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広告業界における認知協和カタルシスの存在

僕のような、どちらかというと、

戦略寄りだったり、

構造設計寄りだったり、

世の中の動態把握寄り、

コンセプトコンセンサス寄り、

のプランナーの嫉妬だと思っていただいて結構なのだが、

広告業界には、悪しきカタルシスがある。



これは、人材成長,人材育成において、非常に問題だと思う。

新しいヒトの創造への障害だと感じる。

このカタルシスは、もはや意味を持たず、

それよりも、テンションが8割で、

終わりのないコミュニケーションの継続が、いま、必要とされている。

ビックデータ時代とは、そんな時代であろう。

クリエイティブという言葉と、データを対立させ、

自身のドメインを矮小化しがちな業界ではあるが・・・。


いや、話が反れた。

このカタルシスは、パラドクス的業界構造のせいでもある。

その話は別にして、

悪しきカタルシスについて、言及したいと思う。



簡単に言うと、

競合で、勝利を、治めると、飲める。」

マスメディアを使い、有名タレントを使って、世に出ると、話せる。」

である。

飲みながら話せば、自己陶酔の極地に、

自身を導くことができ、

恍惚の表情を浮かべ、欲求が発散される。

苦労が報われ、泣ける。

それは、僕自身もそうである。


その最たる例は、認知協和カタルシスで、

「あれが、僕の仕事。」

という話ができるのだ。

親族に、業界の異なる友人に、恋人に。

それは、悪いこととはいわない。

大いに自慰的に振る舞えばいい。

努力はあった。


このカタルシスが最大に発揮できるときは、

動画×有名タレントである。

これが作動すると、

自身でギョーカイ人としてのポジションを

自己規定できてしまう。



僕としては、最悪の瞬間だ。

本質的なプロセスが断絶する、思考が停まる。

コミュニケーションとは、自慢話ではないのだ、裏方の。



このカタルシスに満たされている限り、

トラディショナルな業務フローに従事し、

即物的な思考へと陥り、

非クリエイティブクラスの人材に過ぎなくなる。

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・・・と僕は、思う。

なので、マスメディアと有名タレントを、

道具というレイヤーに置き換え、

新しいヒトとしてのKPIを設定したい。

そう、単なる嫉妬かもしれない。

※最近、こんなんばっかだなぁエントリ。