母と喧嘩した。
喧嘩というより
私が一方的に
母の言動にイラついたのだが、
こんなにも
腹が立ったのは
久しぶりだ。
あまりにもイラついたため
飯を食べたあと
怒りのあまり
何もする氣になれず、
4時間ほど横になり、
そのうち眠っていた
その後、
起き出し
日常生活に戻ったが
ふと、こう思った。
きっと母への怒りは
『どうして母は
私の言うことを
理解しないのか、できないのか』
そして
『どうして理解しようと
努力しないのか?
私はこんなにも頑張って、
考えに考えて、
あなたのことを
わかろうと努力をしているのに、
なぜ、
あなたはいつもいつも
そんな風なんだ』
というものだと
気づいた
これは
「どれだけ頑張っても
人と分かりあえない」ことへの
怒りだ。
そして
その怒りの奥には
どれだけ頑張っても
人とわかりあえない
もどかしさ、
悲しさ、
せつなさがあるんだと氣付いた。
そう
私は悲しいんだ。
どれだけ頑張っても
人とわかりあえないことが。
さらに
そのもどかしさ、悲しい、淋しさを
感じたくないと思っているんだ
そう感じると
私は
傷つけられたと思っているんだ
それは
被害者意識だ。
勝手に傷つけられたと
思うのだから。
なのに
傷つけられたと
腹が立ち、
『私のことをわかってくれ!
『私のように
理解する努力しろ!』と
母を責めていた。
そんなふうに
私は
自分のことをわかってくれと
母に押し付けていたんだ…
あぁ、
いまだに
そんな努力をしてたんだなぁ
そう思えたら
母への怒りが
かなりおさまった。
人とわかりあえないことの
その悲しさ
せつなさ、
を感じたくなくて
勝手に腹を立て
また時に
自分を責めたり
人を責めたり
投げやりになったりする
私は
悲しい
せつない
淋しい
と感じると
傷つけられたという
被害者意識を持っているんだ…
この世には
わかりあえる人もいるし
どうしても
わかりあえない人もいる
どちらもある
それは
もどかしくて
悲しくて
淋しいことだ
それらを感じる覚悟をしよう
そして
わかろうとする
努力をやめてみよう
そしてさらに
傷つく覚悟もしてみる
傷ついた時の氣持ちも
深く味わってみる
傷ついても
私には価値がある。
存在意義がある。
傷ついてもいい。