天童一中1年女子生徒は何故命の終わりを決断したのか -13ページ目

天童一中1年女子生徒は何故命の終わりを決断したのか

心の中は 自分にも 誰にも見えない

気が付いたら 心も 身体にも 冷たい風が吹いている

あなたの心に 何かが起きていたのですね

笑顔にかくされた学校での悲しい出来事が

少女のすべてを奪ったのかもしれない

ここでもアンケート開示の件では、ご家族の思いが通じていない。アンケートは誰の為に書いたものなのか?書いている生徒は、男子生徒の生活記録同様に学校に知って欲しいから書いているはず。それは、亡くなった生徒の代弁でもある
。加害生徒と共有する建物の中で書くなんて通常の社会ルールならあり得ない状況下で必死に書いたアンケートである。加害生徒の監視下で書かされているわけですから見聞だの憶測で片付ける内容にするなど言語道断。逆に考えるのが教育者の筋ではないのか?
文字で書かれた以上の実態ありきで、それを限られた時間と用紙の中でどう表現すればいいのか迷いながらも亡くなった生徒の為に書いたアンケートである。
学校が所有者である前に堂々とご家族に渡してこそ本来の目的だと思えてなりません。
いじめという問題に対して有識者、学識者、弁護士等の第三者委員会が設置され報告書がまとまり提出される。この報告書によって更に苦悩をもたらせ愕然とするご家族も少なくない。命を失う程の日々を時系列で調査したとて、それを文章化すると人らしさの表現が欠けていると感じるからだと思う。学校生活の中と一人になっている時間での苦しみを全く会った事のない人間が、どのように周りに聴き取りを実施しても本人の苦しみを表現出来るものなのか?その表現に近づいたものは大凡に憶測の域と判断され簡素化された調書に近くなる。時系列で考えるのは要点をいち早く把握出来る為のツールであっていじめ(私はいじめの言葉が嫌だが)を受けている本人に時系列も何もない。24時間いじめの実態が心の中に存在していての生活なのだから時系列で区切られて文章化されても納得いくはずがない。まして命を絶つまでの心情が報告書に反映されるのか疑問です。

生きていたかったはずの命なのですから。
あれから1年6組は進級と共にクラス替えになった。
大人の社会でいうモラルハラスメントを連日繰り返した加害者達と生徒はバラバラに解き放されたのでしょう。
そして、大人の社会でいうパワーハラスメントも連日繰り返した加害者達はS部の先輩となった。

少女の命が閉ざされて3ヶ月
あの頃の保護者達は、クラス替えを心配していた。学校がどんなにアンケートの中身を、噂だ見聞だと繕ったところで100枚以上の書き込みがあるのだから当然です。
出来ることなら一緒のクラスにしたくないし巻き込まれたくないと思うのも本音であったと感じた。

クラス替えが終わりしばらく経った頃に加害者達は口頭注意を受けた。
それと同時期に運動部の試合が目前となっていたのが良くある見せかけの更生だ。

私は、娘の顧問が発した相手と部の立場を語った言葉を思い出す。
ここは、問題行動を責めるより一発逆転で試合の優位結果を出して立ち直りをさせようと思いました。

少女が在籍していたS部の1年生約半数が1年6組に居た。
つまり女子生徒の半数がS部という構図で加害者達は教室と部活で共通していた。

加害者達と関連性のある生徒が口頭注意を受けたのが試合目前の時期であったのが腑に落ちない。
秋になり3年生が引退する間際に加害者達は有力ポストを手に入れた。

新人戦に向けて壮行式で壇上に上がった時、加害者達はどう感じていたのだろう。
つい何ヶ月か前、旧校舎の壇上で少女の父親が嗚咽しながら土下座までして全生徒に向けてお願いした壇上
新校舎といえど天童一中の壇上である。

全生徒と学校関係者は
どのような気持ちで壮行式で意気揚々と試合に挑む壇上のS部に拍手と応援をしたのでしょう

口頭注意と試合結果で
何か終わったような気持ちになっているのでしょうか?
やった事の意味を考えなければ、本当の結果など出せない。

3年生としての大会が近づいて来た。
もうすぐまた壇上で拍手と応援を受けるのだと思うと、学校の教育が本当に人間を豊かにする教育なのか疑問だらけになる。


第三者委員会がどのような報告書を出しても終わりなどない。
あくまでも報告書であるだけで解決であろうはずない。