何故、古明地洋哉は売れなかったのだろうか?


久しぶりに、この『灰と花』というアルバムを聴き返してみて、ふとそう思ったのだ。彼の1stアルバムである。お世辞にも上手いとは言えないが、真っ直ぐで力強く、誠実さが滲み出ている声。言葉。



少し前にデビューした中村一義や七尾旅人との違いは何だったのだろうか。彼等は相応に評価されたし、知名度もある。中村一義は一人称の世界から他者とのコミュニケーションを求めるようになり、やがてバンド100sを結成する。七尾旅人は3枚組の作品をインディーズから発売したり精力的な活動を続けている。

古明地は今どういう活動をしているのだろうか?1st以降は未聴なので何とも言えないが、語るべきことは語り尽くしてしまったのではないだろうか。



アルバムの話に戻ろう。

1曲目「the lost garden」のアコギのアルペジオ響きやそれに乗る憂いを帯びているが、どこか希望を感じさせる歌声を聴いて、R.E.M.を思い出した。ハイライトは7曲目「ライラックの庭」だろう。バイオリンが美しく感動的だ。


古明地洋哉は、声と言葉を聞かせるミュージシャンだと思う。演奏のダイナミズムや前衛性はあまり重要じゃない。今どんな活動をしていようとも、このアルバムが傑作であることには変わりない。




“世界を撃つ歌もなく 慰めの歌さえなく 
 無駄な言葉ばかり拾い集めてるだけで 
 苛立ちばかりが日々を吹き抜けてゆくならば 
 何が出来るだろう この夢が果てる時に”

そう歌う古明地洋哉の声に、ずーっと耳を傾けていたい。
ミュージシャンなら当然、音楽を聴くのも好きであって欲しいと思っている。幅広く色々なジャンルを聴いて、吸収して、過去の偉大なミュージシャンに負けないくらいの作品を作ってくれることを願っている。



初めて「Drop」という曲を聴いた時、水の音をサンプリングしたりしていることが珍しく、音も良いし、感触も心地良よくて、凄い曲だなあと思った記憶があります。


アルバムを聴いたのはそれから大分経ってから。



耳元で音がコロコロと転がっているようで、自然音や電子音と生楽器の使い方が良く、音が研ぎ澄まされていて無駄がなく、アルバム全体で音の世界ができている。斬新なのかどうかはわからないが、リズムは不規則で、とにかく音が心地良く溶け込んでしまいます。


6曲目「Tone Twilight Zone」~7曲目「Bird Watching At Inner Forest」は虫の泣き声や鳥のさえずりがサンプリングされていて、タイトル通り本当に森の中にいるようで、穏やかな気分にれる。同じみのヘヴィメタナンバーあり、ボサノバ調の曲もありで、あっという間に聴き終えてしまいます。



『FANTASMA』よりも驚きはなかったのかもしれないが、アルバム全体の統一性や音の洗練度では『Point』の方が上だと思う。
だらだらとテキトーにやっているんだけど、稀に作る(本気で作ろうと思えば作る才能はあると思うが)超ド級の名曲とその佇まいの格好良さに、日本のロックが好きな人だったら1度は心を鷲掴みにされたことがあると思う。


その出発点ともいうべきソロ1stアルバム『29』はゆったりとした骨太サウンドの奥田民生節全開の傑作だ。

次作『30』やミニアルバム『FAILBOX』と共にBOOK-OFFで安売りされているのを見ると少々悲しくなる。4曲目の「息子」や10曲目の「愛のために」等のシングル曲の何気ないメロディーは、ついつい口ずさみたくなります。8曲目の「30才」みたいな、淡々した感じで、空間を活かした雰囲気の曲も好きだ。



ブリティッシュロックやハードロックに影響を受けたようなエッジの効いたバンドサウンドじゃなくて、打ち込みとかを駆使したり、宅録っぽい録音にしてみたり、趣向を変えたものを作れば面白いんじゃないかなぁと思います。声と作曲能力は文句なしなのだから。