「プラダを着た悪魔2」

前作から20年。ヒロインのアン・ハサウェイだけでなく、主要キャラが4人勢揃いというのが何よりうれしい。
1作目は若い女性の自己発見のお話だったが、再見することないまま2を観に行ってしまった。やはりおさらいしておいた方がよかったな(と後悔したがすでに遅かった…)
前作は、ヒロインであるアンディのフレッシュさもあって、作品全体がキラキラ輝いていたのに対し、今回はのっけからハードな展開が待ち受けていた。
20年も経っているのだから当然だが、みなそれぞれに年を重ねている。彼らがその間どう過ごしたかは、あまり詳しく触れないのだが(個人的にはもっと知りたかった)、キャラそのものは変わっていない。
編集長のミランダは相変わらずシニカルではあるが、さすがに今の世の中、以前のような底意地の悪さは影をひそめている。おまけに経費削減で、出張ではエコノミークラスに乗せられるハメに。これもご時世だから仕方ないのか。あのミランダ様が。
日本も同じだが、出版文化の衰退はもう歯止めが効かない。残念だがこの事実があるかぎり、雑誌「ランウェイ」に明るい未来を見出すのは困難なのだ。
それを踏まえた上で、2はよく考えられた脚本だったと思う。アンディの私生活や恋バナはあまり語られず、お仕事映画に徹していた。
それでも前作同様、ユーモアのセンスと軽みを忘れず、レディー・ガガの使い方もうまく感心させられた。もちろんファッション・アイテムの数々もたっぷりでひたすら目の肥やしとなった。
買収劇のバタバタは、現在の映画界にとっても人ごとではないはず。そんな「今」も感じさせる続編だった。



 

「1975年のケルン・コンサート」

音楽青春映画は好きなジャンル。とはいえ洋楽ロック一筋の私には無縁なジャズの世界なので、あまり期待していなかったのだが、これが意外にわかりやすくて興味深く鑑賞した。

私と同様にジャズに詳しくない人が観てもきっと楽しめると思う。
キース・ジャレットの歴史的名盤、「ケルン・コンサート」の舞台裏には、当時18歳の女性プロモーターの奮闘があったとは。これが実話なのだからさらに面白い。
ヒロインのヴェラはドイツのケルンに住む女子高生。1975年当時、この年齢でロックではなくジャズに傾倒するとはなかなか渋いな、とまず感じた。
権威主義の父親にうんざりしているヴェラは年齢を25歳と偽って、来独公演を招聘するプロモーターのアルバイトを始めた。
ベルリンのフェスでキース・ジャレットの演奏を聴いて感動したヴェラは、ケルン公演を実現させようと動き出す。このあたり女子高生ノリで、この時代ならではということもあって、するするとうまく事が運んでいく。
途中、音楽ライターがキース・ジャレットと話をするシーンがけっこう長い尺を使って出てくるが、その内容がなかなか興味深くジャズに疎い私にはとてもタメになった。
「ケルン・コンサート」の音源は、映画では使用できないということで、ちょっと残念だったが、劇伴がジャズ以外の音楽が多く使われていて意外だった。
マニアックだがドイツのロックバンド、カン(CAN)なんかも使用されていて少しうれしくなった。ジャズ・ファンには不評かもしれないけど。
10代の少女が夢をかなえるために奔走する姿は、ありきたりな表現だが「元気もらえる」感じで爽快感があった。
主演の女優さんはJKを演じるには少々無理があったが、まあ、いいか…


 

「地獄に堕ちるわよ」

4月に入院して、今もまだちょっと療養中なので、なかなか映画館に足を運べません(早く行きたいけど…)。

家にいて観られるものを、ということで何となく観始めたネトフリのドラマ「地獄に堕ちるわよ」。これが予想以上の出来で全9話、飽きずに一気に鑑賞。
細木数子の自伝的ドラマ、というのでもっとベタな内容を想像していたが、いや、これがよくできている。
ドラマは、細木の自伝小説を執筆するというライター(伊藤沙莉)の目を通して語られていく。その構成もなかなか秀逸で、時にミスリードがあったりして凝っている。
貧困をバネにのし上がる波乱万丈の人生は周知の通り。色と欲と金の権化みたいなヒロインを、似ても似つかない戸田恵梨香が見事に演じたのはちょっとした驚きだった。最初はあまりにも本人とイメージがちがうので違和感があったが、すぐに慣れた。こういうのはただ似せればいいというものではないのだ。
同じことは後半に登場する重要人物、島倉千代子役の三浦透子にも言える。彼女もまた島倉にはまったく似ていないし、あえて似せるようにもしていないようだ。でも話に引き込まれてしまい、似ていないことなどどうでもよくなってしまった。
戸田恵梨香は彼女なりの細木数子を演じきった。初恋の相手に裏切られたことに始まり、近づいてくる男のほとんどが金目当てだったり、勘違い男だったり。彼女自身も自らの欲のためには女を利用する。騙し騙され、骨の髄まで夜の女なのだ。当然、裏社会とのつながりも濃厚。
しかし、あれよあれよと言う間に水商売が成功するのは、やはり才能があったからだろう。少なくとも占い師としての能力よりも高かったにちがいない。
「地獄に堕ちるわよ」はそのまま本人にお返ししたいフレーズだが、そのことはだれよりも細木自身がわかっていたのではないだろうか。

 

「マーティ・シュプリーム 世界をつかめ」

卓球後進国だった50年代のアメリカ。実在した卓球選手マーティ・リーズマンの人生から着想を得た映画だ。
ティモシー・シャラメが、どうしようもなくクレイジーでクズな男を、この上なく生き生きと演じた。まったく共感できないのに、どこか憎めず、自らの目標のために全力疾走する姿が面白くて、ついつい引き込まれてしまう。
シャラメの演技が映画に説得力を与え、感情移入できないキャラなのに観ている側の頬が思わずゆるんでしまうのだった。
149分とこの種の映画の割には長尺で、正直このエピソードは要らないのでは、というものもあったが、それを含めて主人公マーティが悪あがきしながら卓球世界一をめざす姿から目が離せない。
日本での試合シーンがあり、それがこの映画のひとつのハイライトでもある。普通のハリウッド映画なら、わざわざ日本にこなくてもどこか適当な場所を日本らしくしつらえ、アジア系の俳優を大量動員して撮影するところだろう。が、この監督はそれをしなかった。ちゃんと日本でロケして、エキストラのひとりまですべて日本人でそろえたという。このこだわりがすごい。
だから日本人の私たちが観ても、まったく不自然さが感じられない場面となった。
試合の撮影はさすがにCGありだったようだが。
卓球のシーンはたっぷり時間を割いて見応えがあった。マーティの対戦相手である日本人は、川口功人選手というデフリクピックにも出場した人。彼は俳優ではないのに、なかなか「いい味」を出していて、そういうところのキャスティングも監督のセンスだな、と感心してしまった。
脇役にいたっては、グウィネス・パルトローほかみないい芝居をしていて、シャラメを引き立てる以上の仕事をしていたと思う。



 

「センチメンタル・バリュー」

 

「わたしは最悪」などのヨアキム・トリアー監督(ラース・フォン・トリアー監督の遠縁にあたるそうだ)のヒューマン・ドラマ。
ヒロインのノラはオスロで俳優として活動している。幼い頃、出て行ったきり疎遠になっていた映画監督の父親が、久々に監督する新作にノラを主人公にと打診してきた。父に対して複雑な感情を持っているノラは出演を断るが、他の若手女優をたてて映画化は実現する。おまけに撮影場所は自分たちが住んでいた実家であるとわかり、激しく動揺する…
家族間の感情のもつれはとてもやっかいだ。特にこの父親は自分勝手で独善的、作品のためなら人がどう感じようがおかまいなしだ。
ノラの方は父親の被害者だと思っているが、本番直前に舞台を降板すると言ってみたり、周囲を振り回しているところは父親に似ていなくもない。たぶん本人は否定するだろうが、この父と娘は対立しているがけっこう似ている。人は自分と似ている人を目の当たりにすると嫌悪するものだ。
ノラと対照的な生き方をしている妹や、作品の解釈に悩む若手女優(エル・ファニングが脇役で登場)、ノラの母親やその上の世代の話も絡んでストーリーは進んでいく。どこかベルイマン的でもある繊細な人間ドラマだ。
家族とは、愛さえあれば何でも解決するというものではない。が、やはり愛は強かった。こんなやっかいな父親と娘でも和解の道はあるのだ。
ラストシーンの演出はうまかった。
 

「嵐が丘」

原作は遠い昔、中学生の頃に読んだが、たぶんよくわかっていなかったと思う。
今回の映画化は、原作の後半部分をばっさりカットして、ひたすらキャサリンとヒースクリフの物語に焦点を当てた。
それ自体は悪くないし、理解もできる。だが全体的な印象がどうも「文芸エロス」になってしまい、きっと原作ファンの評価はよくないだろうと思った。
主演のマーゴット・ロビーもジェイコブ・エロルディも個性の強いキャラを、大変な熱量で演じた。感情的にも肉体的にも濃いラブストーリー、破滅的で激しすぎる愛。
2人の愛憎劇はもちろんだが、脇で登場するキャラも見逃せない。家政婦ネリーはベトナム系女優が演じたためか、物語を掻き回す要因になるヒール的な存在で興味深いし、キャサリンを慕うイザベラに至っては完全にヤバい人だ。
監督が「プロミシング・ヤング・ウーマン」のエメラルド・フェンネルというのが妙に納得できる。時にキャサリンの言動が現代的に感じられたのは監督のセンスだろう。
キャサリンの衣装にしても、この当時にはあり得ないような素材を使用したりとかなり冒険的だが、それがあまり不自然に感じられないのだ。
ヒースクリフ役のジェイコブ・エロルディは「フランケンシュタイン」で好演したが、このタイミングでのキャスティングは大正解だと思った。
個人的な好みで言えば、キャサリン役にはもう少しヨーロッパ的な雰囲気の女優で見たかったかな、とも思うがマーゴット・ロビーがプロデュースまで担当しているので、まあ、それはそれでアリだろう。


 

日本人の女性監督が、ハリウッドでこんな素敵な映画を撮ったなんてうれしい限りだ。
クールさと可笑しみが混在している空気感が「ロスト・イン・トランスレーション」を思い出してしまった。異邦人 in Tokyo という共通点は確かだが。
ブレンダン・フレーザー演じるフィリップは、以前はそこそこ人気のある俳優だったが、今は東京でひとり暮らししながら細々と俳優業を続けている。
そんな彼のもとに「レンタル・ファミリー」の仕事が舞いこんでいる。嘘をつき通す仕事に後ろめたさを感じつつも、彼はその仕事を引き受けるのだった。
何といっても、ブレンダン・フレイザーあっても映画だ。あの大きな身体を小さく丸めながら満員電車に揺られる姿は、それだけでほのぼのしてくる。
顧客の要望に合わせて家族のようなふりをすることに、最初のうちは良心がとがめるフィリップだが、次第にその仕事にのめりこんでいく。

仕事と割り切れない「情」や「共感」がわいてきて、逸脱しそうになってしまう。
彼の葛藤は丁寧に描かれるが、決して重くなりすぎず、あざとさもなく、時にユーモアが感じさせるのは、彼のキャラによるものだろう。
そして驚くのは彼を取り巻く役者たちの芸達者ぶりだ。柄本明の存在感は言うまでもないが、平岳大や山本真理が思いのほかいい味を出しているし、子役の少女は将来がとても楽しみだ。
あまり期待しないで鑑賞したのだが、いい作品に出会えたと満足度は高かった。