自分がつらい状態のとき、身近な人に心配してもらいたいと思いませんか。
ケガをしたときや、人から嫌なことをいわれたときなど、「大丈夫?」と声をかけてくれる。
たった一言でも、やさしい言葉をかけてもらうだけで、つらさが軽くなります。
でも、いつもやさしい言葉をかけてもらえるとは限りません。
私の母は、私がつらい状況のとき、やさしい言葉をかけてくれたことがありません。
お腹が痛いといえば「薬飲めば」
頭が痛いといっても「薬飲めば」
足が痛いときには「どうしたんだろうね」
痛い思いをしている側としては、「大丈夫?」と心配をしてもらいたいのです。
「お腹が痛い」と訴えたのは、「薬を飲めば」といって欲しかったからではありません。
つらいときは、誰かのやさしさが欲しいです。
とくに、男性はアドバイスをしたがる傾向があります。
妻:「今日スーパーでレジに並んでいたら、割り込んできた人がいたの。
ほんと、頭きちゃう!」
夫:「そういうときは、ビシッといわないと」
妻としては、「本当に大変だったね」「嫌な思いをしたよね」など、いたわりの言葉を欲しいです。
でも、男性は問題解決のための具体的な方法を説明する傾向があります。
職場で問題解決が求められるからのか、
相談をされたら問題を解決しなければ、と思ってしまうのでしょう。
やさしい言葉を欲しくても、もらえないことはあります。
他人を自分の思う通りに動かすことはできません。
いって欲しい言葉をもらえないと残念な気持ちになります。
「こんなこといわなければよかった」という気持ちにもなります。
そんな残念な思いをしないためには、他人に期待をしないこと。
期待をしてしまうと、期待に応えてもらえなかったときに残念な思いをします。
期待をするから、残念な思いをするのです。
はじめから期待をしなければ、「こんなもんだよね」と思えて、残念な思いをせずにすみます。
私の母は心配をしてくれない人なのでしょう。
子どものころ、過酷な環境で生きてきたようなので、心配をしてもらった経験がないのだと思います。
心配をしてもらった経験がないと、他人のことを心配するのは難しいです。
そういう人なのだと思っておけば、自分がさらにつらい思いをせずにすみます。
自分がいつもいつも、他人の期待に応えているわけではありません。
それと同じで、他人もいつもいつも自分の期待に応えてくれるとは限らないのです。