夏はすっかり過ぎ去り散歩日和となった今日この頃。

今日も昼前に散歩に出かけるわけですが、いきなり毛虫に出くわし出鼻をくじかれる私……。

写真は撮ったけど上げないね。

 

天気は最高♪

空をそよぐトンボを30匹ほど見つけ、の到来を感じる。

 

 


 

 

 

 

ホントにきれいな青空

思わずいつもよりも長い距離を歩いてしまった。

 

 

今日も皆さんが幸せでありますように。

 

(終わらないよ。これからがブログの始まりだよっ!!)

 

 

うらみわびの「この本がおもしろい!」第14回。

 

本当は夏真っ盛りのときにアップするといい作品のような気がしましたが波に乗り遅れました。

何と言っても著者が「川」さんですからね!

でも、いつ読んでもいい小説です!

 

夏川椎菜 著『ぬけがら』ソニー・ミュージックエンタテインメント 2019年

 

 

 

勝手に評価表

ストーリー

☆☆☆☆

アクション

☆☆

感動

☆☆☆

 

 

 

【目次】

 

・プロローグ

・初恋のシャンプー

・匿名銭湯小噺

・タカビシャとパッチ

・私と孫の古時計

・エピローグ

 

特別収録

 ・16時50分

 ・16時50分 side B

 

 ・あとがき

 

「そちらは危なくないかい、

そちらは退屈じゃないかい。」

 

 どんな話?

 本作は夏川さんの自身のブログ『ナンス・アポン・ア・タイム』からはじまり、その文才を買われ、時を同じくして発売した写真集『ぬけがら』にストーリーをつける、という趣旨のもとに夏川さんが同作を小説化したものです。そして夏川さん自身初の小説であります。

 

 構成としては短編小説集という形をとっています。しかし、読んでいると気づくのです。それぞれの短編がある一つの要素に集約されることに。最近では馳星周さんの小説『少年と犬』が直木賞を受賞しましたが、あんな感じの小説です。

 

 

 

 

 それぞれの話は現代の若者を主点に描かれており、内容は実にシンプル。なんだか日記の様でもある。終わり方もそれほど感動的ではない。でも、ちゃんと心に遺るものがある。共感できる。それがこの短編集の魅力。

 思うに、私たちの人生ってそうなもんじゃないのかな、って思うんです。「事実は小説よりも奇なり」という言葉がありますが、小説ほどは感動的ではないというか、具体的には分かりやすいハッピーエンドではないと思うんです。そもそも人生は終わってから自分で振り返ることはできないし、十年くらいしてから「良かった」とか「良くなかった」とか思えることもあるし、「良くなかった」と思っていたことがずっと後になって「良かった」と思えることも当然あるだろうし。本作にでてくる内容っていうのは登場人物からすると人生の大きな出来事になるかもしれない。でも読者からするとそれほど感動的には映らない。それはきっと私たちが彼ら彼女らではないから。客観的に物事を見ちゃってる。でも、共感はできる。ある意味でリアリティに溢れた小説です。

 

 さて、以下に各章の簡単なあらすじを載せます。

 

初恋のシャンプー

 自身で製作した小説を誰かに読んでもらおうとコインランドリーの本棚に置いてみた少年、彼の目の前でそれを読む女性とのあいだのお話。

 

匿名銭湯小噺

 サラリーマンが毎週通い詰める銭湯でのバイトの女の子との間のお話。お互いに名前すら知らないが、他人というにはあまりにも気心の知れた関係……。

 

タカビシャとパッチ

 有名写真家の娘とファッションデザイナーを目指す女の子との間の物語。

 

私と孫の古時計

 燃え尽きて会社を退社した女性とその祖父との同居生活を描いた物語。

 

 

16時50分

 デートというにはあまりにも「デートっぽくない」男女の会話。

 

16時50分 side B

 前章を女子の目線から描いたもの。

 

 

 緻密なストーリー展開

 小説においてプロットってとっても重要。本作はちょっと笑える小噺が2作入って、夢を諦めかける女性の話がズドーンと入り、その裏話が重く後に続く。一見してデタラメな時間軸の配置のようであるけれども、話の「重さ」を軸に考えると、しっくりくる。最後には不安と希望が入り混じっている終わり方。でも、そこには光り輝く主人公の確実な「希望」が描かれている。これって物語では重要なことだと思う。とりわけまだ若い女性の人生はバッドエンドで終わってほしくない、という読者の心の内があるわけだから、読後感として「希望」は外せない。本書は、ダークな部分のアンチテーゼとしての主題が大きく掲げられた良書であるといえる。

 

 夏川さんの文才はかなりのものであります。私自身、アニメ声優雑誌『声優グランプリ』での夏川さんの連載『夏川椎菜の なんとなく、くだらなく』は毎月楽しく読んでいます。本当にね、文章にひねりが利いていて面白いのよ。エッセイというより小噺!?もうこれは「夏川劇場」ね。

 

 

 著者について

 夏川さんは本作を通して小説家という新たな土地を開拓したわけですが、声優の他に歌手やモデル、音楽ユニットのメンバーなど数多くの顔を持っています。どうやらこのことについては彼女自身も自覚があるようで……

 

夏川は、歌手で、作詞家で、ブロガーで、エッセイストで、シャンティで、TrySail(トライセイル)というユニットのやばいやつで、声優です。

 

『ぬけがら』「あとがき」

 

私が刮目しているのは彼女の作詞家としての顔。彼女は自身の楽曲の歌詞を書いています。歌手 夏川椎菜の楽曲は心のダークな部分を白いキャンバスにまき散らした感じで、とにかくインパクトが凄い。それもひとえに彼女が世界のダークな部分に対するアンテナの受信度が非常に高いからでしょう。そういった部分が根底にあるので彼女の繰り出す文章は味があって含蓄に富んでいるのだと思うのです。

 

 さて、本作でも彼女の文才は爆発しております。いわゆる一昔前の文豪にみられる、難解な語彙がちりばめられたものでは決してなく、それこそブログのエッセイのよう。言うなれば、現代人の小説といえるでしょう。これは否定では決してなくて、だからこそ現代人の心にストレートに響くストーリーなんですよね。読後感としては「感動」というより「共感」が強かったです。「ああ、私も若かれしときはこんな気持ちだったな」って純粋に思いました。

 

 

百聞は一読にしかず

 

 

 

 

 

ここからはネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 多角的な女性

 はじめに「初恋にシャンプー」を読んだときはコインランドリーの女性に好感が持てませんでした。なんだかつっけんどんな感じでね。一方で、次の「匿名銭湯小噺」のバイトの女の子は「かわいいな」と思いながら読んでいました。あとで二人の女性が同一人物であることに一人で動揺していました。

 人間とは分からないものです。実際に直接会って話をしても、その場のシチュエーションによって印象はちがってくるし。そもそも私たちはシチュエーションによって「自分」を使い分けているんだよね。半ば無意識にやっているから気づかない時もあるけど、例えば私がアルバイトをしていた時は、アルバイトの自分とプライベートの自分は完全に切り離していた。だから客からの結構なクレームにもへこたれなかったと思う。人はそうやって無理やりにでも本体の「自分」にシールドを張っていないとやられてしまうように思う。

 そんななかで、一人の女性がこんなにも違う印象をもってしまうのだから怖い。だって、これが夫婦だったら、先に「好き」を魅せられて後で「嫌い」を見せられたら純粋に減滅してしまうことってあると思うんだよね。そこに恋愛の難しさの一片があると思う。

 だからこそ、心に留めておかなくちゃ。「今、自分が知っていることが全てじゃない」って。これは否定的な見方じゃなくて、むしろそう認識することで「嫌い」にもうまく対処できるようになると思うから。完璧で理想的な人間はいないからね。

(だからといって、私たちがロボットにはしるか、といわれれば分からいけど……)

 

 

 ぬけがら

 一人の女性の人生の再出発をセミの「ぬけがら」に喩えたのがいい比喩。セミは人生の大半を地中で過ごし、一か八かの賭けで人生の最期の数日間を地上での求婚に使う。セミにとってはその数日間が人生(セミ生?)において最も輝かしい時間なんだと思う。女性のこれからへの希望が「ぬけがら」という表現にのって上手に表現されている。

 

 それにしても、本作の主人公は根はすごいポジティブなんだよね。それは「匿名銭湯小噺」や「タカビシャとパッチ」を読めばわかる。でも、そんなポジティブさだったり真面目さだったりが彼女の人生の出鼻をくじくこともある。

 成長には必ず痛みが伴う。ちょうど筋肉の成長には筋肉痛が伴うのと同じだ。ちなみに筋肉痛からの解放のことを超回復と呼ぶらしい。筋肉痛とは筋肉がいちどちぎれ、そこから徐々に筋肉同士が再びくっつき合い、その治る過程で結果として以前より強い筋肉が作られる、からだそうだ。

 人生にも筋肉痛は存在する。新たな決断をするときには様々な「痛み」が伴うものだ。それは私たちのこれまでの認識とは異なることを自ら選択して行おうとするからである。ある意味当然の反応である。しかし、あらたな挑戦の先に新たな幸せがあるのも事実である。

 

「ちがう、こんな綺麗な街から離れる、私のこの決意は、きっとすごく強いのだ。」

『ぬけがら』「エピローグ」

 

本作の主人公もそれに気づいているようである。挑戦とは常に醜い姿をしている、といえる。

 

 

 

 女の子の苦悩

 「私と孫の古時計」はかなり重い話。このストーリーのなかで打ちひしがれた女性が時間をおいて前向きに歩みだす過程が描かれている。それが形容詞で綺麗に表現されているところがいい。

 

とつとつと辞めた理由について話し始めた。

 

『ぬけがら』「私と孫の古時計」

 

 

つらつらと孫は続ける。

 

同上

 

「とつとつ」と「つらつら」という4音に女性の心情が体現されているのがすばらしい。シンプルでいて深い。雅な表現である。

 

 

 

 古時計

 「私と孫の古時計」は、かの歌『古時計』を念頭に置いたものだろうか。おじいさんと共に家族代々、その成長を見守ってき古時計。おじいちゃんの死と共に時が止まってしまう古時計。

 本作において、仕事を突然辞めてからの孫の時間を「止まる」と表現したのは個人的には違和感のある表現であった。

 強いていえば、これは主観的な表現である。人間の人生は右肩上がりではない。停滞期もあれば後退期もある。人生のある部分を切り取れば後退期は人生の下り坂。でも、視野を広げてみて、数十年後の自分の位置を見たときに、そのグラフの値はきっと前よりも上にあるはずなのである。だから、私たちの人生はトータルで見れば上り坂であり、平均的なグラフは常に右上がり、したがってどんなに辛い時間も「止まって」はいないのだ。人間は辛い時には「辛い」としか感じることができない。これはしょうがないことだと思う。でも、心のどこかで諦めない気持ち、前向きな気持ちはもっていたい、と常々思っている。これについては最近読んだ本では、シェリー・ケーガン 著『DEATH』で「自殺」と絡めて論じられていた。考え方は人それぞれであるが、「今」が人生の潮時なのか、というのは考えられそうで、考えないほうがいい、議題なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 夏川さんは正直、声優とエッセイストというイメージが強いので、小説はどうかな、と思って読んでみたのですが、予想以上のおもしろさでした。読んでみてよかったです。

 

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

 

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今日の一曲♪

『グレープフルーツムーン』(2017)

(歌:夏川椎菜 作詞:酒井竜二 作曲:ミト)

 

月ってつかず離れずちょうどいい距離なのかも。

星よりも「月に願いを」

遠く離れた恋人と一緒に同じ月を眺めたり、ね。

 

 

 

 

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