10月に入る頃には《ライガー》は順調にご飯を食べるようになっていた
相変わらず時間は掛かるが、他の猫と同量を食べられるようにまでなった
口の周りや、両手の黒ずみも次第に薄くなってきた
それは旅行を控えた私たちに、これでは注射に連れて行かなくてもいいのではないか、と感じさせ始めた
体は太り、毛艶も良くなっている
そうして出発前、誰かが付いてやれば順調に食事を取るようになり、注射が必要な状態ではなくなった
しかし、今回留守番の家族②はいつも仕事で帰りが遅いため、猫にご飯をあげたことが殆どない
出発前日、私は家族②とご飯係を買って出てくれたららママさん宛に15匹の猫の食事のあげ方を詳しく書いてテーブルに置いた
気がつくとそれは何枚にもなってしまい、とても申し訳なかった
そして私は今回、旅行の日程をいつもより一週間減らし、約2週間とした
到着翌日にカトマンズから自宅に電話をした時
家族②は、昨夜はららママさんと2人でやったよ、と言った
ちゃんとできたらしくてほっとした
家族②には、ちょうど一年前のこの時期の《ジョン ブリアン》の突然の旅立ちという悲しい思い出が胸に澱み
今回一緒に旅をした家族①の心にもまた、あの時の辛かった思いが深くあり
一年前の帰国の空港で、遺骨となった《ジョン ブリアン》に対面しなければならなかった、私のあの時の衝撃も鮮明で・・
もう二度とあんな思いをしたくない
私たち家族のそんな気持ちが日本とネパールの間を常に行き来していた
そんな思いから、家族②は昼休み返上で働き、その分を早めに仕事を上がって帰宅し、ららママさんと一緒に猫の世話をした
また、猫のトイレが心配で仕事の途中でトイレ掃除に帰ったりもしていたようだ
11月に入ると家族ちぃがやってきた
この数日前、やって来たららママさんによって仕事先の家族②に《レオポン》と《バニャ1号》がいないことが知らされる
その後、《バニャ1号》は勝手に戻ったが、小心の《レオポン》の所在がわからない
どうやら《レオポン》はテラスの手すりから落ちてしまい、どこかに身を潜めているようだ
しかしそれも、《ユリぼうず》の協力を得た家族ちぃの上手な策略で無事の帰還を果たした
私たちはカトマンズ到着翌々日からポカラに移動し、そこからトレッキングに入ったため、日本との連絡を途絶えた
トレッキングから1週間後、カトマンズに戻り猫の様子を聞くため電話を入れたが、誰にも繋がらない
やっと日本に電話が繋がったのが帰国前々日
電話口で家族②は言った
「軍団が逞しくなってるよ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そうして帰国してみると
軍団は、あれほど心配し会いたかった私たちの横を素通り状態・・
疲れきった私と家族①をよそに、その日の夕食も軍団に集られた家族②があげた
そこには、みんなと一緒に台所に走る《ライガー》の姿があった
そして、台所でみんなと同じものを同じように食べる《ライガー》
カニカマなしで・・
さらに夜食
みんなと同じカリカリも食べている
口の周りの黒ずみはすっかり消え、体も一段と大きくなっていた
あんなに心配していたのに・・
更に驚いたことには
あの《インドラ》もまたふつうにカリカリを食べていたのだ!
《ライガー》が元気を失くし始めてからというもの
一度独り立ちさせた《バニャ1号》も、幼い頃の《ライガー》にやっていたように再び彼を舐め始め
叔母の《バニャ2号》も寄り添ってくれる
秋になると軍団は《ライガー》を囲んで寝ることを常にし
いつもご飯の取り合いで争ってる《ピラニア軍団》も《ライガー》のご飯だけは誰も奪わない
だから《ライガー》は少しずつでもマイペースで食べられるようになっていた
みんなが《ライガー》に 「水を飲みな」 と勧める
《ライガー》が来ると水を飲んでる子もどいてあげている
《ライガー》は頑張って緑の水を飲む
何もかも、みんなの優しさのおかげかだね
軍団、家族②、ららママさん、家族ちぃ、本当にありがとう
8月の終わり頃、すっかり痩せてしまった《ライガー》
9月、布に潜り込んでばかりの《ライガー》を心配する《ひな》
体調が悪い日の《ライガー》に付き添う《バニャ2号》
やはり具合の悪い《ライガー》に寄り添う母親の《バニャ1号》と妹の《レオポン》
そして10月 ひな 「《ひな》が ぺろぺろしてあげるから げんきになってね」
風邪をひきやすい《ライガー》をみんなで囲んで寝るのが軍団の習慣になった
そんな家族の優しさに応えるように《ライガー》は必死でご飯を食べ続け・・
そうして本日の《ライガー》です
※ 昨日今日と寒くなって早速風邪をひいてしまいましたが元気そうです
どんなことがあっても
みんな一緒なら大丈夫
これからも家族一緒に楽しく愉快に生きていこうね!