この当時のマカオはポルトガル領でしたが、中国へマカオから入ることはできませんでした。
ただ、マカオ国境そばの「中山県」だけは確かビザなしで入れました。(香港とシンセンの関係と同じ)
現在では、マカオは中国領になり形だけは別扱いになっていますが、ほとんど中国と変わりないようになってしまいました。
この当時の公用語はポルトガル語でしたが、ポルトガル人は非常に少数で、大部分の人たちは広東省からの移民で広東語が普通に話されていました。
ここが国境の門で、赤い中国の国旗が見えています。
時間の関係で開いてないためか誰もいません。
狭い海峡の向こう側は中国領の珠海市。
マカオの市街地は香港島のような高層ビルはありませんでした。
遠くに見える山は中国領の珠海市。



