負け犬ぐらし version ameblo -2ページ目

明るい大阪。

ゴールデンウィークは、急遽大阪に帰ってきました。

伊丹空港(→不本意ながら)に着いてまず思ったことは、「明るい!」


ようけしゃべるヤツがいっぱいおる、とかそんな意味ちゃうくて、ホンマに、物理的に明るいんです。

3月にも大阪には来たけど、そんときは品川で新幹線降りたとたんに異様な暗さにビックリしたことを思い出しましたデスヨ。東電管内とそれ以外で、雲泥の差なんやろうね、いま。


トーキョーは、みんなマスターベーションみたいに、あるいはヒトから後ろ指差されへんために、必要以上に暗い。暗すぎる。


あんな暗かったら、やる気でーへん、っちゅうねん!でも、照明はまだヨシとしよう。けど、駅とか公共機関のエスカレーター止めるのは、絶対やり過ぎやと思う。


ワタシは、普段からあんまり使えへんから別にええねんけど、でも、年寄りやら、足悪いヒトやら、さらには、マラソンの翌日でめっちゃ筋肉痛で階段降りられへんヒトとか、いろんなヒトがいてるやん。


せやのに、一律で止めることないと思うねんけどなー。


マスコミによく見られるけど、自分が被害者を代表してる気分になってしまって、正義の味方気分で記者会見で執拗に責めまくる精神状態に陥ってるヒトが、マスコミ以外にも多いんやと思う、今回の震災は。テレビとかネットとかでいろんな悲惨な情報に触れる機会が多いからね。

そして、執拗に責めたりしてるんかなー、とか思ってしまうのよねぇ。まぁ、単なる更年期やったり、持って生まれた性格やったりするんかもしれんけどさ。


などと、明るい大阪にて、電気をつけてテレビつけてパソコンに向かってるワタシ。ああ、贅沢。


オサマビンラディンの死に感じる違和感

今日は、ロイヤルウェディングでケイトがかわいかったことや、ウィリアム、チャールズ、フィリップ、って3世代並んだら、後姿がいっしょやん。すごいなー、血って。みたいなことを書こうと思ってたんやけど、ぐるりんっと方向転換。

人が死んで歓喜に包まれる、っていうのは文明が発達した社会のあるべき姿なんやろうか?

ヤツは、テロ組織のリーダーでたくさんの人を無差別に殺した。その行為は、死をもって償っても許されるべきものではない、と思います。でも、死をもって償うのは、キチンとその罪状を法廷で裁かれてから、ちゃうんやろうか?
なのに、アメリカは、オバマは、作戦としてオサマビンラディンを殺すことを命令した。

なんの権利があって、何に基づいてそんな作戦を命令することができるのか?それがおおいに疑問ナノデス。自国民を殺されたから、相手を殺す、それって、オサマビンラディンがやったことといっしょちゃうんか?とも思うんです。

なのに、ヤツが殺されたことで、アメリカ人たちは歓喜してホワイトハウスのまわりに集まってるらしい。ヤツが死んだからって何かが変わるンやろうか?変わるかもしれん。でも、それは、決していい方向の変化じゃなくて、むしろ、ヤツを殺したアメリカへの更なる報復を誓う人々が現れる、っていう方向への変化かもしれん。新たな悲劇を産むもんかもしれん。

だって、殺されたから殺す、っていう行動からは、悲劇の連鎖以上のものは生み出されへんと思うねん。
アメリカ人が正義の名のもとに始めた戦争に巻き込まれて殺されたソマリアやら、イラクやら、アフガンやら、さらにはリビアの人たちにとっては、アメリカはまったく正義なんかじゃない。理不尽な殺人者でしかない。

なのに、自分たちにとっての正義を、自分たち以外の価値観を一切排除して追及して、それを正しいと信じ続けられる精神が異様としか思われへんのは、戦争に負けた国に生まれ育った故でしょうか…。

ましてや、どうしようもない天災でたくさんの人々を失った後の世界に生きる日本人として、殺人を指示する政権、そしてそれを歓喜して受け入れる国民、っていうのは理解の範疇にないわけです。
そこにあるのは希望ではない、と思う。

もちろん、アメリカ人の全員が歓喜してる訳でもないと思うし、石油利権やらいろいろ絡んでたり、戦争が長くなるにつれて国家財政を圧迫したり、さらには選挙に影響したり、といろんな要素があるんやとは思うねんけどね。
とにかく、違和感を感じるわけですわ。

そして、テロが再度起こらんことを祈る。

さらには、まだDNA鑑定が終わってへんのに既に海に埋葬した、とか早すぎへん?なんか怪しい??

岩手に行ってきたこと。

ずーっと、なんとなく、ブログを放置してて、もう再開するタイミングが分からんくらい、何かいたらええんか分からんくらい時間があいてしまったけど、でも、やっぱり書きたくなったので久しぶりに。

3月11日。

日本が変わってしまった日。
これまで、ワタシのなかで「震災」っていうコトバは神戸の地震を指す固有名詞やったのに、それが別の意味を持ってしまった日。


ハワイイから帰ってきて半日くらいで、時差ボケのままのときにやってきた激しい揺れに、神戸の震災のときに見た崩れたり、燃えてしまった家や、ちょっと前のニュージーランドのビルの倒壊なんかを想像して、激しく怯えました。
でも、すぐに分かったんです、東北は、ありえへんくらい大変なことになってるって。

なんかやりたい、そんな気持ちで募金活動やら、現地にモノやらヒトやらを送り込んだり、コーディネーターやってます。
神戸のときは学生やったんで、数ヶ月びっちり現地にボランティアに行けたけど(単位は落とした…)、サラリーマンなんで自分は行かれへんもどかしさがあったりしつつ。

でも、数回は自分でも行きました。
山道を車で走ってると、山やのに、突然瓦礫が…。こんなトコまで津波が来たのか、とコトバを無くす惨状が広がってました。ホンマにコトバがない。

ワタシの信条は、ボランティアや被災者じゃないヒトは、泣いたらアカン。だって、被災したヒトの苦しみなんか分かる訳ないねんから、泣く資格なんかないと思うんです。少なくとも、被害にあったヒトの前では。だから、必死でガマンした。

でね、思ったことは東北のヒトの気質なんか、とにかく遠慮深い。
神戸のときに思ったことは、数週間経ったらヒトは元に戻るというか、全員がいい人な訳はなく、一定の割合でイヤなヒトとか、文句たれるヒトとかいてる、ってこと。もめ事の原因になるヒトは必ずおった。
でもさ、今回はそんなヒトに会わんかった。もちろん、ちょっとしか行ってないから、ってこともおっきいと思うけど。もっと、泣いたり、怒ったり、悲しんだり、文句たれたりしとかんな、精神的によりツライんちゃうかな、とか思うわけです。
神戸よりもさらに、先が見えへんこともおっきいんやと思うけど。

そんなヒトたちとちょっとだけ接してると特にイラッとするのが、ひとつになろう、がんばろう、とか繰り返すマスコミ。ヒトは、ひとりひとり違うんです。ひとつになる必要なんかない。がんばろう、って言われても、これ以上がんばれ、ガマンしろって言うことか?!などなど。

さらには、こどもに言うみたいに、当たり前の建前を何回も繰り返されることにもイラッとしたりして。

もうこれ以上、被災した人々にガマンを強いたくないなぁ、と思う日々。何ができるのか、試行錯誤の日々です。
ってなことをまた綴ります。はい。ホンマに。

皇太子の誕生日に死刑執行した意味

我が家には、サンタさんが来たことありません。
子どものときから、一度たりともサンタの存在を感じたことのない人生っちゅうのは、同年代では珍しいみたい。しかも、ワタシは協会の付属幼稚園に通ってたのにさ。
さらには、ワタシのおじいさんは12月24日誕生日やったりしたもんで、クリスマスイブはお祖父さんの誕生日のお祝いの日デシタ。

いちどくらい、夢を見させてくれてもよかったと思うねんけどなー>オトン+オカン。


で、そんなクリスマスイブの前の日は、東京裁判で死刑判決を受けたA級戦犯たちが池袋のサンシャインとなってる巣鴨プリズンにて処刑された日です。この日は、天皇陛下の誕生日。処刑されたときは皇太子デシタ。そして、この裁判、そもそも起訴された日が4月29日。当時の天皇誕生日デス。
こういう端々に連合国の意図をかんじてしまうノデスヨ。天皇陛下のお誕生日をお祝いしてるときに、東京裁判の影をかすめさせて、戦争に負けたことを思い出せ、みたいな。

ニュルンベルグ裁判もおそらくそうやろうけど、戦争に勝った側が、戦争が終わった後に作った法律で負けた側を裁く、ということに無理があるんです。最近ではイラク戦争でもそう思ったけど。

なんてことを、天皇誕生日に思ったりするワタシは、当時の連合国のヤツらの思惑にまんまと嵌ってるんでしょーか。

とか言って、焼肉食べながらとらじの唄(→焼肉屋にあるお酒。うまいけど、高い。ま、酒屋で買ったら300円くらいやから高くもないけど)飲んで、居酒屋で生牡蠣食べながらビール飲んだりしてたけどさ。


クリスマスディナーなるもの。

今年は、「休んでええで」、って言わんばかりの暦ですが、会社の1階にある歯医者の予約を昼休みに入れたために出勤するワタシです、はい。

昔から、クリスマス前後に、普段と違うメニュー出してる店に行くのはイヤでした。
一回だけ、かれこれ6~7年前に社会見学くらいの勢いで、ブロイラー的クリスマスディナー@フレンチレストランに行って以来、行ったことありません。
ワタシにとってはクリスマスとは、焼肉かもつ焼きか、みたいなかんじです。あっ、やきとりもあり。もちろん飲み物は大好きなシュワシュワっとしたヤツですよ。ハイッピーとかね。

なんですが、やっぱり、バブルなんて知らん世代でも、クリスマスはフレンチ食べたい。とか思う人がいまでもいてるんやねぇ。。と会社やらの人々としゃべってて感慨深く思ったノデシタ。
そういう人って普段フレンチとかいかへん人なんやろうなー。そして、ハレの日としてのゴハンが、一斉にスタートして同じもん食べるクリスマスディナーって、さらにいかへんようになる悪循環ちゃうんか?!などとも。
だってさ、高くてうまくないやん。

ま、ワタシはそういう人とは付き合われへんけど、そういう発言をする女子っちゅうんは、かわいいなー、とか思ってしまったりするですよ。お金かからん、質実剛健なかんじがするしね。たぶん、家賃より高いクツ買おう、なんて思いもせーへんのやろうしさ。(→ワタシも、去年分不相応っちゅうコトバを覚えてからは買ってへんけど。)

こういう子は、若いうちにちゃんと分相応なオトコを見つけて結婚してるか、あるいは、夢見がちになりすぎてずーっと誰とも付き合わんか、両極端な気がする今日この頃。同じキャラやのに、ちょっとの違いで出口が大きく変わるのってコワイよなー、などと思ったりしております。いや、こういう人、会社に多いねんもん~。

とまったくひとごとなワタシ。
結局出口的にはまったくイケテへんことは自覚してます。はい。