「許す・許せない」は「私」だけの世界なのだから… | 自分の考えや氣持ちを言葉にするためのブログ

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「目の前の出来事をすぐに、どうにかしようとするのをやめてみる」
をテーマに生きていくためのリハビリブログです。

後から
自分が読み返したくなる
ブログを書けれるようにしたいと思っています。

 

今回のブログは

『許せない』を許すために

の続きになります。

 


とあるブログを読んで

思ったこと

感じたことを

また書いてます。


 



私自身

母や父を

だいぶ許せるようになったからこそ

見えてくることがありました。

 

 

結局

許せないって

 

自分で

許さないと決めたんだと。

 


どうしても

許せないのではなく、

 

私は許さないと

自分で決めている。

 

許さないことを

自分で選んでいたんだと。

 

 

その人から

どれだけ酷いことをされたとしても

 

「許す・許さない」の

 

どちらを選択するか

自分自身なんだと。

 

 

 

こう書くと

「許せないのは自分のせい?」と

自分を責めたり、

 

「あんなヒドイことをされたのに

何故許さないといけないんですか!」

 


「あんなヒドイことをされたのに

許さない私が悪いんですか?」と


腹をたてる人もいるかもしれない。

 


それも何だか分かる。


 

ただ

誰かが悪い

誰かに責任があるのかを

言っているのではないのです。

 

良い悪いで言えば、

また

責任は誰にあるのかは

それは

その相手が悪い

その相手に責任がある

と言ってもいい場合はある

と私は思ってます。

 

 

ただ、

良い悪いや

責任の所在と

 

許す・許せないは

全然別物。

 

 

良い悪い、責任の所在の対象は

「私」と「私以外」の二択で

 

「許す・許さない」は

選択肢はなく

「私」だけの1択。

「私以外」は存在しない。

 

 

で、

良い悪いや、

責任の所在だけ

考えてしまうと

どうしても

しんどくなる。

 

そこに

「私以外」があり

 

必ず

「私」か「私以外」のどちらかが

正義であり

片方は悪になる。

 

悪ではなく

敵と言ってもいい。

 

そして人は

敵を反射的に

憎む生き物だ。

 

だから

「私」か「私以外」が

敵になってしまい


どうしても

憎しみが残る。

 

 


でも、

「許す・許さない」は

「私」だけの世界、

「私」だけで完結できる。

 

選択権は

「私以外」にはなく、

「私」しかない。

 


「許せない」という

憎しみを抱えるのか、


「許す」ことで

憎しみのない、

楽な生き方をするのか

 

そのどちらを選ぶのかが

「許す・許さない」だ。


 



憎しみを抱えながら

生きていくのは

辛い生き方

不幸な人生だと思う。

  

ただ

辛い生き方

不幸な人生を

自分で選んで

生きていくのも

 

本人が望むなら

そうすればいい。

 

八つ当たりさえしなければ

どうぞご自由に

と思う。

 

悲しすぎる

生きた方だとは思うが。

 

 

 

ただ

もういい加減

 

人を許せなくて

自分を許せなくて


つらすぎて

どうしたらいいのか

わからないのなら、

 

許せない人を

「許す」と

自分で選んでみては?

 

 

どちらを選ぶにしても

「許す・許せない」の選択権は

他人ではなく、

自分自身にしかない。

 


試しに

「許す」を選んでみて欲しい。

 


まずは

許せない自分を許してから


そして

許せない相手を

許してみてほしい

 


「許せない自分を許してみる」


そして


「許せないあの人を許してみる」 

 

そう

思ってみてほしい

そう

言ってみてほしい。







こんな風に


許せないを握りしめ

憎しみが

文面からこぼれ落ちていた

とあるブログを読んで


感じました。