伝わってきません

 

 

 

相手に想像を与えながら、文章を書いていくのは根本的に

人間の感覚がどうであったかを思い出さなければなりません

 

 

その自分の感覚がどうだったか、というのは

 

 

過去の記憶を思い出しに旅を出ます

 

 

 

自分は一体人にどんなことをしてもらったのか、

 

どんなことを人にされて嬉しかったか、

 

どんなことをされて深く傷ついたのか、

 

 

また、思い出したくないことを掘り起こすことになるかもしれません

 

 

そういう場合は、無理に思い出さなくても大丈夫です

 

 

あくまでも自分の感情がどんな時に、動いたのかを思い出す時がやってきています

 

 

 

あなたにとって相手の存在、自分以外の人のことをどう考えていますか?

 

 

あなたはどんな人からも好かれたいと思っていますか?

 

それは、相手のための自分になっていることです

 

 

 

相手の目が気になってたり、どんな風に思われるのかわからなくて

誰かと同じようになって意見を合わせて生きていないでしょうか?

 

 

 

 

それは、自分が自分じゃなくなる始まりでもあります

 

 

 

 

そうしているうちに、だんだんと自分がどんな人間だったのかの判別が

できないようになってしまうのでしょう

 

 

そうならないためには、1人の時間を必ず作ってください

 

 

寂しいとか思わないで、これは必ず誰もが必要になることであり

周りに流されてしまっていた事実がその時間によって思い知らされるでしょう

 

 

 

寂しいと思ってしまうのは、なぜだと思いますか?

 

 

 

人間感情ありきですが、その寂しいと押し殺すことなく受け止めて

ありのままの自分を取り戻すためには、感情のコントロールは必要です

 

 

大人になればなるほど、人はだんだんと孤独になっていくことがわかりますが、

その感情に溺れることのないように少し大人になって、俯瞰で自分を見つめてみます

 

 

 

不安な感情や、寂しいさや嫉妬といった負の感情は人を支配していくのです

 

 

負の感情に溺れると、視界が悪くなりしなくてもいい行動や誤った判断を

するでしょう

 

 

 

そうならないための、修行は誰しも必要であり疎かにしてきた結果

今のあなたになっているのかもしれません

 

 

人生というのは、全て修行ですね

 

 

 

それを乗り越えなければならない時は誰でもやってきます

 

もちろんわたしもです

 

 

 

話を戻しましょう

 

 

 

大勢の人の影響を求める人は、自分は劣っていない、自分はこんなもんじゃない

とどこか劣等感のようなものを、その人に対して感じてまうのはなぜでしょうか?

 

 

これだけの実績があってこれだけの経歴があって、これだけのことができる

わたしすごいでしょ?

 

 

 

そんな風に感じてしまうのです

 

 

ですが、あなたは世の中にほんの片隅にいる存在であっても、わたしはあなたのことを

劣っているなどとは思いません

 

 

あなたは何もできない人ではありません

 

 

日々一生懸命努力して、過ごしていることを知っています

 

 

片隅にいたとしても、その原石は磨けば磨くほど開花されていき

綺麗なダイヤモンドになるのしょう

 

 

 

たとえ今報われなかったことがあったとしても、努力し続けてください

 

 

 

今後の努力があなたの未来を左右しますし、誰かがあなたを幸せにするんじゃなく

あなた自身であなたを幸せにしてください

 

 

 

 

たった1人の人間のことを見つめることは、本当に大事なことです

 

 

 

たとえ相手がどんな立場だったとしても、どうせ伝わりっこないなと思って

諦めないでください

 

 

見つめてみて何かの作品を見て、どう思ったのか

見られないと分かっていてもです

 

 

 

ですが、わたしは必ず見えない存在をずっと信じていますから

何かを見たり聴いたりして本当に心踊ることがあったならその感情を

どんな形でもいいので綴ってください

 

 

 

この世は不思議な法則があり、引き寄せの法則をご存知でしょうか?

 

 

わたしはあらゆる面で自分に起きている事柄に対して、偶然な出来事はないと

考えています

 

その偶然ではなく、必然にして起こった出来事はあなたに何度も何度も

メッセージとして目に入ったり、耳に入ったりします

 

 

 

なぜだかお分かりでしょうか?

 

 

 

あなたが求めているものだからです

 

 

あなたが求めていること、日々言っていることは必ず現実に現れるようになっていて

そのタイミングは人によって違うそうです

 

 

 

この話を聞いたことがある方は多いと思うのですが、わたしは実際に体験しているのです

 

 

 

 

いつもありがとう

 

 

 

 





ここまで辿りついてくれた大好きなあなたへ





「この世に生まれて来れてよかったです」


ワンラストキスで流れてくる低音の音と心臓の鼓動の音がマッチングしていて



ドクドクが止まりませんでした


最後に流れてくるエンドロールの数々の人々の名前と会社がこんなにも支えてるのか、というよりも
この方はこんなにも多くの人を思い、守ってるんだ





そんな心境です




なんだか生まれたてみたいな気持ち、なんでしょう?


メッセージ性のある作品なのはわかりきってたつもりでしたが、愛のあるすばらしいものをまた残してくれました




そうです



シン・エヴァンゲリオンです



考察をしながら読み解くのもいいのですが、
なんていうかこう説明書を見ながら描いていくアニメが今の時代溢れています




説明されているものと、説明されていないものというのは、両者ともにメリット、デメリットがあり



エヴァンゲリオンの場合説明が全くなく、自分でこうかもしれない、ああかもしれないという謎だらけのものを一つ一つ組み立て積み木にするアニメですね



その良さっていうのは頭で読んで意味がわかって理解する、というよりも心で感じるもの




海外の感覚的才能の方が優れています




どちらにしてもいいとは思うのですが、何よりもわたしはほんとうに生まれてこれてよかったなという思いです


最後の最後でわかる究極のアニメです


ああ、そういうことか



と、納得できます



たっぷりの愛情を持っていなければここまでの完成度にはならなかったはず


8年の時を経て終わらせてくれたことを心から感謝できます



たくさんの人の思いのカケラが重なり合ってできたことには、これだけの人と一緒に幸せになろうね
一緒にみんなで幸せになろうね


という、庵野監督の愛を感じました





説明をして理解することの大切さもあります





ただ、人間には知恵をつける才能があり、その知恵は最大の武器で使えば使うほど良質なものは生まれてきます



知恵をつける上で大事なことは、頭で理解しようとするよりも心で理解することです





心の知恵は無限大



どんなペナルティがあったとしても、無敵になります





そうした大事なことを説明するのではなく、心で感じさせて温ませてくれる人はほんの僅かなになってきてるのかもしれませんね




なんだか切なくなるのは何故でしょうか?


ほんとうに素晴らしかった!




いつもありがとう


 

 

 

 

ここまで辿りついてくれた大好きなあなたへ

 

 

 

 


「先読むものは、未来構築ができるのか?」


現実が自分の想像した現実へと近づいている

誰が想像できたんだろう、思いもよらない出来事というのは、
突然にやってくるのですね



2021年の幕開けと同時に緊急事態宣言に入り、家でひっそりする毎日ですが
外出を控えると共に、ある考えが思い浮かび上がっていました



それは、誰にも話すことがなかった独自の計画であり、未来こうなっていたいな
こういう自分になっていたいな、という善意からなる想像でした



頭の中でイメージできることは、必ず実現できるものだと聞いたことがありますが、
本当にそうなっていきそうな予感、これはシックスセンスという
人の目には見えないものの働きでしょう


目に見えないことを言葉で説明することは、すごく難しいことですよね


それを直感的にわかっている人や、理解してくれる人がそばにいたらどんなに
喜ばしいことなのでしょうね


その仲間を追い求めています



過去を振り返りますと、いろんなことがあったなと川を眺めながら哀愁漂わせて
思いを委ねるのでしょう


故郷を離れるとき、きっとこれからいろんな人と出会っていくんだろうという
期待とワクワク感がいっぱいで楽しみにしていた東京での暮らしは、想像以上に過酷な
ものでした


辛いことの方が、多かったのですが不思議とここへやってきたことに後悔はなく、
友人たちが続々と結婚していく中で、自分は人とは違う道を歩くことになるんだと、
直感的にそう感じていましたから、羨ましいと思ったこともないかもしれませんね




いずれは自分も家庭を持つのだということも忘れず、今は自分にできることをやっていこう

そういう気持ちでいるので、戻りたいと思ったこともありません


むしろ、26歳になるまでの私の人生は半端なもので、楽しい時間を友達と共有しては、
本当に自分の人生を歩む意味を理解していませんでした


別れを惜しむことはありましたが、本当の意味で地に足つけて歩き出したのは、
この頃からです


「人生とはなんぞや」


自分のことをまさか知らしめようとは、思っていません


が、もうこの先何があっても絶対にこの道を進むんだという信念が芽生え、
妥協するくらいなら死んだほうがマシ


死にはしませんが、それくらいの覚悟ですね



今でも確かにあの子何してるのかな?とか思い出したりもするのですが、
誰かのしていることに左右されて流されて誤魔化そうとするのは本意ではありません


したくないことは、いない
したいことだけをする


少しぐらいわがままになっても、これがいいと
今の自分が一番いいと思ってしまうのは何故でしょうか?



やっと本音が話せているからだと思いますよ


すごく気分が楽になり、他力本願(他人に任せること)から卒業し
いますぐ自分の思い描いてる方向へ物語を進めて動かしていく


他人から支配されるんじゃなく、自分で自分のことを支配するほうが、
私にはあっているんだと感じています



さまざまな試練が待っていましたし、これからも試練はあるもので
生きている限り、努力はし続けなくてはならないもの


「継続は力なり」

「塵も積もれば山になる」


楽しいことばかりや、誘惑に釘付けになることは自分を見失いがちです

誘惑がたくさんあります


それは、
「お金」や
「もの」や
「社会的地位」
「名誉」

それ以上に人は、他人の目に支配を受けていますね


一番動くことが鈍くなり諦めがちになる理由は、一つだけです


「恐れ」です

誰かにこう思われるの嫌だな、とか
こういう自分は家族にとっても良くない言われをするんだろうな、とか
傷つくの、嫌だな


そんな感情が渦巻いて、結局その他人の思惑に負けて諦めて安心や安定をとります

もちろん自分らしい価値のある人生にしたいと誰もが思うのでしょう


しかし、ずっと不安の中にいたくないと思うのが人間であり、根本を失ってしまいます


「継続」が
できないようになっているんです

ずっと不安を抱えて生きていきたくないと、思うほどに


「不安」を
解消するのは、他人ではありません

解消できるのは、自分自身だけです


「信じることを諦めないこと」


どんなに不安定な状態であっても、明日生きていけるかどうかもわからなくても


「絶対に大丈夫だ、必ず状況はよくなっていく」と

信じてください


これは自分自身が体験したことでもあり、そうした状況にあったことは何度もあります


何度も何度もですよ、とても耐え難いものだと思いますが
私は乗り越えました


大袈裟に言うなら死線を超えるとは、こういうことなのでしょう



だけど、今思えば良い経験でもあり今の自分があります


このことについては、私だけが体験していることではなく皆が体験することだと
私は思っています


それを乗り越えれなかった人もいるでしょうし、
乗り越えた人もいます


乗り越えた人は、欲しいと思うものを全部手に入れています


私の推測ですが、そうした人が人に信頼をされて賞賛を受けるのだと思います



私が今こうして書き続けることにも、何か意味があるに違いないと思うことは、
なんの根拠もなく感覚的にそうさせているものです


だけど、その感覚は大事であって人には見えない第六感という、第3の目のようなもの


見過ごしてはいけないし、今後の未来に関係してくるものだと信じているので、
どんなことがあっても誰かに何かを言われたとしても、私は諦めませんから


あなたはここまで信じ切れていますか?
本当の自分に戻れていますか?
嫌なことを嫌と言わず、他人の目を気にして我慢していませんか?
ちゃんと好きと言えていますか?
今、笑えていますか?


コロナの状況によって、劇的に変化した世界の中で生きていくのはすごく辛いものです


だけど、
あなたは1人だと思っているようですが、あなたはいつも1人ではありません


あなたが遠くで頑張っている姿をよく知っています

あなたが頑張るから、私も頑張れるんです


こうした場所で、励まし励まされているのは確か


共に参りましょう

 

 

 

 

いつもありがとう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで辿りついてくれた大好きなあなたへ

 

 

 

 

 

「もう一度、人と繋がる意味を考えてみる」


立ち止まり、振り返ってみると誰もいないことに気づいてしまう

人との関わり方、コミュニケーション能力を大事にすればするほど、
億劫になっていっていたような気がします


よく考えてみると、拒絶していたのはわたしの方で
繋がり始めてしまうと、必ず先に頭に浮かんでくること

何かを隠しながら近づこうとする者もいました

現実、そういう人ばかりではないことも確かだと言うことがわかり、
人を信じてみることの大切さが試されているようです


計算された世界の中で、経済に動かされて生きていることは、本当の繋がり方を
見失うことなのかもしれません



「ほんとうの繋がり」とは



それぞれ意見が違うこともあると思うのですが、言葉にして説明をすると

人の気持ちを一番に大切にして、行動を共にしていく

こんな感じでしょうか?


10人いれば、もちろん10通りの考えがあり同じ色はありません

コミュニケーションを大事にする、と言うのは
本人が本当にやりたいと思うことを言葉にしていくことだと思います


敢えて助言は、本人が欲しがってからするもので
それまでは何も言わないことがいいことかもしれません



インプットすることは必要ですが、アウトプットも同じように重要であり
大事なこと


何かを計画していく中で尊重されるべきなのは、本人の気持ちなのですね


言葉の発信にはいつも責任がついて周るものですが、どうにもならないことや
理不尽なことはどうしても生じてきます


そうした場合は、自分なりの解決方法としては誰かのせいにしたり
押し付けたりしたりしないで、楽しいと思うことをします

解消法を見つけて、繰り返していくうちに悩みが溶け出し浄化されていくのがわかります


この世に正解などありません



過去、どんなことがあったとしてもそれはもう過去の自分への試練に過ぎず
乗り越えてきた結果、また繋がりたいと思ってしまうのです



たくさん間違いを犯してきました



その過去の間違いがあったわたしをあなたは排除しようと、否定しますか?
拒絶しますか?

何も思惑がなかったとしても、なんの慈悲もなく

「それは間違いだ!」と言って
その人間を切り捨てるのですか?


人間は誰しも間違いを犯します
完璧な人間など存在しませんし、わかっていますから
許すことも覚悟の一つなんだと学びました


きっとこれからも間違いを犯すことでしょう
それでも離れずそばにいる人はいるでしょう



私自身、何かを否定し侮辱してきたこともあります


東京は中身がないな、なんて思ったりしたんだけど
ごめん、訂正する


東京は本物が集う場所です
すごいところです

 

 

 

 

 

いつもありがとう