「恋愛裁判」

深田晃司監督の作品はずっと見ているつもりだが、今回はいい意味でとても見やすく一般受けもする作りになっていた。
恋愛禁止事項に違反したとして、芸能事務所から訴えられたアイドルの案件(実際にあったこと)をヒントにした作品だ。
この監督だから、アイドル時代のことは回想で軽くふれるぐらいと予想していたのだが、前半はたっぷりとアイドルの日常を描いてみせた。
もちろんそれはそれでとても興味深かく、思わず引きこまれてしまった。が、やはり何といっても裁判が始まってからが面白い。
クールにアイドルを演じた齊藤京子が、闘う女へと変貌したのだ。アイドルの衣装と作り笑を脱ぎ捨て、紺スーツに真顔で法廷に臨む。もう少しスリリングな法廷劇があってもいいと感じたが、実はテーマはそこだけではなかったのだ。
倉悠貴演じる大道芸人の恋人は、なかなか秀逸で好演していたと思う。アイドルの世俗性とは正反対のアーティスト気質の彼。こりゃ、惹かれるのも無理ないわ、と思っていたら……
彼は彼女の王子様ではなかった。早々に化けの皮がはがれ、世俗に戻っていってしまった。
このあたりは深田晃司監督らしい皮肉に満ちていた。
ラストシーンは何となく予想がついていたが、それでもやはり感動的で、頑張れとヒロインの細い肩を押してあげたくなるのだった。


 

「アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし」

ノルウェー発、シンデレラの義姉妹をヒロインにしたホラー映画。といってもホラー要素は少なめだが、よくあるおとぎ話の変形版ではなく、独特な視点で興味深い作品だった。
「意地悪姉さん」のキャラは、バレエの「シンデレラ」では女装した男性ダンサーが踊ったりする。大げさなドレスを着てコミカルな仕草で、はっきり言って道化というか嘲笑の対象なのだ。
この映画のヒロイン、エルヴィラはさほど意地悪ではないが、ロマンス小説に夢中で見た目もパッとしない。いつも母親の言いなりになっている。
娘を王子と結婚させたい母親はとにかく必死で、とりあえずルックスだけでも何とかさせようと、あやしげな整形手術を受けさせる。麻酔なしの手術は、本人でなくてもホラー並の怖さ。いくら食べても太らないサナダムシのダイエットとか、ぞっとするというより狂気の沙汰だ。
母親はあの手この手で賄賂を使ったりして、娘を王子に売り込むためやっきになる。
だがそんな努力もむなしく、王子は舞踏会でシンデレラに一目惚れ。ここはおとぎ話と同じだ。落とした靴の持ち主探し、というのも同じ展開。
決定的に違うのは、この映画では脇にまわったシンデレラ自身のキャラだ。無垢で心やさしいおとぎ話とは真逆。腹黒くてしたたか、おまけになかなかのビッチぶりで、玉の輿に乗るにはこのくらいでなくちゃと思わせる。このあたり、現代的だし女性監督ならではの視点と感じた。
シンデレラの靴が小さすぎて入らないエルヴィラは、追いつめられて何をしたか。ここまで書けば想像に難くないだろう。まったくをもってクレイジー。
予想もつかないラストといい、インパクトありすぎな映画だった。しかしこの哀れなヒロインを、どこか憎めないところがある人物に描いた監督の視線がいい。

 

「おくびょう鳥が歌うほうへ」

 

とにかくシアーシャ・ローナンの演技がすばらしく、去年の主演女優賞オスカー候補にならなかったのが不思議なぐらいだ。
ロンドンの大学院で生物学を学ぶロナは、自分を見失いアルコール依存になってしまった。リハビリを経て断酒生活を送るのは、故郷スコットランドの果ての小さな島。大自然の中に身を置き、野鳥保護団体で働きながら自分自身を見つめ直していく…
シアーシャ・ローナンのこれまでの芸歴を考えても、実にぴったりな役ではないか。原作ものだが、まるで彼女のために書かれた脚本のように見える。
アルコールに溺れ、恋人とも別れ、暴力沙汰にも巻き込まれていく悲惨なロンドン時代。島にきて孤独の中厳しい自然と戦う禁欲的な生活まで、振れ幅の大きな役を見事に演じきった。
依存症を克服する姿がリアルなのは、原作者が脚本にもたずさわっていることも大きかったかもしれない。過剰な根性ものにせず、家族問題もからめてどちからといえば淡々としている。それだけにローナンの眼差しひとつ、小さな演技が光っていた。
またこの映画の第2の主役は、島の自然だ。都会から離れた彼女は、荒れ狂う海や吹き荒れる風、荒涼とした草地の中で、ひたすら自分自身と向き合っていく。
凍てつく空気の中、たくさんのアザラシが頭を出している海で泳ぐ、というシーンには思わず目を奪われた。こんな体験をしたら、だれだって人生観が変わるのではないかと思ってしまった。
監督は「システム・クラッシャー」という映画で、感情を制御できない9歳の少女を描いてとても印象的だったノラ・ファングシャイト。撮影も同作と同じスタッフだったようだ。

 



Black Box Diaries

伊藤詩織氏が経験したことを考えれば、いくらジャーナリストとはいえ悪夢のような自分の体験をドキュメンタリー映画として自分で監督するというのは、本当に勇気の要ることだったと思う。しかし逆に言えば、自分が監督しないでだれがする、という強い思いもあったはずだ。
2017年に、まだ20代の彼女が自身の性被害について、実名でしかも顔を出して会見した時はとても驚いた。「自分には全く非がないのだから、同じ立場になったら自分もそうするにちがいない」というのは、口で言うのは簡単だが実際に行動するのとはちがう。それこそ人生が一変してしまうほどの事態なのだ。
映画は、事の経緯をすでに知っている私が観ても十分スリリングだし、思わず引き込まれてしまうパワーに満ちていた。時折、彼女の感情が抑えきれずに涙してしまうことが何度が出てくるが、こちらも胸が苦しくなるほどだった。
確かに問題にもなった音声や映像は、ここまで出していいの? という驚きもあった。使用是非をめぐっては議論があっただろう。
しかしそれ以上に、当時の政権への関与という疑惑には震撼とさせられた。そんな巨大なものと、彼女は戦ったとかと思うと一個人の非力さを感じざるをえない。
どうせやっても無駄だからやめておこう。自分の記憶の中から静かに忘れ去るしかない…と、大半の人ならそう思ったかもしれない。
何度も心が折れそうになり、精神的にも追いつめられた彼女だが、終盤に登場するドアマンの証言に、観ているこちらも心が奮いたつような気持ちになった。
本作はイギリス、アメリカとの共同製作だが、昨年にはアカデミー長編ドキュメンタリー賞にノミネートされた。ようやく日本でも公開され観られたことは、とにかく喜ばしい。
 


毎年リストアップしていますが、「いい意味で印象に残った」作品です。
ランキングはではありません。
すべて劇場で鑑賞しました。主にその年に公開された映画です。


◎ とても印象に残った作品

「敵」
「Flow」
「教皇選挙」
「国宝」
「ブラックドッグ」
「落下の王国 4Kリマスター版」



○ 印象に残った作品

「エミリア・ペレス」
「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」
「ベターマン」
「アイム・スティル・ヒア」
「ビカミング・レッド・ツェッペリン」
「Black Box Diaries」


観たけどブログに取り上げなかった映画
「ねこしま」「小学校〜それは小さな社会」「ヒプノシス レコードジャケットの美学」「ロングレッグス」「マリアンヌ・フェイスフル」

その他、古い映画の再映やリマスター版、バレエ、ライブ映画などを劇場で鑑賞しました。

 

「落下の王国 4Kデジタルリマスター版」

2008年の公開時には観ていないので、今回が初見。以前販売されたDVDはすでに入手困難になっていたので、4Kデジタルリマスター版で観られるのはありがたい。
とにかくヴィジュアルが素晴らしく美しく、目がくらみそうになってしまった。撮影に4年を費やし、実に世界24ケ国でロケしただけのことはあって、大変見ごたえがあった。ターセム・シン監督の執念を見たような気がした。
そしてこの種のヴィジュアル中心の映画にありがちな、お話自体は退屈(もしくは抽象的すぎて)眠くなってしまうようなこともなかったので、とても楽しく鑑賞することができた。
スタントマンのロイは、映画の撮影中に事故に遭い入院している。人生に絶望しているロイは自殺しようとして、彼に近づいてきた5歳の少女を手なづけるため、荒唐無稽なストーリーを語って聞かせる。そのでたらめなお話がいつの間にか少女の中で現実となり、虚構の世界が繰り広げられていく。
話に登場するキャラクターがどれも奇抜で、ユニークな衣装を纏っている。衣装担当の石岡瑛子が創り上げるコスチュームは、この映画の独創的な世界の一端を担っていて、観ていてわくわくするほどだ。
このシーン、一体どこで撮ったの? というようなロケーションがたくさん登場するが、その圧倒的なヴィジュアルに負けないコスチュームが次々と飛び出してくる。
ちなみにこのポスターに使われたシーンは、インドのラダック地方にある塩湖パンゴンツォで撮影されたそうだ。ため息が出そうなほどの風景だった。
これまではカルト的な人気を博していた本作だが、この度リマスター版で観られたのは本当にうれしいことだ。配信もあるようだが、これこそ劇場で堪能したい1本。



 

「エディントンへようこそ」

長年映画を観ているとたまに、始まって10分ぐらいで「あ、この映画私、ダメかもしれない」と感じることがある。その勘はだいたい当たり、エンドロールが流れるまで忍耐の時間を強いられることになる。それでも途中で出たりはしないけど。
数年前、オスカーを総なめにした某作品がそうだった(日本ではさほどヒットしなかったようなので、私と同感の人も少なからずいたのだろう)感覚的についていけない作品だった。
「エディントンへようこそ」は、「ミッドサマー」のアリ・アスター監督の新作なので、それなりに期待して観に行ったのだが…。前作「ボーはおそれている」からホラー色は影をひそめていたが、今作は完全に別ジャンル。
コロナウイルスでロックダウン中のアメリカの小さな町、エディントン。マスク着用をめぐって保安官(ホアキン・フェニックス)と市長の対立が思いもよらない方向へと発展していく。
面白い要素は十分だし、きわめて今日的なネタにも興味があったが、なにしろ主人公の保安官をはじめ、だれにも感情移入はできないし、共感も抱けない。カンに触るような人物ばかりが登場するのだ。
平和な日常が一瞬にして崩壊し、人々は陰謀論やフェイクニュースが蔓延するSNSにのめりこんでいく、と。
あまりにもカオスな展開なので、「もうこんな町、どうにでもなればいい」と突き放したくなってしまう。
もっと深読みすれば興味深い内容だったのかもしれないが、全体にとっちらかった印象で、結局何を言いたかったのかもよくわからなかったし伝わってこなかった。
次回作に期待。

 

「ジェイ・ケリー」

映画スターとして活躍するジェイ・ケリー(ジョージ・クルーニー)は、彼を親身になって支えるマネージャーとともに急遽ヨーロッパに旅行することに。行く先々でいろいろな事態が発生して珍道中となるが、2人はこれまでの人生や関わってきた人たちとの関係、築いてきた功績について考える…
といった内容だが、とにかくジョージ・クルーニーがハマり役で、どうしたって本人そのものに見えてしまう。
クルーニー自身は「この主人公と自分はまったく違う」と主張しているようだが、否定すればするほど重なって見える。
まるで自虐ネタ? というようなユーモアもたっぷりで、軽い気持ちで楽しめた。
けっこうな大物俳優たちが、あまり大きくない役で次々に登場したりして、観ていて飽きない。
どこへ行っても何をしても人の目があって、「スターって大変ねぇ」と感じるが、その代わりに贅沢三昧、守りを固める裏方も万全だ。
昔の同級生と数十年ぶりに再会したくだりは苦々しいものがあったが、これもカネとコネの力で何なくクリア。
もし彼が落ち目になれば、すべてが狂い始めるのだろうが、ジェイ・ケリーは相変わらず人気者だ。
よくあるアーティストの苦悩とか、内省的な場面はほとんど描かれず(それが悪いというのではない)、ジェイ・ケリーはけっこう脳天気だ。
だからこそジョージ・クルーニーにぴったり、というのも観客側の勝手な想像で、彼自身は発言の通り、まったく違うのかもしれないが。
そんなことを感じさせる映画だった。

ネトフリでの配信ではなく劇場で鑑賞。