太く、這うよなベースのイントロを聴いた瞬間に、前作までのミッシェルとは何かが違うと、多くの人が思うだろう。各楽器のヘビーさ、チバユウスケのガナリ声は前作とは比べものにならない。ギターはザクッザクッとカッティングの鋭さを増し、ドラムはよりタイトに。



久しぶりに聴いて、改めて98年の日本のロックの充実ぶりを痛感した。アベフトシのギターの格好良さに思わず聴き入ってしまった。3曲目「サタニックブンブンヘッド」と8曲目「ホテルブロンコ」のインスト2曲や11曲目「アッシュ」ではカッティングだけじゃなく、ギターソロも味わいがあって素晴らしい。ベースの重さや太さが語られがちだが、ギターがアルバム全体を支配していると思う。重く、粘りつくようなグルーヴだけど息苦しくならず、どこか突き抜けるような爽快感があるのは、ラスト14曲目の「ダニーゴー」があるからか。



フリクションの『軋轢』の殺伐とした緊張感、焦燥感に匹敵する90年代の日本のロックを代表する作品。
僕は常々、日本人が英語の歌詞で歌うことに疑問を持っている。何故、自分の最も得意な言語で、感情を込められる言語で歌わないのかと。


考え方が狭いと思う人もいるかもしれません。
“洋楽聴いてるんだったら、英語の歌詞でもいいじゃん!”
“世界を視野に入れて活動ししてるから、歌詞は世界共通言語の英語にしないと”
というような声が聞こえてきそうです。



そんな考え方を少しだけ変えてくれたのが、羽鳥美保と本田ゆかからなるチボマットの『ステレオタイプA』というアルバムでした。


ボーカル羽鳥美保の下手くそなカタカナ英語の歌は全く違和感なく聴けた。本田ゆかが作るトラックの完成度が高く、羽鳥美保の声と合っていたからか、ショーン・レノンやティモ・エリス等参加ミュージシャンの演奏が良かったからか、疑問どころか爽快だった。



結局僕の考えは、演奏している人達又は制作に携わっている人達が日本人ではないからではないかという結論に至った。或いは、そんなことは関係なく、ただ単純に今まで聴いていたミュージシャンは曲、声、演奏が良くなかっただけで、チボマットが素晴らしかっただけなのかもしれない。



ヒップホップを基調として、ファンクやボサノバ等様々な音楽要素が混在していてる辺りは、BECKやBEASTIE BOYSと似たような感覚を持っている。羽鳥美保のボーカルから、CANのダモ鈴木を思い出した。音響としての質が高く、どの曲もしっかりとしたメロディーがあるので、極上のポップアルバムとして聴ける。
エレファントカシマシの、売れてはいたがファンからの評価が低い時期のアルバム。僕はこのアルバムが好きだ。もちろん、最高傑作だとは言わないが。


大学のゼミ合宿中ずーっと聴いていた。高速バスから見える味気無い景色を、或は窓に映るの自分自身を見ながら、合宿所の部屋で横になりながら、繰り返し、繰り返し聴いていた。



しかし、今聴き返してみると少々辛いものがある。途中でCDを止めようかとさえ思った。当たり前だが、初期の頃のようにキレながら歌ったりはしない。音楽性を感じない。演奏に個性がない。バンドとしての必然性が感じられない。


だったら何故、このアルバムを取り上げたかというと、他のアルバムでは味わえない夜の雰囲気や切ないメロディーが心に染み入るからだ。



1曲目「good-bye mama」~6曲目「真夏の星空は少しブルー」の展開は、静かな曲が多く、宮本浩次の抑えた歌声が倦怠感や寂寥感を癒してくれる。また、10曲目の名曲「はじまりは今」は、このアルバムの評価に関係なく聴いてもらいたい1曲。演奏はショボイが。


まさに、“愛と夢”のアルバムである。