どうも、お久しぶりです。
文章を書くことへの
苦手意識や
他人との比較して
自分の文章は
なんて稚拙なんだろうという
気持ちが出てきて、
ブログを書く気になれず
放置してました。
その間、
ブログを書かなくては!という
義務感や責任感で
ブログを書くことより
今、自分がしたいことを
楽しいと思えることを
やってました。
そして
このテーマについて文章を書きたい
自分の思いをアウトプットしたい
という気持ちになれたので、
ブログをアップすることにしました。
そのテーマというか
アウトプットしたいと
思ったきっかけが
「性暴力」についてです。
数日前に
NHKで
性暴力にあった方のドキュメント番組があり、
その番宣の中に
『私は意志を持った人間です』という
フレーズがありました。
そして
『私は意志を持った人間です』
に
なんかとてもグッと来ました。
性暴力。
受けたことがあります。
小学生になる前か、
小学生低学年の頃と、
20代前半の2回。
小学生の頃に受けた性暴力は、
なんかもう、
自分の記憶違いだったのかな?と思うぐらいだし、
20代前半のを思い出しても、
フラッシュバックすることは別にない。
今はね。
小学生の頃のは、
まぁ、この経験だけじゃないけど、
その後長く続く
人間不信のきっかけの一つになったし、
20代前半のも
人間不信がさらに増す体験やったかな?
自分の体験した性暴力を
ブログで
アップする気はないです。
そういう経験をしたとだけでいいかな?と思ってます。
性暴力は
人の意志を奪う行為。
人の意志を奪うって
性暴力だけじゃない。
自分の意志を
尊重してもらえてない時とかもそう。
例えば
「私は、これが好き!」って言った時に
「それはおかしい」とか「間違っている」
「何故そんなのが?」みたいな事を言われたりしたら
こちらの意志を
尊重してもらえてないと感じ、
奪われたと感じる。
もしくは一般論を
絶対正義のように振りかざされるのも辛い。
「自分の捨てたゴミを勝手に再利用されるのは嫌だ!」と
何度言っても
両親は
「もったいない」「まだ使えるのに」と言って回収してくる。
それも黙って。
後から
家の中で見つけた時に
あれ?これ捨てたはずなのに?
それとも俺の勘違い????
こうなるのも嫌だから、
「捨てたものを黙って回収するのは辞めて!せめてこっちに声かけて!」って言っても、
一度も聞いてくれたことはなかった。
回収してくる理由は
ただ一つ「もったいない」
で、
まだその回収したモノを使ってくれるんなら、
まだ仕方ないかぁと思えるけど、
だいたい使われない。
ひどいものは何年も
駐車場に置きっぱなしになってた。
タンスの肥やしにもなる服もあった。
何年も使わないものは
ただのゴミでしかないって
意識がないんやろうなぁ。
こんな風に
「してほしくない」と言っているのに、
してほしくないことをされると、
人間扱いされてない気がする。
人として向き合ってもらえない、
つまり「モノ」扱いされた気になる。
「モノ」扱いされたら、そりゃ
自分の中の何かを奪われたような気にもなる。
意志とは?
「したい、したくない」
「してほしい、してほしくない」
理由なき欲求、本能に近いかも?
理由なんていらない。
ただそう思った。
そうしてほしい、したくない、そうされたくない。
こういう理由なき欲求をを
他人から受け入れてもらえないと、
人間としての尊厳を奪われたような気になる。
それを奪ってくる他人(家族にだって)もいる。
そういう人と一緒に過ごすと、
どんどん活力がなくなる、
心のエネルギー、
生きていくための
根本的なエネルギーが
他人に奪われていってるような気になる。
そんな風に奪われると
大切な何かを奪われたような感覚や
やるせない喪失感を感じるし、
それって
とてもとても辛い。
そして
そんな状態が長く続くと、
生きるエネルギーが無くなっていき、
どんどん動けなくなる。
でも、
実際には奪われない。
ちょっと違うか?
奪われないんじゃなくて、
けっしてなくならない。
枯渇しない。
自分の中にある。
湧き上がらせることができる。
なくならない、
枯れないということを
信じられないと、
エネルギーを奪う人に
どんどんエネルギーが取られていく。
他人のエネルギーを奪っていくことで、
自分のエネルギーを補おうとする人もいる。
こういう人は、
他人からエネルギーを奪ってるという意識は
あまりないのとちゃうかな〜。
子供の頃からそうやって生きてきたから。
それが当たり前になってそう。
意図的に
他人のエネルギーを奪おうとする人は、
それはもうサイコパスな人なだけとちがうかな?
ちょっと脱線したけど
長年、
自分の意志を
尊重してもらえないという状況と
自分の中のエネルギーは
枯れないということを
信じられない状態が続くと、
自分で自分のことを
「自分の意志を
大事にしてもらえない人間なんだ。
自分ってその程度の人間なんだ」
と思い込んでしまう。
そして、
「自分は意志が弱い人間なんだ」
とも思い込んでしまう。
で、
そんな自分を
だれよりも自分で卑下するようになる。
自分で自分を卑下するのが当たり前になっていき、
人間関係がしんどくなってきたりする。
ただ、
「自分の意志を大事にされない人間なんだぁ」
「自分はなんて意志が弱いんだ」と
社会の中で生きづらさを感じていたとしても、
「意志」なく生きてきたわけではけっしてない。
意志とは選択すること。
意志とはどれかを選ぶということ。
自分の意志を尊重してもらえない。
だから
「自分が我慢する」
「人生をあきらめる」
「なげやりなる」といった
選択を
ちゃんと自分で行って、
生きてきてる、
自分でそちらを選んでる。
きっかけは
確かに他人に何かをされたからでも、
その後、
どう生きるかを選び、
決めるのは自分。
環境がどうとか、
親ガチャに失敗したとか、
自分の不幸、つらさを
周りや他人のせいだけにしたのは
自分自身。
そうやって自分で選んで、
決めて生きてる。
でも
そういう人は
きっと
「意志が強い」んやと思う。
意志が強いからこそ、
辛い環境の中でも、
「イヤダ、イヤダ」と思いながらも
そのままの状況を受け入れこれたんじゃないかなぁ
と思う。
と、
自分の過去を振り返って
自分のことを分析。
『私は意志を持った人間です』
がとてもグッと来るのは、
まだ
「自分の意思を大事にしてもらえない人間なんだ」と
自分で
自分のことを思ってるってこと。
そして
「自分は何て意志が弱いんだ」とも思い、
「意志」と「すべきこと」がごちゃ混ぜにもなってる。
親や家族から
「意志を持った人間として扱われなかった…」って
いうイヤな想い、悲しみを
まだ持ってるんだなぁ
だから
『私は意志を持った人間です』
というフレーズは
忘れていたことを思い出させてくれて
何か応援されてるような感じがして
涙がでそうな気持ちになってるんだろうなぁ
『私は意志を持った人間です』
『私はちゃんと自分の意志で生きてきた人間です』
これらの魔法の言葉を何度もつぶやいて、
ちゃんと心に留めておこうと思う。
